機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  19、巨猿



 早々に王宮を制圧した反マルゴの勢力は、軟禁されていた高官達を救出した後、戦力の一部をティファズが待つ城下街の建物へと向かわせた。回収したアージャの首と胴を伴って。
「天女様、アージャ様がお戻りに」
「申し訳ございません、天女様。アージャ様を生前の居宮にお戻しして、天女様に王宮へお越し頂くことも考えたのですが、マルゴ軍の残党が再度王宮へ攻め入ってくる可能性もありましたので、御遺体の方をこちらへ移させて頂きました」
 ティファズは、はっと顔を上げ息を呑む。少しの間だけ、軽く口を開いたまま黙っていたが、やがて目を伏せ兵士達に言った。
「彼の許へ案内して下さい」
「畏まりました。どうぞこちらへ」
 彼等の会話を聞き終えた人々は、無言で出入口への道を空けた。


 兵士が導いた先は、ティファズ達が仮の拠点としていた邸宅の敷地内にある小屋の一つであった。本宅は人の出入りが激しい為、遺体はこちらへ置くことにしたらしい。
 小屋の入口を潜り、中へ入ったティファズは思わず口を覆った。
「……!」
 アージャの遺体の状態は、あまり良いものとは言えなかった。特に首から下の部分は、至る所に切り傷や刺し傷が見られる。ただ殺すだけではなく敢えてそこまで行った理由は、後日聞いた話によればこの国の宗教や死生観が関係しているとのことであったが、何れにしてもカンブランタ人ではないティファズから見れば、只々野蛮な行為である様にしか思えなかった。
(死の臭いだ。懐かしくも忌々しい戦の臭い)
 現実を突き付けられる。自分の犯した罪をこれでもかと言わんばかりに。これはきっと、ティファズ達が関わらなければ失われなかった命だ。彼の死に衝撃は受けても、涙を流す程の情や繋がりがまだ形成されていなかったことが、ティファズには余計に後ろめたく感じられた。
 ふと、嘗てタルティナが放った言葉が脳裏を掠める。

 ――あら、大丈夫よ。何かあっても損害を被るのは「見捨てられた種族」である地上人族だけなのだから。

 ティファズは眉間に皺を寄せ、頭を振った。
(こんなことは許されない。私は何と酷い企みに同意してしまったのか。間違った行いであると、薄々は理解していたのに)
 マルゴの行動は想定外だったが、アージャの死や内乱勃発自体は予測していた可能性の内の一つだった。予測はしてはいたのに、深く考えないようにしていた。
(神族の方々は――天帝様は確かに地上人族を疎んじてはいたが、無闇に弄んだり殺めたりはなさらなかった。ならば、この結果もあの御方は決して望まないということだ。なのに私は、これが天帝様の神意である様に思い込もうとした。私欲の為に――)
 それは他者を支えるよう設計、創造された人族の本質に背く行いだ。
 狭い室内にすすり泣く声が響いている。周りを見渡せば皆涙を流していた。この場に居る殆どの者はアージャ派か、アージャの派閥ではないが彼を慕っていた人々なのだろう。
 ティファズは少しだけ躊躇ったが、衣の内に仕舞い込んでいた壊れかけの耳飾りを取り出した。そして跪くと、アージャの左耳にその耳飾りを付けた。彼を破滅へ追いやった女が贈った不吉な品だが、死の間際まで身に着ける程に大切にしてくれていたようだから、きっと彼の許にあるのが一番良いのだろう。
「御免なさい、アージャ。貴方を不幸にしてしまった」
 拭い取られても尚、うっすらと血の汚れが残っている彼の額にティファズはそっと口付けをした。神々や同族にすらしたことがない行為を地上人族の彼にした。
「天女様……」
「おお、なんと」
 周囲の人々は神々しい宗教画でも見ているかのように感嘆の息を漏らした。
 アージャから顔を離し立ち上がると、気持ちに一つ区切りが付いたのか、ティファズの頭がさっと冷える。事態はまだ決着してはいない。アージャやマルゴが死んでもカンブランタは続く。今後のことを考えなければならない。つまりは後始末、或いは贖罪のことを。
(お父様に相談すべきか? 否――)
 ティファズは文官らしき衣服を纏った老人に尋ねた。
「お聞きしたいのだけれど、他の王族でアージャの後継になれそうな方はいますか?」
「は……は、はい! 少々お待ちを! 系譜図を持ってまいります」
「御免なさいね。お願いします」
 慌てて部屋から出ていく老人の背中を見送った後、ティファズは曲げた指を口元に当てて押し黙った。
(同胞の手を煩わせるべきではない。これは私の罪。私一人で負うべきだ)
 しかし決意をしっかりと固める間もなく、兵士の一人が室内へ転がり込んできた。
「ご報告申し上げます! セケト派が――」
「動いたのですね」
「はい。あ、いえ、身に着けている物から恐らくはセケト派であろうとは思われるのですが、どうも様子がおかしいのです」
 部屋に居た武官が怪訝な表情をして、ティファズと顔を見合わせる。彼は再度兵士の方を見て尋ねた。
「どういうことだ?」
「それが、何とご説明申し上げたら良いのか……」
 兵士が言葉を詰まらせている様に、何やら嫌な予感がしたティファズは部屋を飛び出した。彼女の身を心配する人々が「天女様!」と呼ぶ声も耳に入らない。
(セケト派と言うことは、タルティナが何かしたのか)
「あれは何だ!」
「化け、物?」
「報告はまだか! 何でも良い。情報を持っている者はいないのか!」
 敷地の外に居る者達が半狂乱になって叫ぶ声が聞こえてくる。ティファズは駆け足で門を飛び出した。立ち尽くす人々の間を縫って彼等の前に出る。
 そして、彼等と同様に呆然と立ち尽くした。
「止めてよ……」
「天女様?」
 地上人族の肉眼でも確認できる程度の距離で、黒く巨大な猿の如き見た目をした異形が数十体、本能のままに暴れ回っていた。明らかに地上界の産物ではない。彼等だけではなく長命のティファズですら、過去に見たことがない。それが、人間も建物も無差別に破壊して回っているのだ。
 だが、ティファズには異形の正体と今の状況に至った経緯について、直に察しが付いた。「あれ」は強化系の〈術〉の結果だ。地上人族の肉体の許容範囲を超えた力を加えた結果、身体が耐え切れなくなって怪物の様に変質してしまったのだ。恐らくは、ティファズに触発されたタルティナの手によって。
 ティファズは思わず目を剥いた。心の中で叫んだ。
(止めて、タルティナ。天帝様は、こんなことは望まない!)
 彼女はこの時、自分とタルティナがまた一つ罪を重ねたのだと知った。


