機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  12、迷宮神殿



 カンブランタ大神殿の大門の両脇に、蓮の花に絡まる大蛇が描かれた旗が掲げられている。カンブランタ王家の象徴だ。紋章の意匠は建国神話が基になっているという。
 大神殿に王家の旗が掲げられるのは、王族に関する重大な儀式が行われている時だ。今掲げられている旗は白地にこの紋章が描かれており、王族の葬儀の期間であることが示されていた。
 その様な折に、少数の供を連れてカンブランタ大神殿を訪れたリリア王女は、輿の窓から垂れ下がった薄衣越しに、従者の一人が白旗の横で神殿の守衛と話をしているのを眺めていた。そして、物乞い姿の占い師の言葉を頭の中で反芻し、思考する。
(地震の発生に原因があるとすれば、それは「地神の怒り」だ。古来よりそう伝えられている。では、この国の何が地神様を怒らせたのか)
 少なくともリリアにはそうなる理由に見当が付かなった。しいて上げるなら国王暗殺の一件だが、過去に同様の事件が起こった際、天災が起こったという例は聞かない。王族の血が絶えぬよう、妃も子も多く儲けるよう務めてきたカンブランタにおいての王位継承争いは、神が目を止める程でもない良くある出来事だからなのだろう。
 しかしながら、他に神から目を付けられるような事件は、リリアが調べさせた限りでは出てこなかった。
(神に関わることは、人の世では神殿が担うもの。大神殿は既に何か把握しているかもしれない)
 カンブランタ大神殿では、サンデルカの様な神託や予言を専門とする部署や神官は存在しないが、神意を伺う儀式が定期的に行われている。ならば、既に天災の兆候を察知しているかもしれない。
 そう思い立ったのが凡そ二月前、リリアが最後に占い師に会ってから一月足らずといった所であった。参詣の申請は即座に行ったが、時期が悪く、日程は今日迄引き延ばされてしまう。
 無論、待たされている間も何もしていなかった訳ではない。彼女はひたすら情報収集に努めた。けれども、大した手掛かりは未だに得られていない。
 幾度か占い師の許にも赴いた。だが、彼は何処かへ居場所を移したらしく、見付けることが出来なかった。リリアの焦る気持ちは、日に日に募っていった。
「姫様、手続きが終了致しました。神殿にお入り頂けます」
 長く深く考え事をしている内に、参詣の手続きを行っていた従者が戻ってきた。傍らに装飾の多い神官服を身に纏った男を伴っている。
 神官は輿を覆う布越しに、貴人にする挨拶をした。
「案内を務めさせて頂きます、ダウバ神官です。どうぞこちらへ」
 停まっていた輿が大きく揺れた。神殿の敷地内へ入っていく。
 リリアは耳を澄ました。
(神殿の空気は穏やか。大災害の神託を受けているようには感じられない。神託は下りていないのか?)
 そこで、はたと我に返る。
(そもそも私、どうして彼の言うことを真に受けているのかしら? たった一度、人の死を当てたぐらいで)
 途端に顔が熱くなる。もしかして、自分はとても恥ずかしい行動を取っているのではないだろうか、と。
 しかし、今更取り返しはつかない。輿は王族用の控所の前で歩みを止めた。リリアは激しい後悔と焦燥に悩みながら、従者達に促されるまま輿を降りた。

 ――かつん。

 靴が、その材質に合わない奇妙な音を響かせた。それだけではない。柔らかい庭土を踏んだ筈なのに、まるで床石の上を歩いているかような硬い感触をリリアは足の裏に覚えた。
 同時に、周りの景色が大きく様変わりする。
「え……?」
 突然、彼女の周囲に居た筈の人々が全て姿を消した。少なくともリリアの視界に収まる範囲には誰もいない。しかも、今彼女が居る場所は――。
(室内? そんな馬鹿な! )
 見覚えはある。正確な位置は分からないが、確実に神殿内部だ。全く知らない場所に攫われた訳ではない。だが、有り得ない。輿を降りた瞬間見えた景色は間違いなく建物の外だった。
 リリアは本能的に、その場所に留まのは危険だと判断して走り出した。


