機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  08-01、死の火山(1)



 火界産の赤黒い煉瓦で造られた建物の中で黙々と書類仕事を熟していたナルテロの許に、同胞の中では比較的上等な鎧を纏った年嵩の戦士が訪れた。若い戦士達を取り纏める隊長格の一人である。彼は暗い表情をして机の前で膝を突くと、顔を伏せたまま報告をしてきた。
「長、バウパの件ですが」
「どうした。持ち直したのか?」
「はい。容態は安定して生命の危機は去ったそうです。ただ、医師の話では負傷の度合いが酷く、里の医療環境では完全な回復は見込めないとのことでした。恐らくは生涯半身不随となるであろうと」
「そうか。ならば最早戦えまい。何時もの通りに」
「畏まりました」
 隊長は相変わらずの表情であったものの、冷淡な対応をするナルテロに対して否定的な態度は一切見せないまま執務室を去って行った。
 彼が去り部屋が静かになると、ナルテロは筆記具を置き溜息を吐いた。そして――。
(不心得者めが)
 胸の内でバウパという若い戦士を責めたのであった。


   ◇◇◇


 アミュが連れてこられたのは、火人族の都が辛うじて目視できる程度の距離にある山岳地帯の上空であった。寄り集まった山々の内の一つは非常に大きく山頂が丸く窪んでいる。窪みからは絶え間なく煙が立ち上っており、アミュ達の居る場所からは内部の状態は窺えなかった。魔神は物知らずなアミュに「あれは火山だ」と説明した。山の地下に赤く燃え盛る柔らかな土があって時折山頂から噴き出すのだ、と。
「今私達の足下に見えているのが、火界で三番目の規模を誇る火山――リョリョオ山だ。君が滞在している火人族の王城があそこ、火神宮殿はちょっと離れてあの辺だね」
 魔神は楽し気な様子で遠くの方を指差す。逆に、不審な神によって知らない場所へ移動させられ、且つその神の〈神術〉で人生において一度も体験したことがない程の高所で浮遊させられているアミュは、がたがたと身を震わせていた。
「ど、どうして、こんな所、に」
 なけなしの勇気を振り絞って、彼女は声を絞り出す。その臆病さに魔神は思わず苦笑するが、何れ慣れるだろうと考えて構わず話を続けた。
「山の中腹にある建物が見えるかい?」
「見えますけど……」
 魔神が指差した場所は火山の麓だ。赤黒い大地の上に灰褐色の建物が四つ置かれ、地面と同じ色の高い壁が周りを囲っていた。
「あれはね、牢獄なんだよ。これから処刑される重罪人の終の棲家なんだ」
「え?」
 図らずもアミュの身体の震えが止まった。目は大きく開かれ、魔神の顔を凝視している。すると、魔神はしてやったりという表情になった。
「あの建物に一定数の火人が集まるとね、全員が山の頂上まで牽いて行かれて火口へ放り込まれるんだ。嘗て火侍でもあった火人族の王女は、地神との間の子として炎を内包する岩を産み落とした。意志を持たずに生まれてきたその岩は、火界の大地に投げ捨てられて火山へと変じ、やがては火山を媒体に精霊の魂が《顕現》してこの地に宿った。それがリョリョオだ。火の川の熱に耐え得る火人族の強靭な肉体も、神の類縁たる火精リョリョオの血潮には勝てない。骨すら残らない。処分場には持ってこいなんだよ。当のリョリョオとっては迷惑な話なのだろうけどね。大切なお祖母様からの頼み事だから、無下に断ることも出来ないらしい」
「処分って……」
「問題はその罪状だ。彼等は皆同じ罪を犯してあそこに放り込まれるんだよ。何だと思う?」
「分かりません。貴方が楽しそうだということしか」
 アミュは眉を寄せて視線を逸らす。火界で再会した時から、屡々彼女は魔神に対して棘のある言動を向けてくる。魔神は僅かではあるが困惑した。遣り辛いとも思った。
(出会ったばかりの頃は素直で猜疑心の少ない人物だと思ったのだけど、これが彼女の素の状態なのかな)
 しかし、困りつつも魔神は笑顔を崩さない。
「傷付くなあ。機嫌直してよ。後でちゃんと解放してあげるからさ。……まあ、良い。時間も押してるから、答えを言おう。彼等が犯したのは『無能の罪』だ」
「……嫌な名前の罪ですね」
「地上人族出身の君は、他種族から同様の指摘をちらほらと受けたのではないかな? 『地上人は無能』だとか、『無知』、『無力』だとか。火人達にとっては、それは何よりの重罪なのだよ」
「……」