   ◇◇◇


「戦える者は全員、私の許へ集まりなさい。再度、加護を与えます」
 焦燥を隠し切れない様子で、ティファズはカンブランタの人々に呼びかけた。彼女が地上人族に掛けた強化の〈術〉は弱い。効果は既に切れている筈だ。短時間での連続使用が彼等の脆弱な肉体にどの様な影響を及ぼすかは分からないが、現状を打破するにはこの〈術〉を使うのが最善であると彼女は判断した。
 何も知らないカンブランタ人達は、歓声を挙げた。
「おお、有難い!」
「天女様の御加護を頂ければ、我等は一騎当千。必ずや化け物どもを討ち滅ぼしてまいります」
 しかしながら、沸き立つ彼等に冷や水を浴びせるように彼女はこう言った。
「いいえ、撤退です」
「は?」
「撤退です。御免なさい。どうやら、私の見通しが甘かったようです。此度の戦には私の他にも人ならざる存在が関与しています。人を人とも思わない邪な意志が。私の力だけでは守り切れないかもしれない」
「『邪な意志』? それは一体……」
 いつの間に表へ出てきたのか、老いた文官が恐怖心を滲ませてティファズに尋ねてくる。
「今それを調べている余裕はありません。これ以上の犠牲者が出る前に、早く!」
「畏まりました!」
 文官は口をあんぐりと空けたまま動かなかったが、若い兵士達が彼女の言葉に応じ、仲間同士で目配せをした後に走り去っていった。
 武官達を見送ってから、ティファズは小さく溜息を吐いた。彼女はカンブランタの民に負い目がある。何時かは真実を話し、贖罪をしなければならない。だが、今はその時ではない。猜疑心を与えれば彼等は混乱し、ほぼ確実に死を迎えることになるだろう。
 暫く経って、先程走り去っていった兵士達が邸宅付近に居た人々を連れて戻ってくる。他にも、ティファズの許には徐々に人が集まってきた。先程強化を行った者に加えて、新たに志願してきた者もいた。彼等に同じ〈術〉を施した後、ティファズは傍らに控えていた役付きの武官に尋ねた。
「退路の当てはありますか?」
 武官は頷いて、まず王宮を指差した。
「進行方向を見れば、奴等が目指しているのは間違いなく王宮でしょう。ならば、中心部とは逆方向となる城壁方面へ撤退するべきかと」
 武官の指が城壁へ向くのと同時に、その場の全員が城壁の方を見る。ティファズも同様に城壁を見た後、武官の方へ振り返った。
「城壁方面にはマルゴ軍の残党がいるのでは?」
「いいえ、彼方の制圧は既に完了し、生存者は粗方捕虜に致しておりましたが……後から怪物達が押し寄せてきて、彼方に送った人員と共に今は大半が生死不明の状態です」
「ならば、城壁にはあの化け物が待ち受けているのではないか?」
 今度は老文官が慌てた様子で尋ねる。武官は少し鬱陶しそうに咳払いをした後、老人の方を向いた。
「離れた場所から確認させた所、既に撤収済みとのことでした。先程も少しお話し致しましたが、今は各所に散らばっていた怪物の全てが王宮を目指して進軍しているとの報告が上がっております」
 しかしその話を聞いて、人々は不安な心情を吐露した。
「罠ではないのか?」
「そんな知性が存在しますかね、あれ」
 ティファズは〈遠見〉で指差された経路を探っていた。
「確かに城壁付近は無人の様ですね」
「お分かりになるのですか?」
「ええ、私の目は地上の住人よりも遠くまで見通すことが出来るのです。でも、この道を通る際には貴方達はなるべく周囲を見ない方が良いでしょう。大層酷い有様ですから」
「『酷い』とは?」
 驚いて振り返ったのは、後から合流してきた王宮兵の生き残り達であった。彼等はマルゴ軍が王宮を占拠した後も降伏せず、或る者は傭兵の如く戦闘が発生している場所を廻って転戦を続け、また或る者は街中に潜伏して反撃の機会を伺っていたのだ。
「天女様、あの辺りは商業区です。あちらの住民達は既に避難済み、なのですよね?」
