機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  11、若き戦士の帰還



 セケト派のアージャに対する不信感は根強く、国王の死後二月を経ても王座は彼の物とはならなかった。だが、アージャは然して憂慮を抱いていなかった。意外なことに、セケト派や他の王族の派閥が無理を押し通そうとする度、無派閥の貴族や平民達のアージャへの支持が強まっていったからだ。恐らくは、国政に対するこれまでの貢献度が評価されたのだろう。日頃の努力と誠意が報われた形だ。
(正しき行いには、必ず天が報いて下さる)
 アージャの脳裏に、天女から下賜された耳飾りが浮かんだ。彼女が真実、神の使いであるという証拠は未だに得られてはいない。だが、もしそうであったとしても、だ。
(天女の御加護があるとはいっても、果たしてそれに甘んじて行動を起こさぬままであって良いものか。否、良い訳がない。それは大勢の民の生活と命を預かる「王」として、相応しい行いではない)
 自らの王位継承の有無はさておき、王位争いに纏わる小競り合いで既に死傷者が出ている。当然ながら、平民階級の王侯貴族に対する不満はじわじわと増してきている。不毛な争いに一刻も早く決着が着けられるよう動くべきだ。
(セケト派との争いは避けられないかもしれないが、犠牲者は少なければ少ないほど良い。その為には――)
 アージャはあることを思い立って、文をしたためた。送り先は北方の植民地にある城塞であった。


