機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  17、舞台袖



 暗闇に包まれた室内に一点だけ青白い明かりが灯っている。光は宙に浮かぶ長方形の板から発せらせた。この板は〈神術〉で生み出された物だ。実体を持っておらず、表面に何処かの映像を映し出していた。
〈神術〉の板の前には、寝間着を纏った一柱の神が椅子に肘を突いて座っていた。頭髪はしっとりと濡れており、風呂上がりに寝室へ向かう途中でふとこの部屋へ立ち寄り休んでいるといった様子であった。
「オルデリヒド」
「……!」
 聞き慣れない声が微睡む神の意識を覚醒させた。彼は思わず立ち上がり、声のした方へ振り返る。高位神族特有の良く見える目で声の主の正体を知った神――地神オルデリヒドは大層驚いた。
「人形遊びをしている場合ではないぞ、オルデリヒド。お前の領地で大事が起きようとしているのに」
 冥神ザクラメフィ――既知の相手ではあるが、言葉を交わすのは何千年ぶりだろう。お互い出不精なので元より会った回数も片手で数えられる程度だが、《闇》の《元素》より分岐した《冥》の《顕現》神である彼とは、《光》側の神と《闇》側の神が対立した神戦以降は敵同士。完全に絶縁状態であった。
 地神は、きっと冥神を睨み付けた。
「人形遊びをしているのは貴様だろう。その身体――」
 言うべき言葉は他にもあったのであろうが、咄嗟に出てきたのはそれだった。地神は薄目で相手の身体を上から下まで見た。
「そう、人形だ。正確には地上人族の男の死体だ。肉の身体を持たない私は、生者の世界では実体のない幽霊としてしか活動できない。故に身体を借りた。その方が都合が良いからな」
「お前、勝手に――」
「オルデリヒド」
 追放したとは言え、地上人族が地神の眷族であることに変わりはない。他神の礼儀を弁えない振る舞いに対して物申さねばならないと口を開いた地神を涼やかな女性の声が制した。冥神の背後の闇から現れた白き女神に、地神は更に驚かされ声を上げた。
「貴女は!」
「どうかそのぐらいに。私達の話を聞いて頂けますか?」
「タロスメノス、貴女までどうして?」
 理神タロスメロスは光神プロトリシカの正妃でありながら、その《元素》の重要性故に、神戦においても戦後においても中立を保ち続けてきた神である。冥神と繋がっていること自体は別段不思議ではないが、基本的に彼女は《光》側に所属する者へ意見する際は天帝を通して行うことが多い。それが何故、地神の前へ直接現れたのか。
 理神はやや躊躇っていたが、冥神から目配せされて口を開いた。
「実は――」
 彼女の口から語られた話を聞き終えた地神は、益々不快そうに顔を顰めた。


