機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  13、岐路



 翌日、リリア王女の探索に王宮から派遣された兵士達が加わる。常ならぬ様子を察知したカンブランタの住民達は、三者三様の面持ちで大神殿の周辺へと集まってきた。
 こうして一層騒がしくなったカンブランタ大神殿の外壁前に、みすぼらしい身なりの男がふらりと現れた。リリアが何度か訪ねた、あの物乞いである。
「こうなったか」
 彼が居る場所は、正門や他の出入口付近からは離れていて比較的静かな方ではあったが、それでもまばらに人が存在した。しかしながら、誰一人として男の姿を捉えることが出来なかった。見えていない訳ではない。見えてはいても認識できないのだ。
(想定していたものとは大分違うな)
 男がそっと大神殿の厚い壁に触れると、指先がタルティナの用いた〈祭具〉――〈双貌城〉の副産物である〈結界〉の表面を捕らえた。〈結界〉には風船の様な弾力があり、彼の指を何度も押し返した。
(この神殿、規模はそこそこだが、サンデルカの物とは違って神の――オルデリヒドの〈加護〉は付いていない。故に飲み込まれたか)
 何度か〈結界〉の感触を確かめた後、男は漸く手を下ろし、自分の身の丈の倍以上もある白壁を見上げた。壁の上からは正午の日差しが煌々と照り付けている。眩さに耐え切れず、男は手で視界を遮った。彼の「本来の住まい」とは真逆の光景だ。落ち着かない。
(遍く《顕現》世界を統べる《天》の種族とはいえ所詮は人族の設置した〈結界〉。破ることは容易だが、術者は……恐らく死ぬだろうな。娘と接触した時点で私の関与には気付いただろうに。一体、どう対処するつもりなのか)
 傲慢な《天》の種族。男が自らの正体を明かして彼女達を諫めたとしても、恐らくは聞く耳を持たないだろう。それどころか、自分達に都合の良い事実無根の罪を被せて、騒ぎを大きくする可能性すらある。最悪、戦争になるかもしれない。嘗て全ての《顕現》世界を痛めつけたニ大戦規模の戦争が。
 男は眉を寄せた。
「罠? それが狙いなのか? 否――」
 男は暫く思索した後、踵を返して歩き出した。足元では土を踏みしめる音が小さく鳴っている。カンブランタに滞在するようになってから頻繁に耳にする音だが、何度聞いても新鮮味を感じさせて良い意味で未だに慣れない。けれども、何時もは彼の胸を躍らせるその音色が今に限っては異物としか感じられなかった。
(何れにせよ、筋は通しておくか)
 さくさくと小刻みに鳴っていた土の音が、唐突に男の姿と共に消失した。だが、その奇怪な現象を認識できた者はやはり誰も居なかった。


   ◇◇◇


「リリアが?」
 同刻、カンブランタ王国第二王子アージャは、リリア失踪の報を王宮内にある彼の執務室にて聞いていた。
 棚に詰まった書簡の匂いが、報告の為に訪れた若い文官の鼻を擽ったのだろうか。走った訳でもないのに若者はやや不規則な呼吸をしていた。高位の王子であるアージャ専用に設けられたこの部屋は、資料室と見紛う程の蔵書量を誇るが、主人の身分に相反して華美な装飾は一切存在しない。彼の実用的な嗜好がよく現れていた。
「はい、未だ行方知れずとのことで」
 まず報告の遅さにアージャは苛立ちを覚えたが、それを咎めている余裕は今はない。
(リリアは王位継承権が低く、然したる権力も持たなかった。だがそれ故に、派閥にも所属せずとも王宮で生きながらえることができた。つまり、王位継承争いで命を落とす理由がない。……排除しやすい所から手を付けたということなのか。誰の仕業かは知らないが、余計なことを)
 アージャは手に持っていた書簡を机に置き、慌てた様子で無地の羊皮紙を取り出した。隠し切れない彼の内心の焦りが報告者である文官や近侍の者達にも伝わり、皆一様に不安気な表情になる。
 椅子に座ったアージャは、臣下達の方を一瞥もせずに口を開いた。
「犠牲者は既に出てしまった後だ。今からでは、止められぬ」
「如何いたしましょう」
「第五王子マルゴへ伝令を。文は今用意する」
 筆を走らせながら、アージャは文官の問いにそう答えた。