 日程調整の為に数回使者の遣り取りをして、漸く相手がカンブランタ本国の王宮へ訪問できるようになったのは、最初の書簡を送ってから凡そ二月経った後のことであった。
 当日、落ち着きのない子供の様にそわそわしながら、アージャは彼が部屋へ来るのを待っていた。
 そこへ少し掠れた、しかしながら力強い青年の声が響く。
「私をお呼びと伺い、参上致しました」
 青年はアージャの前で膝を突く。アージャは慌てて椅子から立ち上がり、彼の許へと駆け寄った。
「ああ。遠路遥々よく来てくれた、マルゴ。立ちなさい」
「畏まりました」
 第五王子マルゴ――アージャやセケトの異母弟である彼は、セケトと同じく軍部に所属している王族だ。しかし、どうやらセケトとは馬が合わなかったようで、数年前セケトの意向により、環境的にも情勢的にも最も過酷と言われる北端の植民地の司令官に任じられる。要は左遷されたのである。
 マルゴが横暴なセケトに恨みを抱いているであろうことは、容易に想像が付いた。故に、アージャは彼と手を組めないかと考えたのである。
「来て早々だが、マルゴ、中央へ戻る気はないか」
「ああ、やはりそういうお話でしたか」
「うむ。知っての通り、兄上は軍に近しい。まず、兄上の母君は将軍家から来られた方であるし、ご自身も兼ねてより兵力増強に力を入れてきた。軍閥の多くはあの方を支持するだろう。一部を除いては」
 精悍な容貌の青年が、少し悲し気な表情を織り交ぜて笑った。
「セケト大将軍は、私を嫌っておいででしたから」
「そうだ。だから君は僻地へと飛ばされた」
「大将軍は、私については何と?」
「……君は聞かぬ方が良いだろう。私も兄上の言葉を鵜呑みにしてはいない」
「成程…」
 マルゴは目を伏せ、考え込む素振りをみせた。アージャは、ひやりとする。先程の複雑な表情からも垣間見えたが、マルゴはもしかするとセケトのことを大して嫌ってはいないのかもしれない。結果的に物別れとなったが、共に同じ場所で働いていたのだ。アージャよりもセケトとの絆を強く感じている可能性はある。
 アージャは念入りにマルゴの様子を窺う。するとマルゴは唐突に、この様なことを言い出した。
「時にアージャ秘書官、貴方はまだセケト大将軍のことを『兄上』とお呼びになるのですね」
「ああ、言われてみれば確かに。私はあの方に失望しているし、王の器であるとも思わないが、やはり血を分けた実の兄ではあるからな。親愛の情を完全に消し去ることはできないよ。まあ、最も父上の件もまだあの方の犯行と決まった訳ではないが……。気に障ったか? 君は先程から兄や私のことを役職で呼んでいるね」
「立場上、そうするべきとの判断です」
 そこでアージャは、はたと察した。マルゴは、アージャが彼に対して抱いていたのと同様の疑いをアージャに対して抱いているのかもしれない。彼は今、眼前の相手が真に己が味方であるか、それとも敵たるセケトの味方であるかを見定めている最中なのだ。
 彼の思いに気付き、先程迄の自分の疑念を見返して、アージャは少々申し訳ない気持ちになった。
「突然の申し出で困惑させてしまったかも知れないが、私としてはこれからはせめて表面上だけでも兄弟として振舞ってもらいたいのだよ。どうだい? 我が陣営との共闘、考えてもらえるかい?」
「……少々、安堵致しました」
「ん?」
「先程のセケト大将軍についてのお話です。アージャ兄上は思いの外、冷静でいらっしゃった。貴方なら、強大な軍事力を手にしても増長せず、不用意に力を振り翳すようなことはしないでしょう」
「兄上は違った、と」
「何度か浪費癖について、諫言申し上げたことがあります。それでは本当に必要な時に兵を動かせないと。左遷の直接の原因は、恐らくは『それ』です」
 浪費――その様な報告は受けてはいないが、とアージャはやや考え込んだ。マルゴにもアージャの戸惑いは伝わったようで、彼は弁明する。
「生活の方ではなく、軍における話です。大将軍は、兎にも角にも華やかさや物量作戦を好まれるので。御本人や近侍のお話を伺う限りでは、王者としての威厳を見せることに拘っていらっしゃるようですね。理解できない訳ではありませんが、問題は額です。少なくとも、私は許容できませんでした。頭を使い要領良く振舞えば、軍費は大幅に節約できます。残った分は備蓄分に回した方が良い。予測の出来ない非常事態は何時でも起こり得るのですから」
「成程、確かに兄上らしい」
 セケトだけではない。軍の上層部は皆同様の考えを持っている。考えなしに消費し続け、「未だ足らぬ、物知らずの文官達め」と責め立てる。国庫は彼等の為だけにあるのではないというのに。
 アージャはマルゴに問い掛けた。
「もし仮に兄上と戦うことになったら、君はあの方に勝てるか?」
 マルゴは睨み付けるような強い視線を返し、アージャの問いに答えた。
「素人のままごとに負ける気はしません。能力の優劣を公で証明してみせましょう」
 アージャは笑った。中央軍部の誰もが褒め称えるあのセケトを「素人」扱いとは。流石は戦地同然の場所で暮らしてきた男だ。気概が違う。
「頼もしいよ。まあ、その様な時が来ない方が望ましいのだがね」
「当然です」
 マルゴは頷く。自分も不必要な戦は好まぬ、と彼は暗に己が意志を示してみせた。そこでも、アージャは驚かされた。
(兄上には人を見る目がない。マルゴのことをやれ獣だ殺人鬼だなどと罵っていたが、軍部には珍しく理性的な男ではないか)
 どうやら、話に聞いていた暴れ馬の様な性格ではなかったようだ。実にアージャ好みの人材である。
「では、詳細を打ち合わせしよう。奥へ。部外者には聞かれたくない話を長くせねばなるまいからな」
 アージャはマルゴを分厚い帳の向こうへと案内した後、側近一人を残して他の者は退室させた。


