機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  01-01、別離(1)



 風界某所――。
 人気のないこの場所に二人の男女が相対していた。先にここへ訪れたのは男の方であった。現在彼を庇護下に置いている者の住まいを訪ねたのだが、使用人から相手が急用で出掛けてしまったと聞かされ、止む無く帰宅する途中にふと立ち寄ったのである。そして、彼が休息している所へ背後から現れたのが女の方であった。
「元火侍のスティンリアだな」
 金色の髪と瞳、透き通るような白い肌――典型的な白天人族の特徴を持つその女の声は、女性にしてはやや低く武人らしい張りがあった。スティンリアと呼ばれた氷精は、彼女の武装に目を遣りながら尋ねた。
「貴女は?」
 此方は相手を突き放す様な冷ややかな声だ。《氷》の精霊に相応しい有り様だが、素っ気ない態度は彼の気質から来ているものではない。
「そう、警戒しないでくれ。私は氷侍ブリガンティ・カンディアーナ。白天人族の第四王女であり、侍神候補時代の君の同期でもある。私の顔を覚えているかな?」
 名を聞いてはっとした表情になった後、スティンリアは俯いた。
「申し訳ございません、ブリガンティ様。朧気ながらに記憶はあるのですが、それは恐らく――」
「私に化けた火神様の顔、か?」
「ご存じでしたか」
 侍神選定の折、氷神を嫌っていた火神は、次期氷侍と目されていたスティンリアに対して些細な嫌がらせをしようと考えた。警戒されないように同期であるブリガンティに化けて、火神は彼に近付く。だが、スティンリアと触れ合う内に彼のことが気に入ってしまった火神は、周囲の忠告や元々天帝の意向で火侍に内定していたブリガンティの存在を無視して、彼を自らの侍神に据えてしまった。――ということに表向きにはなっている。実際には、後半部分が真実とはやや異なっていた。
「一応、当事者の一人だったのでな。君が火侍になった本当の経緯は聞いている。止むを得ない措置だったと。恋多き方故、おかしな噂が出回っているようだがね。否、恋着自体は事実の様だが……。時に、君は戦後生まれかな?」
「天人大戦以降の生まれです」
「ふむ。ならば、これは知っているかな。火神様は、嘗て戦神の一柱にも数えられていたのだよ。将でありながら前線に趣き、手弱女の様な見た目でありながら次々と容赦なく敵を屠る。猛き神であり、冷徹な神でもあったのだ。荒ぶる《火》の性質、あの御方の中には間違いなくそれがある。眷族も同様だ。その為か、火神様の身辺では暴力沙汰が非常に多い。君の前任の火侍も被害者の一人だ」
「唯それだけの御方ではありませんよ、火神様は」
「おや、あの御方に失望して火侍を辞したと聞いていたが、思いの外、君は火神様を評価しているのだね。ああ、勘違いしないでくれ。私は君や火神様を批判している訳ではないのだよ。ただ、《元素》の性質の話をしているだけだ」
「……」
 スティンリアは苦い顔をした。ブリガンティは暗に彼を責めているのだと感じたからだ。彼女は自分が逃した役職を惜しんでいるのだと。《氷》は《火》よりも一つ格が落ちる。それに《光》に近く武闘派種族でもある白天人族と相性が良いのは、《光》の特性の一部を内包し戦に役立つ性質も持つ《火》の方だ。無理からぬことだろう。
「話の続きをしよう。君の前任、オイロセの件。関係者が《火》の種族だけなら、火界内部で処理させた問題だったのだろうが、残念ながら彼は木精――《木》の種族だ。火界の要職に就いたとは言え、他の高位神からの借り物に危害を加えた火神様とその眷族を危険視された天帝様は、彼等に監視を付けることをお考えになった。そこで監視役として選ばれたのが、天帝様の眷族の一人である私だった訳だ。君が事も無げに捨てた地位は、本来私が座る筈の場所だったのだよ。さて、ここで漸く本題だ。受け取りたまえ」
 ブリガンティは唐突に、腰に提げていた二振りの剣の内の一つを鞘ごと紐から引き抜き、投げて寄越した。スティンリアは音を立てながら足元に転がってきた剣を拾い上げると、眼前で少しだけ鞘から抜いてみた。真剣である。
「どういうつもりですか?」
「無論、その剣を使って私と試合しろということだ。火神様ともやったのだろう? 余計な仕込みはしていないから安心すると良い。私は純粋に力試しがしたいのだよ」
「見せしめの為ですか。貴女より能力の劣る私が、正当ではない理由で貴女を押し退けて火侍となったから。決して許されるべきではないと」
「まさか! 私は君の能力を疑ってはいないぞ。火侍就任以前に侍神選定に上がってくること自体、力無き者には困難だからな。それに天帝様の御助力があったとは言え、君は長きに渡って荒くれ者の《火》の種族を見事に抑え込んできたじゃないか」
「だったら――」
「これは私の個人的な気持ちの整理に必要なのだよ。付き合わせて悪いがね!」
 言い終わるが早いか、ブリガンティは腰に差していた残りの一振りを抜き、振り被った。その動きを見たスティンリアも慌てて剣を引き抜き、前方に構える。直後に耳障りな金属音が響いた。


