機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  01-02、別離(2)



 同じ頃、天界の中心部にある天宮の敷地内に設けられた貴賓館の一室にて、火神ペレナイカと天帝ポルトリテシモが間に背の低い卓を挟み、向かい合って腰掛けていた。両者共に平服を身に着けており一見私的な会談の様に見えるが、仕事絡みである。ただ、これから天帝が火神に話そうとしている内容には私的なものも含まれていた。
「暫くぶりだな、ペレナイカ。侍神選定以来か」
「ええ」
「何故私がお前を呼び出したか、分かるか?」
「勿体ぶった言い方をしないで、早く用件を言って頂戴。私、忙しいのよ」
 不機嫌そうな顔で火神は自らの爪を見た。長く整えられた彼女の爪には細かな装飾が施されており、武器を握り命を刈り取っていた頃の名残は全くない。見る者が見れば、その姿は怠惰にも映るであろう。
 天帝は深々と溜息を吐き、本題に入った。
「まだ、スティンリアを追っているのか」
「貴方には関係ないでしょう。放っておいてよ」
 火神の口調は淡々としている。彼女の心の傷に触れる話だ。もう少し感情的になってもおかしくはないだろうに。
「否、関係はある。今回呼び出したのも、その件と繋がる話をする為だ」
「やっぱり、そういうこと」
 恐らく火神は自分でも問題行動だと認識していて、何れは天界から圧力が掛かることも予想していたのだろう。自覚が出来てしまう程に、彼女は時間を掛け過ぎたのだ。
「ペレナイカ、早々に次の火侍を選定せよ。その地位が空いてから既に少なくない年月が経ってしまった。神族の王と同格の神が率先して定めを破る様なことはあってはならない」
「面倒ね。そんなに私が信用できない? 侍神制度は本来神を監視する為のものなのでしょう? 人族もそう。本人達は神族の為、世界の為と信じ込んでいるみたいだけど、正直足枷でしかないのよね。貴方、分かってて態とこういう配置にしてるでしょ」
「だから、そういう所がだよ。火人族を生み出したばかりの頃はまだましだったが、今のお前は確かに信用できるものではない」
「何ですって?」
 火神は顔を上げ、天帝を睨み付ける。朱色にも金色にも見える眼の周囲に火の粉が舞った。
「他にも幾つか問題はあるが、一番疑わしいのはお前の統治能力だ。大丈夫か? 渾神が活動を再開して何処が火を噴くか分からないこの時期に、足元がごたついて動けない、では困るぞ。裏ではあ奴と交際があるようだが、だからと言ってお前達の身の安全が保障されている訳ではない。過去の渾神の言動でそれは重々承知している筈だろう」
「煩いわね。大きなお世話よ!」
 後ろめたさからか、火神は再び顔を反らす。渾神の件についても問題だという自覚はある様だ。煌びやかな部屋が重苦しい沈黙に包まれた。
 暫くして口を開いたのは天帝の方だった。彼は普段とは違う優し気な兄の声で尋ねた。
「どうしても、スティンリアでなくては駄目なのか?」
「私はそう思っているわ。そうでなければ、耐えられない。いいえ、百歩譲って私個人の心情を差し置いても、彼は今迄の火侍の中で一番上手く行っていた気がするの」
「まあ、お前の眷族達には天界からも度々釘を刺したからな。だが、限度はある。一時的に他の者を置く手もあるが?」
「彼が戻ってきた時に揉めるでしょう。駄目よ」
「スティンリアに負い目を感じているのか」
 スティンリアが火侍に就任した際の顛末――世間では火神が彼に恋愛感情を抱いたことが任命理由と噂されているが、実際にはもっと深刻な事情だ。瀕死状態の彼を救おうとした結果、必要となったからである。瀕死にしたのは火神だ。意図せず彼女は彼を殺し掛け、命を救おうとして力を与えた。だが彼女の行為から邪推して、火界が外部の実力者を取り込んで戦力を増強していると非難したり、正当な理由もなく「自分にも力を与えよ」と要求する者が現れる可能性があった。故に、彼を火侍にした。火侍だからこそ特別に力を与えたのだと言い訳する為に。つまりは完全なる自己都合で火神はスティンリアを振り回したのである。