   ◇◇◇


 薄暗く静かな回廊が何処までも何処までも続いている。普段なら建物の用途も相まって荘厳さを覚えるであろう空間も、今は不気味にしか感じない。
 カンブランタ王国第十四王女リリアは、回廊に立ち並ぶ白い柱の一本によろよろと近付きその根元に腰を掛けた。
(疲れた。あれから何日経ったのだろう。皆、心配してくれてるかな)
 助けは未だに来ない。末端とはいえ彼女も王女の一人だ。捜索隊が出さされていない筈がない。だが、未だに誰も見かけないということは、やはりこの神殿はリリアの知るカンブランタ大神殿とは全く別の場所にあるのかもしれない。或いは別の世界に。
 リリアは自分の身体を見下ろした。
(不思議ね。ここに閉じ込められてからきっともう何日も経ってるのに、私、呑まず食わずのままでまだ生きてる)
 それだけではない。散々走り回ったのだから本来ならば沢山の汗を掻いているべきなのに、身体や衣からは汗の臭いは殆どせず、逆に大神殿を訪れた日の朝に沁み込ませた香油の香りが薄れることなく残っている。酷使した筈の高価な靴も擦り切れるどころか汚れてすらいない。まるで時間が止まっているようだ、とリリアは思った。
「もう、外では死んだことになってるかも」
 瞼がじんわりと熱くなった。
(大口を叩いておいて、結局私は何も出来ていない。こんなことになるなら、彼の言う通りにしておけば良かったかな。そうすれば、私一人だけでも助かったかもしれない)
 そう思い至るもリリアは頭を振った。そんなことは出来ない。許されるべきでもない。彼女はカンブランタ王国の王女なのだから、例え成功しなかったとしても自分を捨てることになったとしても、国を救う努力を惜しむようなことはしてはならない。それが上に立つ者の務めだ。その様にあるからこそ、民は王族を信じて自分達の生活の行く末を委ねてくれているのだ。
 分かってはいても、ふとした瞬間に気が緩み挫けそうになる。
「ザクラメフィ……」
 寄る辺ない少女の声で自分に予言を与えた男の名を呼ぶ。死と終焉に関わる全ての神を従えるという偉大なる神の名でもある。生者の世界に属し天帝を崇拝するカンブランタ王国では、忌避される場面が多い神だ。一体、彼の親はどの様な心境で我が子にこの神と同じ名前を付けたのだろうか。
(意外と正体は本当に冥神だったりして。このまま、死んだら彼に会えるかな)
 無自覚に暗い思考へと沈んでいく。だが暫くしてリリアは、はっと正気を取り戻し立ち上がった。
「冗談じゃないわ」
(彼は私を生かす為に助言をくれたのでしょう。なら、生きないと)
 先程の自分の状態を思い返し、リリアは肩を震わせた。そして、ぱしんと両頬を打った。
「しっかりしろ、私!」
 リリアは再び前方を向き、足を動かし始めた。心なしか身体が軽くなったのを感じながら。


