機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  10-01、地下に潜む者(1)



 火の川の近くにある鍛冶の種族の里は、《火》の《顕現》であるが故に他界よりも高温な火界の中でも特に気温が高く乾燥している。里の住人は長くこの地で暮らしてきたお陰でこの環境には慣れているが、シャンセ達はそうではない。従って、里の者は彼等にとっても貴重である水を他種族の客人が滞在する天幕の湿度を保つ為に使用していた。
 今朝もまた、水瓶を持った女性が天幕内に置かれている容器へ水を注ぐ為に遣って来た。ただし、普段と違って背後にナルテロを伴っていた。
「シャンセ殿、少し宜しいですかな?」
「何でしょう」
「急で申し訳ないが、今直出掛けられそうですか? 先日希望されていた件の準備が整いましたので」
「本当に急ですね。何かあったのですか?」
「例の品を取り扱っていた商人が、間もなく火界を離れるそうなのです。しかし、我々はその者を引き留めないと決めました。不審がられて新たな障害が生じては困りますからな。つまり、シャンセ殿が彼を直接確認したいと思っておられるなら、それを実現する為の残り時間が少ないということです。早々に動いた方が良いかと」
 シャンセは一度マティアヌスと視線を交わした後、再びナルテロの方を向いて頷いた。
「分かりました。訪問地の状況が分かりませんので、安全の為に彼等は置いていきますが、構いませんか?」
「問題ありません。里の者にも伝えておきます」
 ナルテロもまた従者達と目配せをした。すると、間を置かずして従者の一人が手を上げる。主が頷きで返すのを確かめた彼は、先んじて天幕の外へと出た。
 彼を見送った後、シャンセは外出の支度をしたい旨をナルテロに伝える。すると、ナルテロは苦笑しながら出発の刻限を告げて天幕から去って行った。水を注ぎ終わった女性も静々と彼の後に従った。
 火人達の足音が聞こえなくなると、シャンセはマティアヌスとキロネの方を向いて言った。
「そういうことだから」
 シャンセの言葉は簡潔だ。だが、充分であった。今の状況は彼等にとっては想定内で、対策の相談も既に終わっていた。
「分かった。どんな相手か分からないから、重々注意してな」
「誰に向かって言っているんだ」
 まるで子供に言い聞かせる様なマティアヌスの振る舞いを嘲笑した後、シャンセはナルテロへ告げた通りに外出の準備を始めた。


   ◇◇◇


 支度を終えて見張りの兵と共に天幕を出たシャンセは、閭門の前でナルテロ達と合流し出立する。目的地は、シャンセが永獄に入る前には存在しなかった「黄金泉の街」と呼ばれる商業地区だ。鍛冶の里からは足の速い獣に乗って一刻半という距離である。煌びやかさと汚らしさが共存する奇妙な場所で、地上界や《闇》側世界の繁華街を思わせた。
 その黄金泉の街へと到着した後、火人達は街の端にある隠れ家に乗り物を繋いだ。そこからは再び徒歩である。道中、ナルテロは行き先について軽く説明した。彼の話を聞いたシャンセは露骨に眉を顰めた。
「『闇市』ですか。地上界を訪れた際、似た様なものを見かけたことはありますが……」
「商取引は本来交易の種族の担当です。火界で商売を行うには、彼等かその上にいる焼物の種族の認可が必要となります。一応、黄金泉の街の主人も交易の種族の一人ではあるのですが、同族からは絶縁された身だそうで、彼の関わる事業への許可は下りません。この街も然り。というよりも、この辺りへは長年中央から人が派遣されてきておりませんから、街の存在すら知らない可能性もありますな。だからこそ、非合法な品も売り買い出来る訳です」
「それはまた……」
 言い掛けてシャンセは口を噤んだ。
(零落れたものだな、嘗ては「王佐の種族」とも称された者達が)
 僅かばかり鍛冶の種族に対する嫌悪感が湧いたが、言葉の続きは胸の中に仕舞い込んだ。彼等に過ちはあれど、今はそれを指摘する時ではない。一方、ナルテロは別の物事に意識を取られている様子で、シャンセの心情を推し量ることはなく、また彼に対し不信感を抱きもしなかった。
 薄暗い脇道に入ってから暫くすると、大通り程の広さはないがやや開けた場所へと出た。道の両側には屋台や露店が所狭しと並んでおり、所々通り抜けることが困難な位に人集りが出来ている。賑わいは大通り以上だ。しかし、不思議と明るい印象を与えない場所であった。商人も客も一様に人相が悪い所為だろうか。お陰でここが件の闇市なのだと、初めて訪れるシャンセでも気付くことが出来た。彼は思わず外衣に付いている頭巾を目深に被った。
「闇市とは言っても、ここでの取引は他の場所と同じく物々交換が基本です。たまに紛れ込んでいる《闇》側の種族は『貨幣』とやらを用いることもあるという噂ですが、現物を見た者は殆どおりません。そして、我々が払い渡す品は火界産の鉱物と獣と――」
 一瞬だけ言葉を詰まらせたが、ナルテロは従者の持つ荷物を見ながら話を再開する。
「『火』です」
 シャンセは咎める様な視線をナルテロへと送った。
「火界に於いて火は神聖なものの筈。危ない橋を渡っていますね。大丈夫なのですか?」
「今の我等の境遇では致し方ありません。火神様もきっとご理解下さるでしょう」
 ナルテロがそう言い終えた直後であった。シャンセは唐突に目を見開き、足を止める。ややあって彼は表情を消し、前方を睨んだ。
「ああ、見えてきましたな。彼方の天幕の前に居るのが例の商人です」
 ナルテロの声はシャンセの耳にも届いていたが、遥か遠い場所で響いている様に感じられた。
(間違いない。微弱だが神気を感じる)
 シャンセは躊躇せず突き進もうとしているナルテロの腕を慌てて掴んだ。
「待って下さい。あの者の気配に覚えがあります。もしかしたら、私は彼と面識があるかもしれない」
「何ですって? では、彼は天界の?」
「恐らくは違います。天宮にも出入りをしていたとは思いますが……。隠形の〈術〉は見破られる可能性があるので使いません。ですが、顔は隠しておきます。私の正体を問われたら、ナルテロ殿の従者とお答え下さい」
 話しながら、シャンセは手巾を取り出して顔の下半分を覆った。片やナルテロは従者達と顔を見合わせた。その後、彼は僅かばかり俯いて考え込んでいたが、やがて顔を上げてこう返した。
「分かりました。であれば、声も隠した方が良いでしょうな。彼に質問がある時は、そうと分からぬよう私に耳打ちして下さい。代わりに話しましょう」
「有難う御座います。私もあの者の正体を突き止められるよう尽力致します」
 シャンセの言葉に首肯で返した後、ナルテロは先頭に立って目的の人物の許へと歩み出した。



2024.03.06 一部文言を修正
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