機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  07、死の使い



「探したわ。こんなところに居たのね」
 頭部を上等な布で隠した女性が、やや上擦った声でそう言った。言葉通りに相当な時間、目的の相手を探し歩いた様だ。吐く息が荒い。
 他人の屋敷の壁沿いに座り、ぼんやりと蟻の行列を眺めていた物乞いの男は、気だるげに上体を起こした。
「今日は一人なのだな。よくお付きの者達が許したものだ」
 物乞いは、遠巻きにこちらの様子を窺っている従者達を見た。今日は前回よりも人数が少ない所為か、皆不安気な表情を浮かべている。
 だが、彼等の主は家人の心配など何処吹く風といった様子だ。
 女主人はわざとらしく目を見開いて、首を傾けてみせた。
「覚えていたの」
「お前は目立つ」
「むう、やっぱりそうなのかしら」
 女主人はそう言って、背後を見た。
「そうそう、護衛達は遠くで見張ってもらっているわ。聞かれては困る話かもしれないから、離れてもらったの。それで、先日の種明かしを聞かせて貰いたいのだけれど」
「『種』? ああ、あの屋敷の主人の死を言い当てたことについてのか。何のことはない。生業にはしていないが、私にも生まれ付き占い師のような力が備わっているものだからな」
「生業にすればいいのに」
 本物かまぐれか。何れにしても、彼はあの占い師の死を言い当てた。上手くやれば、彼は占術で食い繋ぐことができるようになるかもしれない。少なくとも、ここで物乞いをやらなくても良くなるのではないか。
 だが、男は首を横に振った。
「誰も望まないさ。死者限定の力など」
「え……?」
「私に分かるのは、死者のことと近々死者になる者のことだけ。その条件に該当する者のことならば、大概は分かる」
 女主人は、ひやりと空気が冷えるのを感じた気がした。
 確かに、前回も彼の予言は「死」に関するものだった。しかし、その様な極々特定の事象しか示すことが出来ない不便な占術があるものだろうか。
 そこでふと、女主人は悪趣味な試みを思い付いて、口を開いた。
「では、私が誰か分かる?」
 男は即答する。
「カンブランタの第十四王女リリア」
「……!」
 愈々、全身が総毛立った。そして、聞くんじゃなかったと後悔した。
「それは、私が近い内に死ぬということ?」
「数年後の話だ」
「『数年』って……あれ? 『近々』ってもっと数日とか長くても数か月後ぐらいのことじゃないの?」
「最低でも向こう数百年のことは容易く分かる」
 女主人――リリア王女は思わず「はあ!?」と声を上げた。その声は遠くに居る従者達にも微かに届いたようで、彼等はびくりと身体を強張らせた。
「それ、当てはまらない人間なんていないじゃない!」
「残念ながら、それより長く生きる者もいるものでな」
「残念なんだ……」
 恐らくは神話や伝承等で伝え聞く人外の者達のことを言っているのであろうが、人の「死」を予言する占い師にとっては、どうやら天上の住人の奇跡的な長寿は喜ばしいことではないらしい。
 リリアはがっくりと脱力した。何とも、独特な思考回路を持った男だ。話しているだけで疲れてくる。
 その様子を見て、物乞いの男は小さく溜息を吐いた。
「そんなことよりも、お前が数年後に死ぬことに関して何か感想はないのか?」
「そう、それよ! 何てこと言うのよ。酷いじゃないの」
 未だ年若い娘は肩を怒らせて男を見下ろした。
 一見可愛らしい少女の仕草だが、彼女はカンブランタの王女だ。通常ならば、これまでの発言だけで容易く男の首が飛ぶ。
 それなのに、男はリリアの素性を知っていながら、媚びることも引くこともしなかった。
「真実だ。お前だけではない。この国の住人の殆どが、お前と同時期に命を落とすことになる」
「何ですって?」
 不愉快極まる発言だ。例え貧者が他者を妬むが故の妄想だったとしても、富者の広い心で以て看過することが出来ない位の。ましてやこの国を治める王族にとっては、許しがたい危険思想である。
 しかしながら、男はこう続けた。
「だが、お前達の死は《理》に沿ったものではない。だからこそ、私はその原因を探る為にこの国に来たのだ」
「……」