 益々不快そうな顔をしてアミュは押し黙る。気持ちは分からないでもない、と魔神も思った。だが、事実は事実として受け入れてもらわねばならない。全てを知った後でアミュがどの様な行動に出るかは別としてもだ。
「初めに『無能なる者』の概念と処刑制度を作ったのは、天帝ポルトリテシモの前の神族の王――光神プロトリシカだった。《光》の《顕現》神に相応しく奴は基本的には美しいもの、輝けるもの以外を認めなかった。理神や闇神の諫言には一応耳を貸す振りはしてみせるものの、根本的には理解すら出来ていなかったんだ。生まれたばかりの《顕現》世界が不安定で、災厄が多くあったことも奴に味方した。それを口実にあの男は、大半の者から見れば罪のない哀れな者達を『足手纏いだ』と言って世界から消していったんだ」
 視線を火口へと向けた魔神の顔からは、何時の間にか表情が消えていた。負の感情すらも浮かんでいなかった。しかし、アミュには何となく彼が機嫌を損ねているように感じられた。
 少しだけ思い出に耽る時間を置いた後、彼は再び口を開いた。
「だが、神戦で負った傷が基で光神自身が『無能なる者』に零落れて姿を消してからは、殆どの《顕現》世界でその制度は廃止された。『世界に貢献できない無能なる者は確かに消えるべきだが、全ての存在は多かれ少なかれ例外なく世界に影響を及ぼしている。故に、実質完全な無能者など存在しない』と言うのが天帝達の方便だった。まあ、それについては私も完全に同意なのだけれど、どうやら火界の住人は違ったらしい。天人族のことはやれ選民思想だ傲慢だと散々に罵る癖に、彼等自身の内幕はこの有様だよ。実にみっともないことだとは思わないかい?」
 因みに、リョリョオが生まれたのは神戦終結よりずっと後のことなので、それまでは別の処刑方法を用いていたらしい。しかし、アミュからすればその様な補足の話はどうでも良かった。
「火神様……あの怖い神様がこれを命じているのですか?」
「いいや。でも、原因の一端は彼女にもある。火神は火人族を嫌っている。すると、火神に生み出され彼女への奉仕を至上とする火人族は存在意義を失ってしまう。だから彼等は火神からの信頼を取り戻すことに必死になり、ある時は彼女の信頼を得た他者を排除し、またある時は自身を磨き上げる為に骨身を削る。そして、その『自身を磨き上げる為』の手段の一つが『無能の罪』という思想なんだ」
「それが魔神様の仰っていた『神族への依存から抜け出せない者の末路』と」
 魔神は短く声を上げて笑う。
「おや、覚えていてくれたんだね。まあ、この件も一例だよ。問題は他にもある。自らを補助する道具として創り出した種であるが故に、火神は火人族のことを道具程度の存在と見做している。否、思い通りに動いていないから道具以下か。だから、天帝という枷がなくなれば彼女は確実に火人族を滅ぼすだろう。そして、いざその時が来たら火人達は恐らく死を拒まない。困ったことにね。彼等は抵抗する意思も能力も持たないから」
「そんな……」
「他人事じゃないからね。流石に君は納得して破滅を受け入れるような人ではないと思うけど、状況的には渾侍である君と渾神の関係も似た様なものなのだよ。地上人族も然り。地神は君達のことを滅ぼさんとする程には嫌っていないみたいだけど、あの情緒不安定な性格だ。何時何が起こってもおかしくはない」
 アミュの思考が一瞬止まる。聞き覚えのある話だった。何処で聞いたか記憶を探ると、つい最近地上界のカンブランタ王国跡で殺神リリャッタが発した言葉に思い至った。

 ――か弱い地上人達は何時の日か他種族の気紛れによって完全に滅ぼされるのではないかと思ったのよ。

 まだ新しい記憶であるが故に、口調や表情まで有り有りと脳裏に浮かぶ。
(リリア様の判断は、取り越し苦労ではなく正しかったということなのか。だったら、私が死ぬべきいうあの方の言葉は――)
 考えるだけで胸が苦しくなる。そんな筈はない、余りに理不尽ではないか、と心身共に強く拒絶する。
(私は何も悪いことなんてしていないのに!)
 アミュは衣服の胸元を強く握り締めた。すると魔神は彼女の内心を見抜いて、にやりと笑みを浮かべた。そして、彼女に尋ねた。
「君はどうしたい?」
「え?」
「間もなく死に行く彼等のこと、侍神の力を得た自分のこと、神という危険な存在に由来する力に依存し続けること。君はどう考え、どの様に行動する?」



2024.01.06 誤字を修正

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