   ◇◇◇


「どなたか、どなたかいらっしゃいませんか!」
 こんなに声を張り上げたの久しぶりだ、と心の端の方でリリアは冷静に思う。カンブランタの慣習では、特に彼女の様な立場の女性は何事も慎ましくあることが望ましいとされている。それはリリアの本質に合わない考え方だったが、彼女もあまり親しくない相手の前ではこの国の価値観に合わせていた。
 だが、今は構っていられない。どう考えてもリリアの手に余る異常事態だ。兎に角、助けになりそうな人を探さなければ。
「どなたかいらっしゃいませんか! 誰か……」
 言葉の途中で喉が詰まり、噎せ返る。
(結構大声で叫んでいるのに、返事がしない)
 そもそも人の気配がない。物音が、自分が出したもの以外一切ない。風の音すら。
 胸の内を支配しようとする恐怖心をリリアは必死に抑え込んだ。ここで耐え切れず発狂したら、恐らく彼女は命を落とすであろう。そんな気がしていた。
 リリアはなるべく一つの場所に留まらないように、そして自分をこの場所へ連れてきた何者かに捕まらないように、ひたすら走り続けた。不思議なことに疲労は感じているのだけれども、体力が尽きることはなかった。
 不自然に長い廊下を走り続けていると、不意に目の端を軽く装飾の施された扉が横切った。
(部屋だ!)
 リリアは一瞬立ち止まった後、吸い寄せられるように扉へ向かった。ばたんと大きな音を立てて、扉を開ける。
 薄暗い室内に人影を認めて、リリアは声を上げた。
「あの、少し宜しいでしょうか」
 だが、背後を向いたまま物書きをしている神官服の男は、全くの無反応である。
「あの!」
 胸の内にざわざわとした不快な感覚が湧き起こる。焦る気持ちを抑えきれず、リリアは神官へ駆け寄った。
 そして、彼の背後に立った時――否、正確には彼の項を見た時、リリアは「え?」と声を漏らした。彼の頭の付け根に奇妙な形状の筋が一本入っているのに気が付いたのだ。皺ではない、もっと鋭く硬質な線が。
 リリアは恐る恐る彼の正面へ回り、その正体を見て短く悲鳴を上げた。
(やだこれ、彫刻?)
 よく見ればやや荒っぽい造りの白い人形であった。石膏で出来ているのだろうか。それが神官の服を着ているのだ。項の筋はきっと工具の跡に違いない。
(何これ、気持ち悪い)
 リリアは手で口を覆って、部屋の外に出た。
 表に出て、呼吸を落ち着け顔を上げると向かい側にも扉があるのに気付く。リリアは恐る恐る次の扉を開けた。
 室内は先程の部屋と同様に薄暗い。人影は複数、立っている者も座っている者も居る。リリアはやや迷ったが、既に予測は立っていたので、意を決して彼等に近付いていった。
 彼等の内の一人を覗き込むと、案の定、正体は神官服を着た白い彫刻であった。
(これ、全部人形なの?)
 部屋はこの二室の先にも幾つか続いており、そのまた先は扉のない廊下が延びている。一応部屋の全てを確認したが、中に居たのは似たような白い人形ばかりであった。
(やはり、カンブランタには「障り」があった)
 最後の部屋で座している人形を眺めながら、リリアは思った。どう考えても異常だ。人知を超えている。
 無意識に足音を忍ばせて部屋を出る。
(逃げないと。ここに居たら、多分死ぬ)
「出口を……」
 ゆっくりとした動きでリリアが来た道を振り返った時、ばさりと音を立てて黒いものが上方から彼女の眼前に現れた。リリアは思わず、「ひっ!」と姫君らしからぬ悲鳴を上げた。
「駄目よ」
 人の顔を持ったそれは、低めの女の声でそう言った。リリアがこの場所に来て初めて見た人間らしきその存在は、しかしながら身体の天地を逆にした状態で宙に浮いていた。明らかに地上に住む人々が認める所の「人間」ではない。
 リリアは後退りした。同時に確信する。
(そうか、この女が元凶か!)
 二歩三歩とリリアが距離を置く間に、黒い衣の女はくるりと身体を回転させて床に足を付けた。その後にリリアへ近寄り、彼女の顔を覗き込む。
「ああ、やっぱりだわ。〈加護〉の〈神術〉が付いている。忌々しいこと」
 人外の女の顔が、無表情から不機嫌なものに変わった。リリアはびくりと身体を震わせた。
「本当は処分してしまいたかったのだけれど、仕方がない。全てが終わるまで、貴女にはここに捕らわれていてもらいましょう」
 言い終わった次の瞬間には、黒衣の女は姿を消していた。
「え……?」
 リリアは自分の周囲を見回し、次に部屋の中を探した。しかし、あの女はどこにも見つからなかった。
「ちょっと待って。嘘でしょ……」
 リリアは再び口元を手で覆った。先程の相手の発言から察するに、彼女はこの場所に閉じ込められたのかもしれない。折角、手掛かりらしき存在を見付けたというのに、何も出来ないなんて。
 否、それよりもまず自分はここから生きて出られるのだろうか。リリアの中で、後悔と恐怖が徐々に広がっていく。
「誰か助けて」
 普段であれば王族という立場を弁えて口にしないであろう言葉が、自然と彼女の口から漏れた。最早、虚勢を張っていられる段階ではない。
「誰か――」
 侍女や従者、先程知り合ったばかりの神官の名を呼ぶが、返事はない。来た道を駆け戻りながら、リリアは叫んだ。
「これも見えているのでしょう? 助けなさいよ、ザクラメフィ!!」


