機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  10-02、地下に潜む者(2)



「やあ、ヴァカム。近い内に火界を発つんだって? 最後に物色しに来てやったぞ」
 意識的に頬を緩めたナルテロがそう声を掛けると、相手も態とらしい驚き顔を此方へ向けてくる。シャンセはその商人の姿を嘗める様に眺め回した。素性を隠す為に抑制しているのか、相当集中しなければ感じ取れないが、商人の肉体からは間違いなく神気が滲み出している。神族か、或いは神と繋がりのある何者かであることは容易に想像が付いた。
(「ヴァカム」。神語では「私の正体を隠す」という意味だが……)
 顔も気配も確かに何処かで見た覚えがある。しかし、誰であったのかは中々思い出せない。シャンセは懸命に自分の頭の中を探った。
「おや旦那、遅かったじゃないか。目ぼしい品はもう全部売れてしまった後だよ。三日前から少しずつ、撤収準備に入っていたからね」
「ふむ、そいつは残念だ。ところで、次は何処で商売を?」
「おいおい、そういった詮索はしないのがこの市の不文律だぜ。取引が他所に知られちゃあ、互いに困るだろうよ。街の連中にだって迷惑が掛かっちまう。ただでさえ、今日は珍しい客人も付いて来ているようだしな」
 商人は値踏みするような目をシャンセへと向けた。もしかしたら、この商人は彼の正体に気付いているのかもしれない。やはり、知り合いであるのだろうか。ならば、誰であったのかを一刻も早く思い出さなければならない。特にこのヴァカムと名乗る男が敵であるか否かを。
 咄嗟にシャンセを自分の身体の陰に隠したナルテロも、ヴァカムの言わんとすることを察した様で、慌てて弁明した。
「危機感を抱かせたのであれば、申し訳なかった。だが、我々は君に危害を加えようとしている訳ではないんだ。彼は……何と言うか行き摺りの鑑定士みたいなものだ。偶々うちの里を訪れて、君の所で買った商品を見てもらったんだよ。そうしたら、まあ驚いた。君の店は相当良い品を扱っている様じゃないか。出来れば継続的に取引がしたい。上の者がいるなら直接話をしたいし、今のまま君が取引を仲介してくれても良い。兎に角、手を組みたいんだ」
 間を置かず、ヴァカムは小さく笑声を上げた。
「『上の者』ね。あんたはどう思う?」
「『どう』とは?」
 不機嫌さを隠さずシャンセは問い返す。警戒心に満ちた彼の態度に、ヴァカムは肩を竦めてみせた。
「あんたがここに居ることをうちの上司が知れば、真っ先にあんたを捕らえるよう命じると思うんだがね」
「私を交換品として火人族に要求されるおつもりで?」
「流石にそれはないさ。敵対したくてやる訳じゃないからな。火人達がどういう認識でいるのかは分からないが、少なくとも俺はあんたの能力や心情を踏まえてその方法が実現可能だとも思わないし。まあ、外交も絡む問題だから独断専行は止めておこう。ところで、そろそろ俺の正体にも気付いているのだろう? 俺の上司が誰なのかも。だったら、そっちの方針について聞いておきたいかなあ。内容如何では、俺達の戦略にも大幅な修正が必要になるかもしれないから。単刀直入に聞くけど、味方になってくれる気はあるの? ないの?」
 軽薄そうな口調や仕草とは裏腹に、ヴァカムの観察眼は鋭く言葉の圧力は強い。シャンセの記憶の中に薄っすらと残っていた彼とはまるで別の存在の様だ。下心を持つが故に、常日頃は演技をしていたのだろう。
 狡猾な神ヴァカムの読み通り、シャンセは会話の最中に相手の正体を思い出していた。否、厳密には見当を付けた後に狙い定めて記憶を掘り起こしたのだ。決め手となったのは、シャンセを捕らえるつもりではあるのに「敵対したくてやる訳じゃない」と言ったことだ。つまり、彼等は天界への反逆行為を厭わず、且つ戦力強化を望んでいる勢力。《闇》側の可能性もあるが、この市へ来るのは凡そが《光》側の住人という話であったから、一番最初に思い浮かんだのは別の勢力だった。その勢力に関係する神を列挙して、シャンセは漸く彼の正体に辿り付いたのである。
 ただでさえ面倒な状況が更に面倒になったことに胃を痛めつつ、シャンセは物怖じする姿勢を見せずに聞き返した。
「それをお話しする前に、此度の目的を教えて頂けませんか? 薄々予想は付きますが、安易に断定するべきではない」