(しまった!)
 ティファズは思わず目を見開いた。それも良くなかった。
「まさか奴等、兵士ではない人達までも……?」
「さっきも非戦闘員を襲っていたじゃないか。ちゃんと見ていなかったのか?」
「あれは力を頂いた民間の戦闘員ではなかったのですか!」
 王宮兵から悲鳴のような声が上がった。動揺は一気に広がる。
 ティファズは自分の迂闊さを後悔した。亡国の危機にあっても未だに愛国心と忠誠心を残している者の前でこの様な発言をすれば、彼等は必ず「戦いたい」と言うだろう。
「天女様、行かせて下さい! 見捨ててはおけません!」
「我等は民を守る為にあるのです。どうか!」
「天女様と避難民をお守りする為の人員は、充分に残しておきますから」
「お前達、優先順位を違えるな! 素直に命令に従え!」
 先程退避経路を進言した武官が、厳めしい顔つきで兵士達を叱り付けた。だが、彼等は一歩も引かなかった。
「聞けません! 街には、まだ私の家族も残っているのです!」
「王宮奪還に当たった部隊もまだ残っております。見殺しにする訳には参りません」
「死にますよ」
 今度はティファズが声を低めて彼等を窘めた。すると、王宮兵の一人が彼女の顔を真っ直ぐに見て、こう返すのである。
「構いません。覚悟の上です」
 彼の言葉を皮切りに、次々と賛同の声が上がった。
「自分も兵士への志願を決めた時より、死ぬ覚悟は出来ていました。民を守って命を落とすのであれば、寧ろ本望というものです!」
「守るべき人々を残して落ち延び、生き恥を晒したくはないのです。私の家では、男子は代々兵士を務めて参りました。ここで逃げては、家族にも祖先にも顔向けが出来ません」
「私は生きて戻るつもりです。必ず勝ってみせます」
「貴方達……」
 ティファズは言葉が続かなかった。彼女は手段を誤っていたのだ。地上人族であるマルゴ軍の排除は、ティファズ一人でも容易に行えた。だが、ティファズは先のことを考えた。戦後にカンブランタ人を彼女から自立させることを望んだのだ。だから、事態の収拾を自身の手で行わせる為に、敢えて彼等を巻き込んだ。それが今、完全に裏目に出てしまった。
(私はこの人達を再び死地へと追いやってしまう)
 本心では止めたかった。しかし――。
「私はアージャの残した貴方達が可愛い。死にに行けとは言えません。然りとて無辜の人々を見捨てよとは、天上の住人として口にすることは出来ない」
「大丈夫です、天女様。私達自身が決めたことです。天女様の罪ではありません」
「カンブランタは我々の国。本来ならば天女様の手を煩わせることなく、我々が対処しなければならなかった問題です。だから、せめて命を賭けることだけは自分達に行わせて下さい」
 兵士達の言葉を聞いて、ティファズは目を潤ませた。
(違うのよ。これは私とタルティナの罪なの。貴方達が背負う必要はないのよ)
 胸が締め付けられる。本当に居た堪れない。そんな彼女の表情を兵士達は優しさや清らかさの表れと取ったようだ。ティファズや置いていく人々を安心させようと、精一杯の笑顔を浮かべて敬礼した。
「では、行って参ります、天女様!」
「御加護、どうも有難うございました」
「皆も、また会おう!」
 そう言い残して、彼等は走り去った。強化された脚力を存分に活用して、見る間に彼方へと消えてしまった。
 そして、二度と姿を見せることはなかった。


 兵士達が去った後、武官がティファズに声を掛けてきた。
「我々も参りましょう」
「ええ」
 ティファズは名残惜しそうに少しだけ彼等の去った方向を見たが、やがて其方に背を向けて自分の行くべき道を進んだ。残された人々も彼女に続いた。



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