機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  18、天の采配



 王宮の外壁にカンブランタ本国では見慣れない軍旗が並ぶ。その下に、マルゴ軍の呼び掛けで大勢の国民が集まってきた。命知らずの野次馬も少なくなかったが、貴族の家長や街の有力者は強制参加だ。取り敢えずの命の補償はあるということだったが、逆らえば何をされるか分からない。拒否できなかった。
 ある程度人が集まった頃、城門上部の露台に数人の兵士が現れてアージャの首が括りつけられた槍を掲げた。人々はどよめいた。
「惨いことを」
「国王陛下暗殺の件、やはりセケト様もアージャ様も無実だったのでは? これでは、まるでマルゴ様こそが……」
 ここ最近の王位継承に纏わるごたごたはあったが、セケトやアージャがカンブランタに大きく貢献してきた人物であったことは皆が知るところである。その一方がこの無惨な末路だ。必然的に、聴衆の内からマルゴに対する不信感や嫌悪感が沸き起こった。
 悲鳴や怒号さえ聞こえてくる中、将官らしき男が声を上げて人々を制した。
「静まれ! これより、我等が国王陛下が御言葉を賜る!」
 将官がそう告げた後に奥から現れたのは、儀式用の細かな意匠が施された鎧を纏い、蓮の花を模した王冠を頭上に頂いたマルゴであった。異民族風の鎧を着た兵卒を伴って露台の最前方に立った偽王マルゴは、普段の彼とは真逆の仰々しい口調で国民に語り掛けた。否、語り掛けようとした。
「我が臣民達よ。私は――」
「言わせない」
 言葉の途中で、不気味な程によく通る女の声が彼の邪魔をした。
 マルゴも彼の部下達も彼等に集められたカンブランタの民も、皆一様に驚き、声の主を探した。然程間を置かず、参集した平民の一人が青空に浮かぶ人影に気付き、「あれは!」と指差した。人々は水面に波紋が広がるように、彼を中心として順々に空を見上げた。
「なっ……!」
 聴衆の動きを見て、同じく空を見上げたマルゴは絶句した。
 人間だ。宙に人間が浮いている。まるで鳥の様に、鳥とは違って翼を持っていないのに。うっすらと全身から淡い光を放った女が、地上に居る者達を冷ややかに見下ろしている。
「何者だ!」
 上擦った声で将官――マルゴの参謀が女に向かって怒鳴り付けた。だが、相手は彼には一瞥もくれない。彼女が見ているのは、ただマルゴだけだ。
 何か喋らなければ、とマルゴは思った。カンブランタの民が自分を見ている。無様な姿を晒す訳にはいかない、と。けれども、口を開きかけたところで再び彼女に邪魔をされた。
「これ以上、何も喋らせない」
 天を背に宙に留まる妖女ティファズは、徐に右手を肩の辺りまで上げた。その時点で、マルゴは自分の死期を悟った。危機的状況にもかかわらず、何故か薄笑いが漏れた。
「そうか、お前がアージャを変えた元凶か」
 マルゴが力なく言い終わるのとほぼ同時に、ティファズの右手から稲妻が大音響と共に放たれた。白天人族が空間操作系以外に得意とする〈術〉系統――光系〈術〉の一種である。白い光は歪な軌道を描きながらも、瞬時にマルゴの身体を打った。
 天帝の操る〈神術〉とは違い、ティファズの放った雷にマルゴの肉体を焼き切る程の威力はないが、地上人族の心臓を止めるには充分な強さだ。マルゴは目と口を大きく開いたまま後方へと倒れ、動かなくなった。呆気に取られて誰も生存確認はしなかったが、人々は彼が死んだと確信した。