「何、簡単な事さ。我々も火界との共闘を望んではいる。だが、ヴリエ女王は消極的でね。協力を拒めなくする為の既成事実を作る必要があった。俺達が作った未発表の新兵器が秘密裏に火界に持ち込まれていると知ったら、敵方は火界を糾弾するだろう。否が応にも、俺達は協力せざるを得なくなる。それが目的だ」
「『敵』、ですか」
「そう。俺達の共通の敵――天界だ。だから、君とは仲良くなれると思うんだよ」
 ヴァカムの言葉を聞き、シャンセは反射的に眉を寄せた。その傍らで、今迄話に付いて来られず黙っていた火人達がざわめいた。
「天界が敵?」
「まさか、魔族か!」
「長、止めましょう。このままでは、我々は反逆者となってしまう」
 腰に提げた刀剣の柄に手を掛ける者まで現れたので、シャンセは速やかに否定した。
「違います。彼等は恐らく地界の住人です」
「は……あ……。成程、そういう……」
 火人達は呆気に取られて短い間静止したが、やがてシャンセの言葉の意味を理解して安堵の息を漏らした。天帝と地神の不和については、辺境生活が長い鍛冶の種族の耳にも届いている。足並みを乱す問題行動ではあるが、それでも地界は彼等と同じ《光》側の陣営だ。尚且つ《闇》側とは違って彼等は今迄事を起こさなかった。魔族よりは信頼出来ると言えよう。
 しかし、シャンセは火界しか見えていない鍛冶の種族の者達よりも相手の言葉を深刻に捉えていた。
「そこまで、状況は悪化してしまっているのですね」
「そりゃあな。両者とも譲らないから。どちらかが一歩でも歩み寄れば改善されるのかもしれないが、それを地界側に求めるのは酷というものではないかい?」
「それはそうかもしれませんが……。時に、貴方様は天界寄りの御立場と拝察しておりましたが、私の思い違いであったのでしょうか。今は天帝と懇意にしていらっしゃる風神様の下におられると伺いましたが」
「表向きの話さ。敵を欺く為の嘘だよ。当たり前だよなあ、私は『あの御方』の肉親なのだから。どうだい、安心したかい?」
「一向に。とは言え、状況は把握出来ました。私個人が地界と共闘するか、というお話については今は保留とさせて下さい。今日は置いてきましたが、仲間の意見も確認したいのです。火人族の動向については、彼等に直接お尋ね下さい」
 婉曲的に鍛冶の種族との距離感を含ませた言葉を吐いて、シャンセは火人達へと振り向いた。彼等は困惑の表情を浮かべて互いに顔を見合わせていたが、話を振られて返事をしない訳にはいかない。族長であるナルテロは咳払いをし、同胞にとって最も重要な質問を行うことにした。
「一つ、聞きたい」
「何だい、旦那さん?」
「お前達が本当に手を組みたいのは、焼物の種族か? 我等か?」
「本音を言うなら、何方でも構わないんだよ。今回の俺達の目標は飽くまでペレナイカだ。まあ、我々に好意的な者に力を持ってもらいたいとは思うけど? 逆にその辺り、旦那さん達はどうなんだい?」
 聞き捨てならない言葉に火人達は色めき立つ。血の気の多い者は、再び武器に手を掛けた。
「何ということを!」
「他神の眷族風情が、火神様の御名を呼び捨てにしおったな!」
「不敬であるぞ! 生かしてはおけん!」
「おっと、失礼。そうだった、そうだった」
 ヴァカムは引き攣った笑顔になり、両手を振る。その態度に心からの反省の色は見られない。火人達の怒りは治まる筈もなかった。一方、事情を知るシャンセは半ば呆れつつも仲裁に入った。
「武器を収めなさい。この御方は神ですよ。火神様よりも格は落ちるが、彼の女神がお許しになるのであれば、神名を呼んでも問題はありません」
「え?」
 火人達は固まった。静止している時間はヴァカム一行が地界の関係者であることを知った時よりも長かった。特に武器を握っていた者は、可哀想な位に青褪めていた。
「格下言うなよ。事実だけどさ……」
 ヴァカムの反論を無視し、シャンセはナルテロに詰め寄る。
「長、神の前で不用意に約束事をしない方が宜しい。その契約に未来永劫縛られることになりますからね。手を組むにしても、重々考えた上で行って下さい。今回は話を持ち帰るに留めた方が良いでしょう」
「あ、ああ……。しかし……」
 ナルテロは迷っている様子であったが、彼の考えが纏まるまでシャンセは待たなかった。ナルテロにこの局面を正しく乗り切ることは不可能だと踏んだのだ。
「構いませんね?」