   ◇◇◇


 一方その頃、リリアが訪問を予定していた方のカンブランタ大神殿では、大勢の人々が行方不明の王女を探し回っていた。
「姫様ー! どちらに御座します、リリア姫様ー!」
 何時もリリアと衝突していた側仕えの侍女が、泣きながら主を探している。彼女自身も高貴な身分の令嬢なのだが、立場を一切顧みず髪を振り乱し上等な衣と靴を土で汚しながら、死に物狂いで駆け回っていた。一方、従者達の中には時間が経つ毎に冷静に戻った者も出てきていて、彼等の一部を報告の為に王宮へ戻すか相談を始めていた。
 神官達も上を下への大騒ぎであった。
「神隠しだと? 大神殿内でか?」
「目の前で突然……」
 未だ状況を把握していない者に、事情を知る者が説明する。
「そんな、王宮にどう申し開きをすれば……」
「探せ! こちらの責任問題になるぞ。何としても見つけ出すんだ」
「もっと人を集めろ」
「その前に王宮に連絡を」
 その傍らを神官に伴われた侍女が駆け抜ける。
「姫様ー! 姫様ぁ……」
 男達の騒めきの中で、一際甲高い彼女の声が目立って響いた。


 カンブランタ大神殿の騒ぎを事件の犯人であるタルティナは溜息混じりに見下ろしていた。だが、天を背に宙に留まる彼女を悩ませているのは卑小な地上の住人ではない。
「まさか拠点に入り込まれるなんて」
 空間操作系の〈術〉を得意とし、長距離の瞬間移動も可能な白天人族。その王女であるティファズは、カンブランタでの勝負の最中も業務を放棄せず、また周囲に勝負のことを悟らせない為に普段は天界で生活していた。そして、隙を見て地上界との間を往復していた。
 タルティナも同様の効果を持つ〈祭具〉を使用すれば長距離移動自体は可能だが、距離や回数には限界がある。ティファズの様に自由自在に〈術〉を使いこなす程の実力が、彼女には大きく不足していたのだ。
 故にタルティナは、勝負の間は長期休暇を取って地上界に宿泊することにした。同胞達には「近侍長の座が掛かった大事な時期に」と咎められたが、仕方がない。大事な時期だからこそ、この勝負は手が抜けないのだ。
 そうして彼女が地上界での活動拠点に選んだのが、このカンブランタ大神殿であった。神族の庇護下を離れて久しい地上人族ではあったが、この施設には微かに古き良き時代の名残の様なものが散見されて、地上人嫌いのタルティナにも他よりは好ましく思えたのだ。また事前の調査で、神事や儀式を司るカンブランタ大神殿は王宮に対して多少の影響力があることも分かっていた。だから、ここを選択した。
 勝負が始まると、タルティナはまず〈双貌城〉という〈祭具〉を用いてカンブランタ大神殿の空間を二分割した。具体的には、神官が居住し参詣者が行き交う「表側」と彼等が認識できない「裏側」に分割したのである。裏側はタルティナの仮住まいだ。本当は地上人を一掃して神殿全てを我が物としたかったが、手出し不可の決まり事を自分で作ってしまったので、仕方なく彼女は住み分けで妥協する。
