機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  07-01、地上人(1)



 深夜、火界南西部――。
「うーん、どうしたものか」
 アミュを発見した火の川の近くへと戻って来た渾神は、漸く鍛冶の種族の集落を探し出す。シャンセの気配もそこにあった。火人族の王城で周辺の地図を貰っていたが、記載された位置から移動していた為、余り役には立たなかった。
 少し離れた場所から〈千里眼〉で中の様子を窺って、渾神は首を傾げた。今は平時であるにも拘らず、この辺境の里では真夜中でも物々しい装いの戦士達が闊歩している。初めはシャンセを警戒してのことかと納得しかけたが、軍備の様子を見るに彼が来てから急いで取り寄せたものとは考え難かった。また、当のシャンセが比較的良好な環境で過ごしていたので、この里は以前から戦の準備を行っており、戦力増強の一環として彼を迎え入れたのだと渾神は推測を立てた。
 不可解なのはシャンセの動きである。
(脱出の為の下準備を行っている最中なのか、それとも何か別の考えがあるのか)
 少なくとも渾神の見る限りにおいては、シャンセが行動を起こした様子がない。此方の神気にも気付いているだろうに反応もしない。渾神は彼の心中を推し量ろうとした。彼女に対する敵対行動かとも考えた。だが、やがて判断材料となる情報が足りないとの結論に至った。
「本当は直にでも連れ出したい所だけど、下手に動いて予想だにしない事故が発生しては困る。少し様子を見ましょうか」
 渾神は腕を組んで眠った振りをしているシャンセから視線を遠ざけた。


   ◇◇◇


 同じ頃、アミュは布や家具に染み付いて消し切ることの出来なかった香の臭いに鼻を刺激され、浅い眠りから目を覚ました。徐に上半身を起こして目を擦りながら周囲の様子を窺う。そこで傍らに居るべき者が存在しないことに気が付いた。
「渾神様?」
 隣の寝台で横になっている筈の渾神の姿がないのだ。つい数日前に来たばかりの不慣れな場所に一人で取り残されたことを知り、アミュは青褪めた。今、火人族に裏切られたら、彼女には身を守る術がない。
 焦燥感に襲われたアミュは渾神を探そうと寝所の扉を開けた。しかし、問題が生じる。扉の外には見張りの兵士が立っていたのだ。二人の兵士は即座に反応し、用向きを尋ねてきた。止む無く彼女は渾神の所在について尋ねる。兵士達は渾神が部屋から抜け出たことに全く気付いていなかった。
 慌てて寝所を確認した兵士達は、アミュの言葉が事実であることを知って一層動揺する。そんな彼等に、アミュは「渾神を探したい」と申し出た。脱走が失敗に終わって監視も付くだろうが、兎にも角にもこの場所で一人で居たくない、早く信用出来る者と合流したいという思いが強かったのだ。兵士達は対応に困るといった表情で互いの顔を見合わせたが、やがて上官の承認を得て――護衛と言う名の監視役を付けるという形ではあるものの――アミュの希望を聞き入れてくれたのであった。