 完成した文書を近侍の一人に手渡した後、アージャは人払いをした。そうして足音が消えたのを見計らい、椅子の背にぐったりと凭れ掛かる。父王が死去してから疲れ易くなった、と彼は今更ながらに思った。
 力なく天井を仰ぎ両手で顔を覆うと、「戦」の文字が頭の中に強く浮かび上がった。突発的な大事件と容易く予測できる未来に吐き気を覚えるが、まだ僅かながら希望も残されている。
(マルゴと話しておいて良かったな)
 アージャは長い溜息を吐いた。
(軍事を蔑ろにしてきた私が武力でもって国を制する、か。皮肉なものだな)
 今回の事件はセケト派を始めとする各派閥を強く刺激することになるだろう。暗殺や内紛を警戒した彼等は、武力強化に走るに違いない。或いは、落ち目とは言え未だに強い軍事力を持つセケト派に合流する者も出てくるかもしれない。
(何であれ、勝利しなければ意味がない。彼等を抑える力が必要だ)
 例え己の信念を曲げることになろうとも、彼は国と己の為に僅かばかり身を切る決断をした。
 両手をゆっくりと顔から外した後、アージャは乱れた前髪を掻き上げた。その際、普段は重みすら感じない左耳の耳飾りが、微かに揺れる感触を覚えた。
 途端胸が刺激されるのを感じ、彼はそっと耳飾りに触れた。
「ティファズ様、どうか我等に御加護を」
 囁く様に発せられた声が、執務室に響いた。


   ◇◇◇


 数日後、第一王子セケトは薄暗い石牢の中でリリア失踪の報を他者より遅れて聞くこととなった。報告を受けても、彼は暫く無言のままであった。長椅子代わりに設けられた石の段差に前かがみになって座り込んだまま、顔を上げることすらなかった。
 看守達を買収し、ほんの少しの時間だけではあるが主君と面会する機会を得たセケト派の武官は、焦る気持ちを抱きつつも不意に意識を石牢そのものへと向けた。その牢屋は貴人用とは思えない程に無骨な造りで、外よりも幾分か湿気が多く微かに黴臭かった。今の時期はやや肌寒い程度だが、真夏や真冬はかなり過ごし難くなるであろうことは容易に予測できる。尊大で武人らしからず華美を好むセケトにとっては、苦痛でしかない環境に違いない。
(一刻も早く、セケト様をお救いせねば)
 忠誠心の強い初老の武官は改めてそう決心し、セケトの方へ意識を戻した。
 牢の外で燃える松明の光が、草臥れて一層彫りが深くなったセケトの顔の出っ張った部分を赤く照らし出した。
「リリア姫の件、恐らくはアージャ派の仕業と思われますが、如何致しましょう?」
 やはり、返事はない。立場の違いを考えればセケトの返事を待つべきなのだろうが、状況が状況だ。武官は再度セケトに呼びかけた。
「セケト様――」
「ここから出せ」
 返ってきたのは、報告に対する返事ではなかった。か細く平坦な声であったが、普段の力強く抑揚のある話し方との差から、セケトの憤懣が漏れ出ていることは直に理解できた。
「それは……今手筈を整えております故、少々お待ちを」
「出せ」
「セケト様……」
 理性を失いかけているセケトの様子に、武官は胸を締め付けられた。まだ数か月しか経っていないというのに、若々しく逞しかった過去の姿は見る影もない。
 武官が言葉を尽くして彼を慰めようと口を開いた、その時であった。石牢の鉄格子が骨の浮き出た両手で強く握り込まれ、続いて奥から、ぎょろりと目を向いた異形の怪物の様な顔が勢いよく飛び出してきた。
「出せ、出せ、出せ」
「セケト様?」
「出せ、出せ、出せ、出せ、出せ」
 森の奥に住む巨猿がするように、セケトは身体を前後に大きく揺さぶる。明らかに正気ではない。
「どうぞお静かに! お気持ちは重々承知しておりますが、私がこちらに参ったのは不正な手段を使ってのことでございます。セケト様が騒がれますと、今は協力してくれている看守達も我等を見逃すことが出来なくなります」
 だが、セケトには聞こえていない。彼の心中にあるのは、今この場所に居ない別の者のことだけだ。
「よくもよくもよくもよくも! 卑怯者のアージャめ、弱者しか殺せぬアージャめ。俺は小娘のようには容易く行かぬぞ。その首、直々に斬り落としてくれるわ!」
「セケト様、どうか!」
「ここから出せええ、アージャあああ――!!」
 セケトの雄叫びと駆け戻ってくる看守達の足音が、わんわんと石牢に木霊した。


