機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  26、死出の旅



 話は凡そ千年前、カンブランタ王国の滅亡直後に戻る。
 暗い暗い、完全な暗闇よりは少しだけ明るい道をティファズはとぼとぼと歩いていた。周囲には沢山の人の形をした黒い影があり、その全てがゆっくりと同じ方向へと歩を進めている。彼女はそれらが今日カンブランタで死んだ人々で、今居る場所が冥界へ続く道の途中なのだと本能的に理解した。探せばタルティナも見付かるかもしれない。だが、ティファズはそうする気にはなれなかった。只々気分が重かった。
 そんな中――。
「ティファズ様」
 穏やかな声音で彼女を呼び止める者がいた。声のした方へと振り向くと、そこには見知った顔があった。アージャである。彼の背後には腕を組み、しかめっ面をしたセケトも居た。
「お待ちいたしておりました、ティファズ様」
「アージャ」
 アージャは影ではなく、生きていた頃のままの姿をしていた。亡骸に無数に刻まれていた傷は存在せず、身形も整っている。セケトも同様であった。彼等だけがその様な姿に見えるのは、ティファズ自身の期待や恐れが反映されているからなのではないかと考え、彼女は少しだけ悲しいような空しいような気持ちになった。
 次にティファズは、何故彼等が自分を待っていたのかを考えた。これには直に思い当たった。
「さぞかし恨んでいるのでしょうね。貴方達を利用し、滅びに導いた私を」
「いいえ」
 アージャは一瞬辛そうな表情を浮かべはしたものの、首を横に振って否定した。
「私に貴女を恨む資格はありません。私が自分の意志で選んで、勝手に失敗したのですから。私も同罪なのです」
「アージャ……」
 ティファズは人混みを擦り抜け、アージャに近寄る。暫し見詰めあった後、彼女は気まずそうに俯いて唐突にこの様なことを言った。
「恋を、していたという訳ではないと思うのよ」
 アージャが死んでから、時折頭を過った事柄だ。何故、自分は彼の死に酷く衝撃を受けたのか。何故、彼の支持者を必死に守ろうとしたのか。自分はひょっとして彼に気があったのではないか。だから、ここまで心を揺さ振られたのではないか、と。だが何時も、それは違うと否定した。彼女の中に存在していたのは、常に自己中心的な罪悪感のみであったのだと。
 そういった経緯を語らずに先程の言葉だけを発したので、アージャは初め彼女が何を言っているのか分からずにきょとんとしていた。しかし、ややあってティファズの思いをほぼ正確に把握する。その後に彼は苦笑した。
「存じ上げております。貴女はきっと人が良いだけなのですよ。だから、根っからの悪人にはどうしてもなれなかった」
 ティファズは目を見開いて顔を上げ、やがて泣きそうな表情になった。宝石の様に輝く目から真珠の様な涙が零れ落ちた。
 その時、背後で様子を窺っていたセケトが、弟の肩に手を置き声を掛けた。
「アージャ、そろそろ……」
「分かっていますよ、兄上。あと少しだけ」
 アージャは両手で顔を覆って俯くティファズに手を差し伸べた。
「共に行きましょう。私達があるべき場所へ」
「仲間に入れてくれるの?」
 ティファズは幼子の様な舌足らずな口調で尋ねる。
「何を仰いますか。私達はとっくに仲間だったでしょう?」
 アージャは雑念の混じらない綺麗な微笑を浮かべて答えた。あれ程辛い目に遭ったのに、自身の不幸の元凶であるティファズにさえ彼は優しかった。
 ティファズは涙を拭い、ありったけの笑顔を彼に返した。
「ありがとう」
 終始仏頂面だったセケトが二人の前に立ち、アージャは手を握ったティファズを導くようにして、彼等は数多の影の中に混じり影の一つとなって再び歩み始めた。
 前方に現れた冥界の入り口は、ティファズの故郷である昼の都の様に眩い光を放っていた。



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