「負い目も感じているけど、それが理由ではないわよ」
 返す言葉を短く切って、火神は視線を窓の外へと向けた。無意識にその話題から逃げようとしていた。そんな彼女の様子を見て、天帝はまた深々と溜息を吐いた。
「一つ、お前に黙っていたことがある」
「何よ」
「私はスティンリアの現在の居場所を知っている。火侍周辺は度々問題が発生するので、辞任後も監視を続けていたのだ。そして監視――観察の結果、一つ気付いたことがある。火侍を辞めてもスティンリアは火に耐えられるということだ」
「は?」
 火神は目を剥いてて天帝の方へと振り向いた。
「貴方が彼を隠してたの?」
「隠していた訳ではない。監視の者を付けていただけだ。それで話の続きだが、あの者は嘗て瀕死の状態だった所を〈神術〉による肉体改造を受けて生き永らえた。火侍となったのはその後だ。故に、職を辞し火侍としての神力を失っても改造された肉体だけは残り、氷精にとっては相性の悪い火界の環境でも生命活動を維持出来たのだろう」
「氷精ではなくなった?」
「《氷》との接続はまだ完全には切れていない様だから、氷精としての性質も一応は残っているのだろう。だが、変質したのは確かだ。《氷》に類する何かにな。熱を受けて《水》に変じたという訳でもなさそうだし、単に火に耐性のある《氷》なのか。何れにしても、氷神と奴の眷族はスティンリアの帰還を許さないだろう。それを理解しているのか、あの者自身、一度も故郷へ戻ろうとはしていない」
「そう……」
 天帝の予想していた通り、火神は苦虫を噛み潰した様な顔をしている。本音を語れば、この件は彼も話したくはなかった。しかし、情を優先させるのは統治者の行動として相応しくはない。故に話した。今の所、火神の行いは誰の為にもなっていない。彼女自身の為にも。
「もう、スティンリアを守ろうとするな。好い加減、解放してやれ。これ以上苦しめるな」
 天帝はそう苦言を呈した。
「私、そんなつもりじゃ……」
 動揺する火神を突き放す様に、彼は冷ややかに宣告した。
「火侍の選出は長くても年内に。ただし、情勢次第では期限を前倒しする可能性もあることを承知しておくように。代わりと言っては何だが、前回の侍神選定で渾神の妨害があったことを考慮し、今回は特例として天界による選定試験を免除する。顔合わせはしても良いが、最悪資料を此方に送ってくれるだけでも良い」
「分かった」
 苦悶の表情で言葉を返した火神に、天帝は「本当に分かっているのか?」と問い質したくなったが、反骨心の強い彼女の暴走を懸念して言わないことにした。
 そして、次の話題を振る。此方も重要な案件だ。
「ところで、お前が天界に来ることを聞き付けて、面会しに遣って来た者が相当数いるそうだ。会っていくように」
「それって侍神候補者?」
「神族も混ざっていたから、全てがそうという訳ではあるまいよ。何時火界を訪ねてもお前が不在だから、重要な用件があっても伝えることが出来なかったと報告してきた者も居たぞ」
 火神は分かり易く動揺する。
「ああ、それは申し訳ないことをしたわね。行って来る」
「案内を」
「畏まりました」
 軽く手を振った後、火神は天人族の官吏達に導かれる儘、会談の場を去って行った。
 残された天帝は何気なく眼前の卓を見た。卓の上には茶の入った白い器と茶請けの菓子が盛られた皿が二組置かれている。何れも手付かずだ。天帝はそこから相手の自分に対する評価を推察し、この日何度目か分からない溜息を吐いて、漸く自分の側に置かれた茶に口を付けたのであった。



2024.03.12 誤字を修正

2023.06.28 誤字を修正

2023.06.18 一部文言を修正

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