「陛下!!」
 参謀が悲鳴の様な声を上げ、主人の亡骸に駆け寄る。ティファズは二人の様子を少しだけ見た後、彫刻の様に美しい顔を壁の外に居る人々へと向けた。
「カンブランタの民よ。聞きなさい。私は神族の王たる天帝にお仕えする昼の天女。天意を得た王アージャを支える為に地上に降り立った神の使いです」
 考えもしなかった言葉に、マルゴ軍の兵もカンブランタの人々も思い思いの言葉を吐く。
「え? アージャ様が?」
「馬鹿な。出鱈目だ!」
「天女って……」
「確かにあの力はどう見ても人のものではない」
「悪鬼怪物の類ではないのか?」
 聴衆の中には身分を隠したアージャ派の文官も居た。その内の一人が目に涙を滲ませて言った。
「『天意を得た』と言っても、アージャ様は既に――」
 彼が口にした言葉を継ぐように、天女はこう言った。
「殺された。そこの邪心を持った賊徒の手によって。ですが――」
 ティファズは露台に固定されている槍を見る。過去の戦で死体には慣れた筈なのに、赤黒く汚れた彼の頭髪を見ると何故か胸が締め付けられた。随分と平和呆けしたものだ、と彼女は自嘲する。手を誤ったのはその為だろうか。
 再び聴衆の方へ顔を向け、ティファズは訴え掛けた。
「だからと言って、これで終わりとする訳にはいかないのです。王を慕い、彼の遺志を継ぐ者はまだここに居る」
 白く輝く手を人々へ向けると、希望に満ちた騒めきが起こった。
「アージャと共にあった者達よ。前へ進み出なさい。その為に必要な力を貴方達に授けましょう」
 ティファズは一度胸元で手を合わせると、緩やかに両腕を広げた。彼女の掌から無数の光の粉が湧き出し、地上へと降り注がれる。肉体を強化し尚且つ気分を高揚させる〈術〉だ。地上人族の身体が極めて脆弱であることは知っているので、彼等の身体を壊さぬよう威力は最小限にした。気休めにしかならないかもしれないが、ないよりはましだろう。
「ああ、不思議だ。身体の内に熱が湧いてくる」
「心地良い……」
「素晴らしい! なんという怪力だ!」
 ティファズの〈術〉を受けた地上人達は、彼女が効果を説明するまでもなく己が肉体の変化に気付いたようだ。石を手で砕いて力試しする者まで現れた。
「あの方はやはり天女様だ。我等の窮地を救いに来て下さったのだ!」
「天女様、まずは我が王の玉体をお救い申し上げて参ります。あの方がお戻りになられたならば、どうか恩恵を賜りますよう」
 アージャ派と思わしき男達が、嬉々としてティファズに申し出た。彼等が勢いを取り戻したことに喜びつつも、ティファズはやや困惑した表情を浮かべた。
「私の力では彼を蘇らせることはできませんが」
「それでも良いのです。あの哀れな御方の為にどうか祈りを」
 僅かに悲しそうな笑顔を浮かべて、アージャを慕う人々は言った。仮に蘇生が可能だったとしてもそれは《理》に反した邪法であると、無知な地上人でも薄々は理解できるのだろう。
「分かりました。貴方がたの望みのままに」
 ティファズの返答を合図に、壁外に居た人々は雄叫びを上げながら城門へ突進していった。屈強な兵士達は次々に凪ぎ飛ばされ、分厚い扉は膨れ上がった腕で破壊される。
「我々は――私は認めないぞ!!」
 雪崩れ込んできた民衆を前に、マルゴを妄信し続けた参謀は叫ぶ。それが、彼の最後の言葉となった。