 黒き天女タルティナは、そんな彼等の様子を〈遠見〉を使って眺めていた。暗く冷たい地下石牢にいる彼等の苦悩は、〈祭具〉に護られたカンブランタ大神殿の露台で上等な椅子に腰掛けて干し葡萄を頬張る彼女には届かない。
(見苦しいこと。足りてないのは、頭の中身だけではなかったのね)
 神輿であるセケトが投獄されたとしても、戦力的には未だセケト派はカンブランタ最強だ。これ以上衰える前に、王殺しの罪なりセケトに冤罪を着せた罪なりをアージャに被せて力尽くで追い落とせば良いものを、とタルティナは蔑みの目で彼等を睨み付けた。王者らしい正攻法に固執する姿を「下等生物風情が」と彼女は切って捨てる。嘗て栄華を誇ったセケトを奈落の底まで貶めたことへの負い目は、彼女の中には一切なかった。
(さて、この使えない駒をどうしましょう。このままではティファズの勝利を指を咥えて見ているだけになる。少なくとも王佐の才において、白天人族が黒天人族より優れていると認めることになる。それはいけない)
 一粒の葡萄を何度も噛み締め、その甘さを存分に味わう。この干し葡萄は地上界で入手した物だが、神前に供えられた進物だった。だから、地上人族嫌いのタルティナでも堪えられなくはなかった。神族に献上された品を掠め取ったことに関しては少々思う所があったが、見捨てられた種族である地上人族の進物なぞ神々は気にも留めないだろう、とタルティナは自分に言い聞かせた。
(更なる窮地を作り上げて、無理矢理正気に引き戻すか)
 口に含んだ一粒を食べ終えて、次の粒に指を伸ばす。だが、タルティナは手に取った干し葡萄を口に放り込まずに、暫く揉みしだいた。特に意味はない。ただ考え事に気を取られていただけだ。
(手の内にあるあの王女――否、冥神様を何とか利用できないものか)
 力み過ぎて指先の葡萄が圧し潰される。けれども、瑞々しい採れたての葡萄とは違い、彼女の白い指先が汚れることはない。
「負けるものですか。私達黒天人族にはもう後がないのよ」


   ◇◇◇


 その日の夕刻、マルゴはアージャから送られた密書を生家である宮殿の寝室で読み返していた。何度も何度も読み返して、思わず苦笑いが出た。
 仕事の引継ぎが長引いた為にマルゴの帰国時に同行できず、この日漸く遅れて合流してきた彼の参謀が、訝しげな表情で尋ねた。
「どうなさいました?」
「『第三案』、だそうだ」
 来たばかりで未だ状況を把握していない参謀に、マルゴはアージャとの会合で話した内容を語って聞かせた。それを聞いた後、参謀はきょとんとした顔をして首を傾げた。
「それは……然様で御座いますか」
「悪手だな。知恵者と名高いアージャらしくもない」
 若いマルゴと然程歳の違わないその参謀は、主君の言葉を聞いて表情を引き締める。マルゴの護衛として共に本国へ帰還していた別の側近が、既に各所に居るマルゴの部下や同盟者達に必要な指示を出したことを参謀に伝えた。
「では……」
 参謀は言葉の続きは言わぬまま、主君の様子を窺う。マルゴは、にやりと笑った。悪い笑顔だ。
「計画通りに。奴を驚かせてやろう」
「承知いたしました」
 参謀は頷くと新たな指令を出す為に席を外した。彼が去った後、マルゴは他の側近達にも彼を手伝うよう指示を出し、全員を退室させた。
 若者達のぴんと伸びた背中を見送った後、マルゴは座っていた長椅子に寝転がった。任期中に病没した母妃が生きていたら、きっと王子らしからぬ行儀の悪さを咎めただろう。だが、彼女はもういない。多忙さ故に葬儀にも出られなかった。彼は今とても自由だ。悲しいことに。
(兄弟の中では比較的頭の良い方であったから、当分の間は素直に従ってやっても良いかとも思ったが、所詮はこの程度。こうもあっさりと襤褸を出すようでは、先が思いやられる)
 マルゴは吐息交じりに呟く。
「世の中の誰もが、権力掌握の手段として『人気取り』を選ぶとは限らぬというのになあ」
 言い終わって、すっと身体を起こした。
「いい加減、認めて頂こうか。王位継承権を持つ者は、自分達二人だけではないのだということを」
 朱に染まった寝室で、マルゴはくぐもった笑声を洩らした。



2023.06.25 誤字を修正

2021.10.23 一部文言を修正

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