   ◇◇◇


 アージャとマルゴの会談の様子をティファズは遠巻きに見守っていた。その傍らにはタルティナも居る。
「ふふ。良い流れ、良い流れ」
「……」
 この時、彼女達は〈遠見〉の〈術〉を使用していた。神族が使う〈千里眼〉程ではないが、比較的遠方の光景を見ることが可能で、尚且つ音声も聞き取ることが出来る。地上人族に術者の素質はない筈なので、この〈術〉を使用すると彼等に認識できない距離から相手の様子を窺い知ることが出来るのだ。
 尤も、生来天人族は地上人族よりも遥かに視力や聴力が優れているので、本来ならば〈遠見〉を使う必要はないのだが、タルティナの要望で今回は〈術〉の効果範囲ぎりぎりの距離から観察することになった。
「これでセケトの唯一の強味が消えたわね」
 ティファズはにやりと笑ってタルティナの方へ振り向いた。これに対し、タルティナはむっとした表情で反論する。
「まだまだ兵力はセケト派の方が上よ。ああ、早く戦闘を仕掛けてこないかしら。アージャなんて、ぎったんぎったんに潰してやるのに」
 鼻息荒く言い放つタルティナに、ティファズはぎょっとして聞き返した。
「セケト派がよね?」
「セケト派がよ。私は手を出さないわよ。勝負の規定に反するもの」
「そうよね。びっくりした。今の言い振りだと、何か自分で手を出すような感じだったから……」
 ティファズはそこで丁度良いとばかりに、カンブランタ王崩御の情報を得た時から、ずっと抱いていた疑念を口に出した。
「でもねえ、国王を殺したの、多分貴女でしょ。早速取り決めを破ってるじゃないの」
「不可抗力よ、あんなの。夜中に屋根の上からセケトの宮殿を眺めてたら見つかって。で、止む無く……」
 タルティナは、あっけなく認めた。事も無げに。言い終わると、彼女は年甲斐もなくむくれた。その姿は、まるで些細な悪戯が見つかって叱られた幼子の様だった。
 そんな彼女の素振りを見たティファズは、自分の体温がひやりと冷えたように感じた。
「『止む無く』、じゃないでしょう。地上人族とは言え、戦時中でもないのに人一人殺したのよ、貴女」
「そうだけど……でも、目撃者を放っておく訳には……」
 言い澱みはするものの、己の犯した罪の重さが全く分かっていないようだ。幾ら相手が他種族から忌避されている地上人族の一人だったとは言え、余りに命の価値を軽んじ過ぎているように思える。まだ数年前の大戦の感覚を引き摺っているのだろうか。
 否、例え戦場であろうとも、敵でもない者の命を軽々しく刈り取ることを天帝は許してはいない。この地は天帝の支配域の外であるが、それでも明らかに問題行動である。
「黒天人族には幻覚系の〈術〉があるでしょう」
「記憶操作もね。人に依るけど」
「貴女は使えないって?」
「使えるけど、忘れてました」
「貴女ね」
 ここにきて漸く、ティファズの中にタルティナとの勝負を引き受けたことを後悔した。どうやら彼女は自分が思っていた以上に碌でもない人物だったらしい。よくよく思い返してみれば、今回の勝負内容を思い付いたこと自体が彼女の異常性の表れであったのではないか。
(まさか勝負の勝敗だけじゃなく、対戦相手の暴走の心配までしなければならないなんて……)
 この時点で勝負を中断するなり、相手の不正を指摘して強引に自らの不戦勝を宣言するなりすれば、後の悲劇は起こらなかったかもしれない。だが、当時のティファズはその考えには至らなかった。折角相手が納得する形で自分の優勢が決まりかけているのに、全てが水の泡になることは出来れば避けたかったのだ。また、相手よりも自分の方が優秀だというという驕りから、相手も勝負の進行も制御可能だと判断したのもあった。
 とは言え、タルティナが何を仕出かすか分からない相手であることは、今回の件ではっきりと認識できた。故に、不測の事態によるタルティナの暴走を防ぐ為には、ある程度の譲歩も必要だとティファズは自分に言い訳をしたのだった。
「仮に貴女の言い分を認めるとしても、流石に何かしらの罰は受けてもらいたいわね」
「既にセケトが捕まってるんですけど」
「今すぐここで、貴女の反則負けと言うことで終わらせても良いのよ」
「う……分かった、わ。どうするかは自分でも考えておきます。それより貴女こそ、勢い余って直接手を出さないでよ」
 責められる一方だったタルティナが、苦し紛れにそう返す。
 ティファズは、タルティナの悪足掻きを内心でみっともないと嘲笑しながら答えた。
「貴女じゃあるまいし、そんなことしないわよ」
「……」
 タルティナは不服そうに沈黙した。
(ティファズは、何だか地上人族の距離感が近いような気がするのよね。とは言っても、それがティファズのやり方だと言うのなら口出しは出来ないのだけれど)
 嫌な予感がする。そう思った矢先に――。
「ああ、でも、そろそろご褒美をあげても良い頃合いかしら」
 ティファズはタルティナの前で地上人に擦り寄る意志を示してみせた。
「ええっ? ちょっと――」
 そしてタルティナが止める間もなく、ティファズの身体はふわりと宙に浮き、次の瞬間には何処かへ飛び去ってしまった。