 シャンセはヴァカムにも同意を求める。一応確認を求める形式を取ってはいるが、語気に有無を言わせぬ強引さがあった。神は思わず苦笑する。
「流石、天帝の元近侍長。神を捌くのに慣れてるねえ。まあ、良いよ。俺も今回の件を地神様にご報告申し上げなければならないだろうし」
「有難うございます」
「シャンセ」
 ヴァカムは神族らしく下々の者達を弄ぶ様な冷たい微笑みを浮かべて尋ねた。
「天人族の内通者については、聞かなくても良いのかい?」
 それが〈関門〉擬きの〈祭具〉に関する話だと気付くのに、賢者と呼ばれるシャンセでも少し時間が掛かった。ナルテロの発言から此方が把握している情報を推測したのであろうが、その件については直接触れなかったというのに善くも気付いたものだ。普段の彼の素振りとも頑迷な彼の上司の性格とも合致しない老獪さである。だが、こういった側近が居るからこそ、世間慣れしていない地神でも今尚高い地位に留まり、権勢を振るい続けることが出来ているのだろう。
「聞いたところでどれ程の意味があるか、ですよ。全ての事情を貴方がたが把握しているとは思えません。しかし、今の御言葉で地界側が多少なりとも天界の動きを意識しているということは分かりました」
「そうかい。そいつは良かった」
「寧ろ、今一番知りたいのは火界への侵入経路です。件の〈祭具〉の同型機、或いは完成版が存在するのですか? それとも正規の経路で? 〈関門〉を経由してこの無法者の街までお越しになったのであれば、監視が付いていないのは違和感があります。現状を見るに、貴方がたは入界審査を免れたに違いない。つまりは火界側に不正な手引きをした内通者がいる可能性があるということです」
「例の〈祭具〉も〈関門〉も使ってないよ。と言うよりも、《顕現》世界間の移動に〈関門〉を使っている者なんて殆どいないだろう。『真っ当な』神族の他には、眷族の王族や役人ぐらいじゃないのか。審査や手続きに時間が掛かり過ぎるからなあ。君が天界に居た頃と状況は何ら変わっていない……否、君も高貴な身分だから知らなかったのかな?」
 暗に世間知らずと揶揄されたシャンセは、内心むっとした。ヴァカムが語った事実は無論シャンセも知っている。だが、彼が主張する方法には一つ問題点があった。
「渾神にも気付かれずに?」
 シャンセの問いを聞いたヴァカムは、声を上げて笑った。
「意外だなあ。君もあんな噂を信じていたのか。本当に世界の狭間が渾界であるのだとしたら、あの性根の曲がった邪神のこと、面白がってもっと大勢の被害者を生み出していただろうよ。もし仮にあの話が真実であったとしても、気配を消して大勢の旅行者の中に紛れてしまえば、まず気付かれはすまい。皆、怖がり過ぎなんだよ」
 今迄とは打って変わって楽観的な見方である。渾神の神気に汚染されてしまっているのではないかと思える程だ。普段の彼の振る舞いには見合っているから、もしかしたら彼の血に混じる《風》の種族の気質に引っ張られているだけなのかもしれないが。
 ともあれ、次にヴァカムは意地の悪い笑みをシャンセへと向けて相手の反応を待った。シャンセの方はと言うと、愈々内心を隠し切れなくなって渋面を作る。相手の真意は定かではないが、彼は一先ず怪しい神から距離を置くことを優先した。
「長」
「ああ、分かっている。御前を失礼させて頂いても宜しいでしょうか、あの――」
「名はまだ伏せさせてもらうよ。本当に共闘することになったら、教えてあげよう。シャンセ、君も必要以上に騒ぎを大きくしたくなければ、彼にはまだ話さない様に。さて、今語るべきことは語り終えた。もう下がっても構わないよ」
 今迄とは違う不遜な態度にも、鍛冶の種族の長たるナルテロが顔を歪ませることはない。そこに気を向ける余裕もなかった。
「恐悦至極に存じます。それでは、これにて」
 別れの挨拶を述べつつも、名残惜しさがナルテロの中に生まれる。少しでも長く神の前に留まりたいという欲望と、一刻も早く神の前から離れたいという本能とが鬩ぎ合っている。だが、最終的に彼は自分を今まで生かし続けてくれた本能の声を選んだ。



2024.03.06 一部文言を修正
2024.02.28 文言を追加
2024.02.23 一部文言を修正
2024.02.18 一部文言を修正

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