   ◇◇◇


「気が触れたの? やり過ぎよ!」
 漸くティファズを探し当てたタルティナは、彼女の暴挙を目の当たりにして思わす悲鳴を上げそうになった。
(これ程派手に動いては、遠からず冥神様以外の神々にもばれる)
 完全な規約違反だ。否、遊びの決め事どころの話ではない。ティファズの力を以ってすれば、秘密裏にマルゴを処理することだって出来ただろうに、何を思ってこの様な派手な演出を行ってみせたのか。しかも、地上人の肉体に〈術〉を使って。彼等の創造主である地神の不興を確実に買うことになるからと、あれ程互いに戒め合ったのに。
 頭の中で警鐘が鳴り響く。「不味い、不味い」という言葉が無意識に口を突いて出た。目から稲光を放ち憤怒の形相となった天帝の姿が脳裏に浮かんだ瞬間、タルティナは〈術〉を発動する態勢に入った。
(早々に決着させなければ。不本意だけど、こちらも出し惜しみはしていられない)
 五指の先端に黒い粒が湧き起こり、ばちばちと静電気の様な音が鳴った。


 一方その頃、マルゴ軍の追手を振り切ったセケトは、同じくマルゴ軍から逃げ延びた彼の派閥の武官達と合流していた。そして、王宮前の騒動を身を隠したまま遠巻きに見守っていた。
 セケトは不自然に隆起したカンブランタの臣民達の肉体を呆然と眺め、続いて天女を自称する女を見上げた。
「こんなものがアージャの遺志だと? 馬鹿な……」
 文治主義寄りだったアージャが、非戦闘民の戦闘を望む筈がない。ましてや勝利の為に民の肉体を醜く歪めるなど。あの肉の付き方、どう見たって悪い影響が出るに決まっている。
「よくも……」
 憎しみと怒りに満ちた目でセケトはティファズを睨み付けた。
「よくも――!」
 セケトが制止する手を振り払って身を乗り出した次の瞬間、彼等の上に黒い粒が雨の様に降り注いだ。
「セケト、貴方の『心』には消えてもらうわ」
 彼等の肉眼からは見えない遥か上空に出現したタルティナは、淡々とした口調で宣告した。彼女の顔には何時もの侮蔑の表情はない。それどころか、焦りも喜びもない無表情だ。きっと彼女にとってこれから起こる悲劇は、彼女自身に何の感傷も与えない、只の作業の一工程に過ぎないのだろう。
「あ、あ」
 自身の身体に違和感を覚えたセケトは、本能的に自分の身に起こる変化を感じ取り、絶望と恐怖に顔を歪ませて言葉にならない声を漏らした。続いて全身に激痛が走り、彼は一瞬で正気を奪われる。
「あああああああああ――!!」
 セケトの身体は先程彼が醜いと評した民衆同様、歪に膨れ上がる。しかし、そこから先が違った。一気に膨張した筋肉は勢いよく皮膚を裂いて表側へ飛び出し、黒く変色して鋼の様に固まったのである。腕も脚も胴も、顔までもその有様だった。また、眼球は肥大化して眼窩から飛び出し、こちらは赤く変色して硬質化した。
 同様の現象はセケトの周囲に居る武官達にも起こっていた。彼等の悲鳴に気付いた人々は、皆身じろぎ一つできず驚愕の表情でその光景を見詰めていた。
 そして変化が落ち着いた頃、セケト達は獣の様な雄叫びを上げながら王宮の方向へ突進していった。遮蔽物は襤褸切れを払うように排除され、其処彼処から断末魔の叫びが上がった。
 タルティナはセケト達が無差別に人を襲う様を見て、ほっと胸を撫で下ろした。彼女がセケト達に施した〈術〉の効果は、ティファズの物と殆ど変わらない。しかしながら、威力は「標準」程度。地上人族の脆弱な肉体ならば、〈術〉に耐え切れず弾け飛ぶ可能性もあった。何とか持ってくれたのは、彼等の日頃の鍛錬の賜物か、それとも多少は適性があったのか。
 勿論、強化されてはいても所詮は地上人風情、彼等だけが相手なら前線向きではないタルティナでも容易く一掃できただろう。にも拘らず、彼女自身が打って出ずセケト達を使ったのは、ティファズ対策であった。どういう心境か今は功績を地上人達に譲っている彼女も、同じ天人族のタルティナが前に出てくれば、ほぼ確実に飛び出してくるだろう。弱き彼等を守る為に。戦士の種族である白天人族と戦闘になれば、タルティナの勝ち目は低い。当然、避けるべきだ。故に、セケトなのである。彼はティファズの手駒と同じく地上人族だ。悪人のマルゴは手ずから誅したが、天人族に翻弄された哀れなセケト――タルティナ自身はそうは思わないが――が相手なら、今の彼女ならば直接手は出さないのではないだろうか。
 やや平静を取り戻したタルティナは、既に地上に降り地上人族に囲まれるティファズを〈遠見〉を使って見た。相手はまだこちらの策には気付いていない様子だ。
「愚かね、ティファズ」
 口から零れた嘲りの言葉とは裏腹に、タルティナの心情は複雑であった。



2022.06.03 一部文言を修正

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