 その後、両者は何回か切り結んだ。お互いに刃を身体には当てていない。当てようとしないのではなく当てられなかったのだ。だが、全くの互角という訳ではない。息を乱し余裕のない表情を浮かべるスティンリアに対し、ブリガンティは全くの無表情であった。まるでブリガンティ自体が意志を持たない兵器の様に見えて、スティンリアは相手を不気味で恐ろしいものの様に感じた。
(火神様程ではないが、この人もそれなりに強い。流石は戦闘種族と名高い白天人族の王女だ)
 スティンリアが舌を巻いた辺りでブリガンティは何故かにやりと笑い、構える剣ごと彼を後ろへ押し退けた。それから、一呼吸置いて自らの剣を鞘へと収めた。試合終了の意思表示だった。
「ふむ、悪くはない。少なくとも他の氷精よりは断然良い」
「よく仰る……」
「成程、君の実力は良く分かった。満足だ」
「そうですか」
 スティンリアは深々と溜息を吐いた。ブリガンティの印象は「勇ましい女武将」が一番強いが、気紛れで周囲を振り回す「お転婆なお姫様」の面も覗いている。白天人達の甘やかしが透けて見えた。文句の一つも言ってやりたいが、侍神位を降りた一介の氷精にとって彼女は雲の上の存在である。故に、スティンリアは溜息だけで終わらせて口を噤んだ。
 そんな彼に対し、ブリガンティは不躾に聞いた。
「スティンリアよ。一応聞いておくが、君はもう火侍に戻るつもりはないのだな? 氷神様の許にも。火神様の方は君を探しているようだが」
「ええ」
 迷いなくスティンリアは答える。ブリガンティは苦笑した。そして、少々火神を哀れに思った。
「ならば良い。私は次の火侍に立候補しようと思っている。天帝様のご命令ではなく、私自身の意志で。氷侍の後任候補も既に用意してある。君に勝負を挑んだのは、私にその実力があるのか知りたかったからという理由もあった。ははっ、実に満足のいく結果だったよ」
「それは……」
 薄々気付いてはいたが、漸く後を付けられていたことを確信したスティンリアは、訝しむような顔でブリガンティを見た。彼女の為人と目的は少しだけ見えてきた。彼に対し悪意がないのは分かる。しかし、まだ彼の中には警戒心が残っていた。スティンリアの心情を察したブリガンティは、彼の心を緩めるように片目を瞑ってみせた。
「とは言えだ。あの御方は一筋縄では行くまい。まずは献上品をと用意した物がある」
 ブリガンティは踵を返し、離れた場所に置いていた手荷物の許まで歩いた。膝を突いて鞄の中を探ると、丸められた紙の書簡を一つ取り出す。
「君にはこれが何か分かるかな?」
 振り返って、ブリガンティは尋ねた。今度は悪戯っ子の少年の様な動きだ。スティンリアは益々不信感を強めながら、筋張った手に握られた書簡を見た。



2023.06.28 誤字を修正

2023.06.17 一部文言を修正

2023.06.14 誤字を修正

2023.06.11 誤字、一部文言を修正

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