   ◇◇◇


「あの娘、本当にしぶといわね。早く狂ってくれれば、こちらは遣り易いのに」
 生気を取り戻したリリアが勢い良く駆け出したのを見て、タルティナは舌打ちをした。〈祭具〉により生成された裏のカンブランタ大神殿の中なら、彼女は何処であっても〈遠見〉を使うことなく様子を窺うことが出来る。自らの領地の中をちょろちょろと動き回るリリアに対し、タルティナは家庭内害虫を見るような不快さを感じていた。だが、虫の様に潰すことはできない。ティファズと交わした遊戯の規約もあるが、何よりリリアの背後には神がいる。歯痒いものである。
 ふと見ると、傍らに座っているティファズが微かに呻き声を洩らしたのに気付いた。タルティナはしゃがみ込み、ティファズの様子を窺った。けれども、予想に反して相手からは何の反応も得られない。タルティナは困り果てた様に溜息を吐いた。アージャが死に、神殿内へ籠ってから数日経過したというのに、ティファズはずっとこの状態なのだ。
「大丈夫? しっかりしてよ。対戦相手の貴女が平静でなければ、勝負が継続できないじゃない。私達の『盤上遊戯』を知るのは、私達二人だけなのよ」
「『遊戯』……?」
 漸くティファズが反応を示す。タルティナは思わず身を乗り出した。
「そう、遊び。消えたのは只の『盤上の駒』だわ。そうでしょう?」
「そうね、でも……彼は『王の駒』だったわ」
 予てよりタルティナが恐れていたことが、遂に現実のものとなってしまった。度々ティファズに忠告していたのに。
 タルティナはティファズの顔を覗き込んだ。戦士として活動することも多い彼女にはそぐわない、繊細な面立ちである。恐らくは全天人族の中でも指折りの美貌であろう。きっと卑しい地上人のアージャも、彼女の美しさに魅了されたに違いない。逆があるとは思いたくもなかったが。
(情が移ってしまったのね。やはり、地上人は災厄を呼ぶ獣だわ)
 かっと目を見開いたタルティナは意識を〈結界〉の外へと向ける。すると、戦時さながらのけたたましい物音や叫び声が頭に響いてきた。表側のカンブランタ大神殿にも、マルゴ軍の兵が押し寄せたようだ。術者適性のない彼等が〈結界〉内を認識することは出来ないから、外壁が大破しない限りこちら側には影響はないが――。
(まだ、私に勝ち目はあるのかしら。アージャは死んでしまったけれど、まだ本調子じゃないセケト派が今のマルゴ軍に勝利出来るとは思えない。いっそ、奴を口実に勝負を反故にするか。そうすれば、少なくとも敗北の可能性は消える)
 あれこれ策を講じるタルティナの横で、ティファズは今迄彼女の口から発せられたことのない低い声を出した。
「よくも地上人の分際で……」
「ティファズ……」
 タルティナは顔を上げ、暫く彼女の言葉を頭の中で反芻する。その後に、ほっと安堵の息を漏らした。ティファズは決してアージャの虜となった訳ではなかった、確実に手に入ると信じ切っていた勝利を目前で失って気落ちしていただけだったのだ、と自分に都合良く解釈した。
(それで良いのよ、ティファズ。私達天上の民は)
 タルティナの口角が無意識に上がった。純粋に相手を思いやった結果の表情であったが、ティファズはそう受け取らなかったらしい。
「良い気味だって思ってるんでしょう。これで私の敗北は確定したわ。嬉しい?」
 八つ当たりであった。しかし一瞬首を傾げたタルティナは、事が自分にとって良い方向に進んでいることに気付いた。
(ああ、成程。ティファズはこれで負けたと思っているのね。丁度良いわ。もう、そういうことにしておきましょう)
 本心は決して気取られない様に、タルティナは悲しげな表情を作って言葉を返した。
「そんな訳ないでしょう。このままだと私も貴女の二の舞を踏むことになるわ。あの小賢しいマルゴを何とかしないことには……」
「……!」
 蛇を睨む様な視線をタルティナに向けていたティファズは、そこで軽く目と口を開き、俯いてしまった。そして、人形の様に固まって動かなくなる。
 タルティナは困惑したような呆れたような複雑な感情を抱き、また深々と溜息を吐いた。
「そんな顔をしないで頂戴。貴女と敵対関係にある私でさえ、気が引けてしまうではないの。安心して。天人族の矜持に賭けて、仇は私が取ってあげるから」
 返事はない。顔の一部が解れた髪に隠れている所為で、表情が分からない。何を考えているのだろうか。タルティナの話はちゃんと耳に入っているのだろうか。
 少し声を大きくしてタルティナは話を続けた。
「貴女はここで休んでて。ただし何かあったら――特に冥神様に動きがあったら直に連絡を寄越して。私は表で――」
「そんなことは許さないわ」
「え……」
 タルティナは腕を掴まれ、力任せに引き倒された。腰を強く打ち、目に星が飛ぶ。
 痛みに意識を奪われている内に、ばたんと扉の閉まる音がした。驚いて周囲を見回すがティファズの姿はなく、慌てて扉の方へ走ると何時の間にか部屋の壁面に仕込まれていた新たな〈結界〉に弾かれて、再度尻餅を突く羽目になった。
(閉じ込められた!?)
 タルティナは顔面蒼白になった。
「ティファズ! 貴女、一体どういうつもり?」
 感知範囲を裏の大神殿内に戻し、ティファズを捕捉する。彼女は今まさに〈結界〉を通り抜け、カンブランタ大神殿から出ていこうとしている所であった。
「待って。何処へ行くの!?」
 悲鳴に近い叫びが広い室内に木霊した。


 カンブランタ大神殿の上空へと移動したティファズは、地上を俯瞰した。靴の底よりも遥か下で、蟻の様に群れて動く地上人達が見えた。カンブランタの幾つかの地区では火の手が上がっており、良く聞こえる耳には数多くの悲鳴が響いてくる。マルゴが反乱を起こしてから数日経ったが、戦闘は未だに各地で続いている様だ。
 ティファズは拳を握り締めた。多少の流血も初めから予測はしていた。してはいたが――。
「仇を取るのも、恥辱を雪ぐのも、罪を償うのも、全て私自身の手で」
 天を仰いで覚悟を決め、ティファズは王宮へと向かった。



2023.03.19 一部文言を修正

2022.05.04 一部文言を修正

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