 王城内部の廊下は規則的に設置された照明のお陰で何処も明るかったが、夜という時間帯であったので影もやや濃かった。だが、不思議と不気味さは感じられない。この城が持った異国情緒故であろうとアミュは漠然と思った。
 凝った作りの調度品の間を少女は知り合ったばかりの兵士と共に速足で進む。両者の間に会話はない。彼女から話しかければ相手は答えてくれるのかもしれないが、必要性を感じなかったのでそうしなかった。
 暫くして広間と思わしき開けた場所に出る。これまでとは違って家具類は少なく、壁一面に陶板画が飾られている。その内の一枚の前に、宝石のない金色の装飾品と細やかな金糸の刺繍が施された深紅の衣装を纏っていた女性が、背後に数名の侍女を伴って立っていた。
(女王様だ。何してるんだろ?)
 ヴリエ・ペレナディアはアミュを見付けると一瞬驚いた顔をしたが、直に朗らかな笑顔を作った。
「おお、渾侍様。この様な遅い時間にどうなされました?」
 人と話すことに慣れていないアミュは、反射的に視線を下げてヴリエに尋ねた。
「目が覚めたら渾神様がいらっしゃらなくて……。あの、どちらに行かれたか御存じありませんか?」
「申し訳御座いませぬ、私は何も。お探し致しましょうか?」
 取り繕ってはいるものの、渾神の不在を知ったヴリエの目には焦りの色が浮かんでいる。寝所を守っていた兵士達と同じだ。如何に渾神が災厄の女神として恐れられているかを示す態度である。恐らくは返答内容に関係なく、ヴリエは城中の人間に渾神を探すよう命じるであろう。事ここに至って、漸くアミュの中に自省する気持ちが湧いてきた。騒ぎを大きくし過ぎてしてしまった、渾神の背中を刺す行いをした、と。もしかしたら、渾神に悪気はなかったのかもしれないのに。
(きっと朝には帰って来るよね)
 アミュはそう自分に言い聞かせて、一先ずヴリエの警戒心を解くことを優先した。
「いいえ、多分大丈夫だと思います。遠出されるなら、私に何か言い残していかれると思いますので。きっと城の中を散歩していらっしゃるのでしょう。こちらこそご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」
 そうして、アミュは視線をヴリエが見ていた肖像画へと向ける。美しく整えられた赤い結い髪と、髪色と同系色の上品な衣装が特徴的な若い女性の絵であった。
「綺麗な方ですね」
 渾侍の身分であっても主神とは違ってアミュは嘘や謀に慣れていない。彼女の行動にヴリエの意識を渾神の不在から反らす意図あることを隠し切れない。案の定、ヴリエは相手の真意に気付いて困り顔を見せたが、肖像画へと視線を戻すと自然と穏やかな笑みが零れた。
「娘です。嘗ては火侍も務めておりました。同じ侍神の方にそう言って頂けると、きっとこの子も喜ぶでしょう」
「今は違うのですか?」
「もう随分と昔に地神様の御目に止まり、火侍を辞して地界へ嫁いで行きました。ですが彼方の環境が合わず、徐々に身体を悪くしていった様です。それでも何とか地神様との間に御子を儲けることが叶ったのですが、産後に容体が急変して今度は冥界へ送り出すことになりました」
「ご免なさい! 私、余計なことを……」
「宜しゅう御座いますよ。本当に長い年月が経って、私も忘れ掛けておりました。貴女様がいらっしゃって、漸く思い出せた位なので御座います」
 暫く両者とも無言で肖像画を見詰めた。背後で控えている使用人達は暗い表情をして顔を伏せている。重苦しい空気だ。しかし、不謹慎にもその空気は気まずさではなく、異邦を訪れた時に感じる新鮮味や疎外感をアミュに与えていた。会話している相手は目の前に居るのに、相手の話を聞く自分の心は何処か遠い所にある。火界は本当に不思議な場所だと彼女は思った。
 やがて、ヴリエが口を開いた。
「時に、渾侍様は地上人族の御出身であられるとか。地上界では人族の成り立ちはどの様に伝えられているのでしょう。差し支えなければ、お教え頂けないでしょうか?」
「はい。でも、多分間違った知識だと思いますよ」
「構いませぬ。今の地上人族の状況を知りたいのです」
「分かりました。では――」
 ヴリエの考えが見えず困惑しつつも、アミュは生まれ育った村の年寄り達から伝え聞いた「人間」の歴史を話した。地上界には複数系統の創世神話が存在するが、彼女が語るのは聖都サンデルカから広まった地上人族の間で最も良く知られたものだ。
 まず、人間は天帝によって生み出されたと伝えられている。数人の男女が創られ、神々からの祝福を受けた後に地上の楽園を与えられたと。地上以外に人間はおらず、天人の存在は知られているものの、彼等は人ではなく精霊に近い扱いであった。神々や天人は地上の住人の幸福と繁栄を望んでおり、度々大地に降り立っては助言や恩恵を与えてきた。――という風に地上界以外で伝わる歴史とは異なる点を強調して話した。
「それが地上人族の知る『歴史』で御座いますか」
「はい。でも、これは間違った内容なのですよね。シャンセさんに教えてもらいました。私達を創ったのは地神様で、創り主や他の種族に疎んじられて地界の辺境に追いやられたのだと」
「シャンセ殿は随分と酷なことをなさる……」
 ヴリエは表情を曇らせた。アミュも釣られて下を向く。今度こそ本当に気まずい沈黙が場を覆ったが、その時間は長くは続かなかった。
「我等火人族にとっては、『明日は我が身』なのかもしれませぬな」
「え?」
「人族は神族に奉仕する召使として生み出されました。それ故に、我々には生来その職務に相応しい能力が与えられております。ですが、数が多いと必然的に不具合――つまりは規格に合わぬ者や神意に添わぬ者も増してゆくもの。地上人族はその一例で御座いました。彼等は幾度となく自分勝手に振舞って詰らぬ事件を起こし、やがて少なくない数の犠牲者を出し、それらの報いとして地上界へと追放されたので御座います」
 ヴリエは肖像画の中にいる娘に手を伸ばした。指の先から伝わってくる質感は生物の肌のものではなく、体温は冷たい。
「火人族は如何なのでありましょうな。我が娘が退いて以降、火侍位を頂いた火人はおりませぬ。我々は火神様を失望させてばかり。何れは地上人族と同じ道を辿るのではと……」
 掠れた声音を聞きながら、アミュは嘗てシャンセに教わった知識を呼び起こした。
(確か火神様と火人族は仲が悪いんだっけ)
 アミュはヴリエの表情を窺った。すると、予想に反して彼女の表情は再び貴婦人の笑顔へと戻っていた。
「申し訳御座いませぬ。不快な話を致しました。何であれ地上人族には希望が――貴女様がいらっしゃる。復権の日は近いのやもしれませぬな」
 世辞のつもりか、極端に大きな話をした。アミュは思わず「私はそんな……」と呟いて俯く。ヴリエは彼女の消極的な姿勢を謙虚で好ましいと思った様で、それからもアミュを持ち上げる発言を続けた。「今迄自分の周りには存在しなかった気質の人物」とも言っていたので、彼女に対して好奇心が湧いたのかもしれない。そんなヴリエの勢いに圧倒されて、アミュも火人族の臣下達も先程見せられた女王の弱気はすっかり忘れてしまった。



2023.11.27 一部文言を修正

2023.11.19 一部文言を修正

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