 因みに〈双貌城〉による効果は、ある程度〈術〉の修業を積んだ者なら容易く看破できる。だが、地上人族に術者の適性はないので、表側の彼等は裏側に侵入するどころか認識すらできないだろう。――と、タルティナは高を括っていた。
 そこへ神族の〈加護〉を受けた地上人の娘がやってきた。故に、警戒したタルティナは自ら娘を裏側へ招き入れ拘束した訳だ。
(反逆の神とは言え高位神の一柱たる御方が、一体どういうおつもりなのかしら。あのような地上人族の小娘に)
 相手の意図が読めない。地上人族は冥界でも疎まれていると聞く。しかも、彼の神は《死》の《元素》を内包する《冥》の《顕現》神だ。その神が何故地上人を保護し、生かそうとするのか。
(死の気配に呼ばれてお出ましになったのか? カンブランタ王の不自然な死を察知して? まずいわね。《闇》側に隙を見せてしまったわ。これ以上の大事になる前に決着を付けなければ)
 心許なさを感じ身を震わせた彼女は、星の出始めた夕闇の空を見上げた。星精の動きを観察し、〈星読〉を行う。黒天人なら殆どの者が使える、理神の子たる星精の性質を利用した未来予知の〈術〉だ。
(大丈夫。星は私達の死を指し示してはいない)
 二人の生死だけではない。今彼女達が行っている勝負やカンブランタ王の死、天帝の次期近侍長に誰が就いているのか等も、星々には反映されていなかった。それを見たタルティナは、きっとこの勝負に関わる出来事は《理》にも記されない程、些末なものなのだと判断した。黒天人族の中でも特に〈星読〉に長けた父グエンや妹のシーアに聞けば、タルティナには見えない詳細を知ることが出来るのかもしれないが、彼等が未だに何も言ってこない所を見ると恐らく必要はないだろう。
 もしかしたら、カンブランタに於ける勝負がどう転んでも、結局はタルティナとティファズのどちらかがごねて、近侍長の人選には直接影響しないのかもしれないとも考えた。しかし――。
(ティファズに私の実力を認めさせるという意義はある。大戦で幾つかの戦功を挙げたあの女は、こうでもしないと私を認めないだろうから)
 タルティナは奥歯を噛み締め、拳を握り締める。しかしながら、理不尽な憎悪を相手に向けることはしなかった。ティファズの実力はタルティナの目から見ても明らかだ。そして、自身に目立った功績がないことについても自覚はしていた。
(一応、今回の件はティファズにも伝えておきましょう。また、反則と咎められるかしら。でも、流石に今回ばかりは私の所為じゃないわよね)
 神族の相手は流石に自分一人では荷が重い。それに知らせないことで不測の事態が発生する可能性もある。
 タルティナは、カンブランタ王宮に居るであろうティファズの許へ飛んだ。



前話へ 次話へ

楽園神典 小説Top へ戻る