機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  08-03、死の火山(3)



「うーん、まあ大筋は合ってるんだけども……。一応ペレナイカの名誉の為に補足させてもらうとね、彼女は止めたのよ、これ」
 アミュの話を聞き終えた渾神は、腕を組んで少し悩んだ末にそう答えた。アミュは怪訝な表情を浮かべて渾神の顔を見上げる。
「そうなんですか?」
「うん。火人族のことは殺したい程嫌っている筈なのにね。流石に見るに堪えないって思ったのかしら。で、一旦は廃止になったの。でもその後、無能と評された火人達は殆どが自ら命を絶ってしまったのよね」
「えっ! どうして……」
「『無能の罪』の制度がなくなっても概念は消えず、迫害が止まらなかったからよ。精神的に耐え切れなくなったり、同調圧力があったり。《火》の種族の性質――いいえ、これは生来のものとは少し違うわね。恐らくは彼等が置かれている環境も関係しているのだと思うわ」
 渾神は視線をリョリョオ山へと移す。燃え滾る火口は夥しい量の煙に隠れて見えない。不幸な環境故に他者を信じられなくなってしまった火精リョリョオの内心の様に。
「ペレナイカは戦にも通じるというだけで本当は戦神ではないのだけれど、正規の戦神が存在しない《光》側世界では、多才な彼女はその代替として扱われているの。だから、彼女の眷族にも強さが求められる。まあ、そうでなくとも火界の自然環境は本当に過酷で強くなければ生きられないからね。そういった背景から他の種族よりも『無能の罪』の価値観が根付き易かったんだと思う。尤も《闇》側に居る本物の戦神の親玉は弱者だからという言い訳を絶対に許さず、相手の心と骨がばきばきに折れても尚鍛え続け、最後には可能性や魂体まで粉砕してしまう肉体派だから、苦しむ時間が少ないだけ火人族の方がましなのかもしれないけど」
(それは鍛えているのではなく、唯の暴力だと思います)
 アミュの心中にそんな感想が浮かんだが、地上人族以外の価値基準は今一つ理解出来ておらず、また話を途中で切りたくはなかったので、口を噤むことにした。
「ともあれ明文化された制度としては既に存在していないのだけど、最終的には伝統や慣習という口実でほぼ同じものが復活してしまったって訳。そこでペレナイカも完全に匙を投げちゃったのよね。やってらんないって。見兼ねた天帝が圧力を掛けたり力尽くで止めようとしたりと色々やったんだけど、結局それも上手くいかなくて、最終的には『要経過観察』という名の放置状態に至ってしまったのよ」
「そんな……」
 脳裏に優しくて気の利くヴリエの姿が浮かぶ。立場の違う複数の者が言っているのだから、この件が誤解である可能性は低いのだろう。だが、真実を聞いても彼女がその様な恐ろしい行いをする人物であるとは信じ難かった。どの《顕現》世界へ行ってもアミュに厳しい者が多かった中で、ヴリエは数少ないアミュに優しくし接してくれた希少な存在だった。やや強引な所はあるが、己が力と立場に奢ることなく他者の痛みを理解出来る人なのだろう、とアミュは気を許しかけていた。それなのに――。
「で、貴女は如何したい?」
「え?」
 唐突に渾神の口から放たれた問い掛けの意味が分からず、アミュは身体を硬直させる。想定通りの反応を見た渾神は、今度は相手が理解出来る様に噛み砕いて説明した。
「今、貴女の側には私という力があります。その力を使って彼等を救うことが出来るかもしれないし、出来ないかもしれません。結末は貴女の行動で決まります。さあ、貴女はどの様に動く?」
 漸く渾神の考えを理解して、アミュは思わず息を呑んだ。どうして神々は卑小な自分にその様な大それたことを聞くのだろう。自分に何を求めているのだろう。胸の内に沸き上がる形容し難い感情が、痛みとなってアミュを襲った。
「如何したいか、というのは魔神様にも聞かれました」
「うっ、そうなんだ……。何て答えたの?」
「答えを出す前に、渾神様が来られたので……」
「ああ、成程ね。答えは決まった?」
 アミュは一瞬言葉に詰まったが、はっきりとこう答えた。
「もう少しだけ考えたいです」
「即答は出来ないのね」
「はい。申し訳ありません」
「良いのよ。こういう事態に慣れていないものね」
「はい……」
 嘘だ。返答内容は既に決まっている。『無能の罪』の不文律を主導しているのは、恐らく火人族の女王ヴリエ・ペレナディアだろう。そして、アミュは今彼女の城に居候している身だ。アミュ自身に戦闘能力はなく、渾神は時々不在になることがある。シャンセ達は行方不明で、共闘を申し出ている魔神は今一つ信用ならない。となると、保身の為にヴリエの心証を損ねないのが最善だ。つまりは、あの監獄に居る人々は見捨てるべきなのだ。そもそも自分のことで手一杯なのに、如何して赤の他人を救ってやらねばならないのか。救われたいのは自分の方なのに。
 随分と興奮していたのだろう。隠し切れない情動は目に現れた。その目を見てアミュの心情を察した渾神は少しだけ俯く。彼女の意見を尊重する素振りを見せつつも、渾神はきっとこの決断を喜びはしない。彼の女神が変化を――それも良い変化を望むが故に。アミュが本心を言わない原因は、正にこの容易に想像し得る意見の不一致であった。渾神は彼女の守護神である様に見えるが、何時此方に牙を向けるかも分からない猛獣でもあるのだから。
 しかしアミュの憂慮に反して、相手の秘めた思惑に気付きながらも渾神は強引には正さなかった。
「ただ、緊急時ではなく貴女に充分な力が備わっていた場合には、今の貴女の判断は間違いなのだと知っておいてね」
 渾神の言葉は時折アミュにとって難解だ。真意に気付かないまま、彼女は「分かりました」とだけ答えた。自分にとって好ましい話ではなかったので、理解することを無意識の内に拒んでいたのかもしれない。
「ところであの、魔神様ってどんな方なんですか? 村の言い伝えでは聞いたことがあるのですが、地上界の神話は余り当てにはならないから……」
 アミュはそれとなく話題を変えようとする。すると、渾神はあからさまに不快そうな顔をした。
「何、気になるの? 駄目よ、あんなのに関わっちゃ。優し気に見えても、本当に取り扱いが難しい悪餓鬼なんだから。私でさえ振り回されて苦労しているのよ」
「いえ、あの……怪しい方だとは思うのですが、不意打ちで何度も接触して来られるので、自衛の為の情報が欲しくて」
「そりゃそうか。因みにシャンセは何て言ってたの?」
「《闇》側世界の高位神で、神戦の原因となった神様としか。後は凄く性格が悪い、とも言っていました。でも、余り魔神様について話したくなさそうでした」
「それだけ? 駄目じゃないの、シャンセ先生。まあ、話題に出す度に強い縁が出来て、世界の端からでも瞬間移動してくる可能性があるから仕方ないのかしらね。否、だとしても根性のない……」
 渾神は深々と溜息を吐いた。一瞬だけ瞼を伏せたが、直に穏やかな微笑みを作ってアミュの目を見返す。
「良いわ。もう彼との繋がりは充分に出来てしまっているだろうし、状況的に今直蜻蛉返りしてくることはないと思うから、私が教えてあげましょう。魔神シドガルドについて」
 彼が何かしら普通ではない経験をしてきた神であることは、アミュも薄々感付いていた。故にアミュは神妙な面持ちになり、大きく息を吸い込んだ。



前話へ 次話へ

楽園神典 小説Top へ戻る