   ◇◇◇


 マルゴとの会談を終え、一人になったアージャは、ほっと安堵の溜息を吐いた。
(一先ずはこれで……)
 ここ数年で最も緊張感を覚えた時間であった。勘の良さそうなマルゴに気取られなかったであろうか。
 彼はぐったりとして椅子の背凭れに身体を預け、徐に天井を見上げた。
 その時であった。
「順調な様子ですね」
 聞き覚えのある女の声と共に、これまた聞き覚えのある鈴の音が一度だけしゃんと鳴る。アージャの周囲は瞬く間に光に包まれた。
「これは……」
 天女が自分の前に姿を表した時とほぼ同じ現象だ。その事実に思い至ったアージャは、天女の姿を探した。
(眩しい。目が潰れそうだ)
 目に痛みを覚え、彼は両手で顔を覆う。その手の甲を風が優しく撫でた。空気が変わったのに気付いたアージャは、再び瞼を開いた。
「こちらを御覧なさいな、地上人の子よ」
 天女の整った顔が、アージャのすぐ側にあった。
「貴女は……」
「私はティファズ・カンディアーナ。天帝ポルトリテシモの下僕にして日神カンディア様にお仕えする天人。また会えて嬉しく思いますよ、アージャ」
「やはり、あれは只の夢ではなかったのですね」
「勿論ですとも。その証は既に渡したでしょう」
 天女ティファズはどのようにしてか、光に包まれて視界から消えた机上の小箱に、彼女の耳飾りが仕舞われていることを知ったらしい。机のあった方を指差してそう言った。
「アージャ、耳飾りをこちらへ」
 ティファズは右手を差し出す。彼女の望みに応えるべく、アージャは手探りで小箱を探し当てると、彼女の前で蓋を開け布の包みを解いた。
 大切に扱われている耳飾りを見たティファズは嬉しそうに微笑むと、白く細い指でそれを摘まみ上げた。
「跪き、顔を上げなさい」
「承知致しました」
 言われた通りにすると、ティファズは更にアージャに近寄り、少し屈んだ。
 次の瞬間、自分の左耳に天女の指が触れるのを感じて、アージャは思わず顔を赤らめた。全身の感覚が耳に集中するのを自覚する。今は耳が目となっている様だった。目は見えているのに、頭がその絵を受け付けない。アージャは、そんな自分をはしたない者の様に感じた。
 だが、しかし――。
(体温を感じない。やはり夢の中に居る様だ)
 恥じらいつつも、アージャはうっとりと感じ入った。
 体感時間は非常に長かったが、ティファズの作業は直に終わり、彼女の手は呆気なくアージャの身体から離れた。ぼんやりとした頭の上から声が掛かる。
「さあ、立ちなさい」
「はい」
 立ち上がった時に左耳であの耳飾りが揺れたのが分かった。天女は手ずからそれをアージャに着けてくれたのだ。
「私の存在と言葉が現実のものであるという証に預けていたそれは、正しく貴方に差し上げましょう。今度は貴方が《天》の意志を背負っている証として。その耳飾りに相応しき王であり続けることを祈っていますよ」
 彼女が去ろうとしているのを気配で察したアージャは、慌てて呼び止めた。
「お待ちを、天女様! お話しておきたいことがあるのです!」
「……何でしょう?」
 怪訝な顔をして、ティファズはアージャの方を向いた。彼女が足を止めたのを見て、アージャはほっと胸を撫で下ろす。
「天女様、私が王となった暁には、貴女の為の神殿を建てさせましょう。私の背を押し、今も不実な男からカンブランタを救う為の勇気を下さる貴女に」
 喜んでもらえるかと思ったが、彼の言葉を聞いたティファズは眉を寄せた。
「私は神ではありません。不信心な行いはお止しなさい」
「不信心などではありません。貴女は天帝の神意を運ぶ神使なのですから」
「……」
 ティファズは言葉を詰まらせた。先程の見るからに不機嫌な顔から、困った様な表情に変わる。
「どうか、私に恩返しを――貴女の為に何かを成す機会を下さい」
 恐らくは、地上の人間が獲得し得る以上の物を多く持っているであろう天女の彼女に、アージャが出来る精一杯の恩返しだ。ティファズにはそれすらも必要ないのかもしれないが、せめて誠意は伝えたかった。
「私の望みは、貴方が無事天命を全うすることのみです。他には何も……」
「天女様、どうか!」
 少しの間、沈黙が落ちる。やがて、ティファズは深々と溜息を吐いた。
「好きになさい」
「有難うございます!」
 光と共に消えゆく彼女に向かって、アージャは無邪気な子供の様に嬉々として礼を述べた。
 居室が元の状態に戻った後も、感動の余韻は消えることなく――。
「ティファズ様……」
 アージャは左耳の耳飾りに触れながら、ぽつりと天女の名を呟いたのであった。