 どう返せば良いのだろうとリリアは悩んだ。まずは彼の占術の能力を信じるかどうかで対応が分かれるところなのだろうが、彼女はまだ彼の力が本物であるという確信が持てなかった。
 そもそも「生」か「死」かを言い当てる占いなど、要は二分の一の何方かを当てる賭けの様なものである。当たらなかったら当たらなかったで、本職の占い師ではない彼は大した責任も負わず適当にはぐらかせば済む立場だ。
(でも彼の力が偽物だとしたら、どうして私の正体を言い当てられたのか。私、悟らせるような失敗を彼の前でした? 彼が本当は物乞いじゃなくて、宮中の何処かで会ったことがある、なんてことも考えられるけど……)
 リリアにはどうしても彼の力を偽物と断じることは出来なかった。彼女の本能の部分が、彼に畏怖を感じてたからだ。
「私、信じないからね」
 自分に言い聞かせるように、リリアはそう言った。彼女の立場では、それが男に対して出来る最大限の譲歩だった。
「その方が良いのかもしれない。……今日の私は喋り過ぎているな。何時もはこうではないのだが」
「そうよ! この話は終わり終わり!」
 何とか話題を変えようとして頭の中を高速回転させてる。
 そこで、不意にリリアは先程頭に浮かんだ「彼が本当は物乞いじゃなくて、宮中の何処かで会ったことがある」説を思い出した。すると、無性に男の素性が気になり始める。
「ああ、そうだわ。貴方の名前は何と言うのかしら?」
 男はゆっくりと顔を上げた。襤褸布に遮られていた面に日の光が当たった。
 燃え殻の様な薄い灰色の長髪に生気が全く感じられない青白い肌、長い睫毛に隠れた闇色の目。物乞いにしては過度に痩せてはおらず、容貌はこの地域の住人とは異なってやや彫りが浅いように見えるが、整っていた。
(思いの外、綺麗な顔だわ。でも、とても白い。きっと死んだ人の顔ってこんな色なのでしょうね)
 リリアは思わず、ほうっと感嘆の息を漏らす。そこはかとなく感じる品の良さや浮世離れした雰囲気に、元は異国の貴族だったのでは、とさえ思ってしまった。
 しかし、年頃の少女が頬を染めるのとは対照的に、男は淡々とした調子で彼女に尋ねた。
「何故、それを問う。つい先日出会ったばかりの、そして今後会うこともないであろう者の名など」
 尤もな疑問だ。余りにも立場が違い過ぎる。
 そもそもリリアの様な立場の女性は、殆ど自分の屋敷から外に出ないのがこの国の常識である。当然、彼のような身分の者と直接言葉を交わすなど以ての外だ。
「うーん、それもそうね。じゃあ、名前を聞くのは今度会った時にしましょう。一度二度は只の偶然かもしれないけれど三度目があるなら、それはきっと私達が縁の糸で結ばれているということなのだから」
 どうやら、次があるかもしれないらしい。男は呆れた。
「それはこの国の宗教か?」
「そういう訳じゃないけど……」
 リリアは口籠った。彼女は漸く男に煙たがられていることに気が付いたのだ。
 だが、相手は大人だった。深い溜息を吐いた後、彼は幼い彼女の要望にきちんと応えてくれた。
「私の名は『――』だ」
「えっ?」
「私達はまた会うことになる。これは確定事項だ」
「貴方……」
 彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべたが、やがてほっと胸を撫で下ろした。煙たがられてはいるかもしれないが、強く拒絶される程嫌われている訳でもないらしい。
 故に、彼女は花が綻ぶ様な笑顔で返した。
「ええ、また会いましょう」
 こうしてリリアは物乞いの男と別れの挨拶を交わし、帰路に就いた。


   ◇◇◇


 帰り道で、リリアは従者が手綱を握る駱駝に揺られながら物思いに耽っていた。その表情は暗い。
 あの物乞いの男と交わした話の内容にも気落ちさせられたが、別れ際に男が名乗った名前――。
「『ザクラメフィ』……」
 彼女の呟きは街の喧騒に掻き消されて、すぐ側に居る従者達の耳にも届くことはなかった。
(まさかね)
 きっと偽名に違いない。実の我が子にその様な名前を付ける親がいるものか。周囲の人間だってきっと許さないだろう。
 
 ――死者の王、冥神ザクラメフィと同じ名など。

(まさか、ね……)
 リリアは苦笑しながらその小さな頭を振った。



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