   ◇◇◇


 地上人族が目視することの出来ない遥か空の上で、ティファズは暫く何もしないまま、じっとカンブランタを見下ろしていた。
 胸の内がざわついている。戦場に居た頃と似た感覚だ。しかし、ティファズはその中に僅かながら歓喜の感情が混ざっていることに気が付いた。
(悪い気分ではない)
 ティファズを見詰めるアージャの顔が脳裏に浮かぶ。まるで、親の反応を恐れながらも期待する子供の様だった。
 実際、両者の間には親子以上の年齢差があった。アージャは地上人族の年齢では既に成人済みであり、尚且つ彼等の中では比較的賢い部類に入るらしいが、天人族のティファズから見れば幼子同然だ。自らが盤上の駒であることを知らない彼の、滑稽にも思える申し出に、ティファズが庇護欲を擽られたのはその為だったのだろうか。
 そこで彼女は、はっと閃いた。
(全ての種族に尊ばれる神族の方々も、私達をこんな気分でご覧になっていらっしゃるのかしら?)
 ティファズは遥か上空を仰ぎ見た。
(私は天帝様の御心に少しは近付けている?)


 そんなティファズの様子を眉を顰めて地上から見詰めている者がいた。タルティナである。
「良くないわね、ティファズ」
(これでは、お兄様の二の舞よ)
 タルティナは苛々しながら爪を噛んだ。だが暫くして、首を横に何度も振り、冷静さを取り戻そうと試みた。胸のむかつきを抑える為に、無理矢理頭を回転させる。
(私ったら、これではまるでティファズの心配をしているようじゃないの。……否、そういうこともあるのかもしれないわね。私達天人族は、恐らくその様に作られている)
 そもそも人族は、世界が《顕現》したばかりで不安定だった頃に、多忙な神族の手間を減らす理由で創造されたのだという。それ以上の役割を期待されず――つまりはそれ以外の力を与えて創造主の害とならないように、基本的に人族は神族よりも不完全で脆弱な種として設計されている。生み出した神にも人族がか弱き種となることが分かっていたので、その精神は「他者と補い合い、支え合う」方向へ向かうように形作ったのだそうだ。それが、神や世界を支えることにもなると考えて。
 タルティナとティファズは確かに敵同士ではあるが、共に天人族であり天帝に仕える官吏である。つまり、仲間でもある訳だ。
(だから、種族に課せられた機能が発動して、私はティファズを放っておけないのだわ)
 それは人族としては正常で、喜ぶべきことなのだ。失敗作であるが故に、補完機能が欠落している地上人族とは違う。
(神々に見捨てられた種――地上人族。《顕現》世界に不要な筈の彼等は、何故未だに《理》によって《顕現》世界から排除されないのかしら?)
 タルティナは、憎々し気に雑然とした地上人族の街へと目を向ける。胸の内で悪態を吐きながら視線をうろつかせていたが、ふと大神殿の前に一基の輿が停まったのが目に入った。お忍びなのか紋章は入れられてはいないが、輿の豪華さと従者の身形から察するに、恐らくは上流貴族か王族所有の物だろう。
 聖都サンデルカにおけるサンデルカ大神殿程の権威はないが、カンブランタ大神殿もまた国政に多少の影響力を持つ宗教施設である。特に今の時期は、国王崩御に伴う儀式がまだ幾つか残っており、未だ次期国王は定まらないが即位の為の準備もある。王侯貴族の参詣は、然程珍しいことではないが――。
「あれは、まさか……」
 タルティナは輿の内から、遠い昔、地上界ではない場所で感じたことのある気配が滲み出していることに気付いた。



2021.10.09 文言修正

2021.07.27 誤字を修正

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