機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  06、奔放なお嬢様



 話は数か月後、地上界のカンブランタ王国に移る。
 閑静な住宅街の通りを人を乗せた二頭の駱駝がのんびりと歩いていた。駱駝に乗る人物は共に顔を衣で隠していたが、上等な女物の衣服と複数の従者を連れていることから、裕福な家の女性であることは誰の目から見ても明かだった。
 この区画は豪商の屋敷が立ち並んでいたので、彼女達は違和感なく街の景色に溶け込んでいる。恐らくはこの辺りに住む商人の娘か、お忍びで訪れた貴族の令嬢なのだろうと察して、必要以上に気に留める者はいなかった。
 だが、住人達の見当は外れていた。お忍びという所だけは当たっていたが、彼女達の内の一人は平民でも貴族でもない。
「お嬢様、今からでも遅くはありません。どうかお屋敷へお戻りになって下さいまし」
 駱駝に乗っている女性の一人が、声を潜めてもう一人の女性に懇願する。
「どうして? せっかくここまで来たのに」
 はきはきとした声で相手の女性が答えた。声の様子から、かなり若い娘と分かる。
 この二人は、どうやら主人とお付きの侍女という間柄の様だ。
「再三申し上げておりますが、お嬢様の様な貴い身分の女性が妄りにお住いの外へとお出でになるものではありません。ましてや如何わしい呪い師の屋敷になど……」
「でもその呪い師の許には、下々の民のみならず王宮に出仕する貴族達も通っているのでしょう? 噂では大臣の家人も内々に使いを送っているとか」
「あくまで噂でございます。実態は口の上手い流れ者の詐欺師に相違ありません。そのような者に、宮廷の神官達でさえ解き明かすことが叶わなかった姉君の病の原因が分かろう筈もございません!」
「ああ、原因自体はね、もう分ってしまっているのよね。薄々だけど」
 一行の中で最も身分が高いその娘は、異母姉の線の細い顔を思い浮かべて鼻で笑った。
「え? そう、なのですか?」
「あれは多分『恋の病』ね。この間、二番目のお兄様のお住まいで宴が催されたでしょう。その際に、下級貴族の子息の一人と良い雰囲気になっていらっしゃったのをお見かけしたのよ」
「まあ、それは気付きませんでした」
「本当に気の弱い方よね。だけど、一族の中での地位は高い。恩を売っておくに越したことはないでしょう」
「お嬢様、それは……」
「そういう理由でもなければ、腹違いの姉相手にここまでのことはしないわよ、私は。……ああ、権力に興味がある訳ではないわよ。ただ、打てる手は打っておいた方が何かあった時に安心でしょう?」
 仮に件の呪い師が似非であったとしても、彼女が異母姉の為に行動したという事実と証言は残る。それこそが重要なのだ。
 主人の本音を知った侍女は、自らの浅慮を恥じ、謝罪した。そして、悲しそうな声でこう言ったのであった。
「私、王族の御兄弟は仲が宜しくていらっしゃるのかと思っていました」
「別に悪くはないんじゃないかしら。皆、お互いに思う所はあっても、王族として果たすべき役割はちゃんと心得ているということよ。お父様の浅はかな妻達や腹黒い取り巻きの貴族達とは違ってね」
 女主人はちらりと侍女を見る。顔を覆う衣に阻まれて表情を窺い知ることはできないが、きっと泣きそうな顔をしているに違いない。何故なら、彼女もまた貴族の出であるのだから。
(本当は、このようなことは臣下の前で言うべきではないのでしょうけどね。こちらが言う前に、自分で気付いてもらいたい所だわ)
 所詮一介の侍女相手に政治的な判断は無理か、と女主人は溜息を吐き、以後は目的地まで一言も発することはなかった。


   ◇◇◇


 それから間もなく、彼女達は目的地へと到着した。
 目の前には、周辺の豪商達が所有する物に全く引けを取らないくらいに立派な屋敷が広がっている。
 件の呪い師は出自が明らかになっていないようだが、何処の馬の骨とも分からない者がよくもここまで成り上がったものだと女主人は感心した。
 それと同時に、彼女は少し違和感を覚えた。
「随分と静かね。彼の者の屋敷の門前には、毎日絶えることなく行列が出来ていると聞いたのだけれど」
「場所は確かにこちらなのでしょうね?」
 主人が言わんとすることを理解して、侍女はここまで先導してきた従者に尋ねた。
「間違いない筈ですが……」
「屋敷の者を呼んでみましょう」
 そう言って、別の従者が門扉の方へと向かった。
「先に使者を出しておくべきでしたね」
「それは無理みたい。彼の者は『例え高貴な家の者であっても予約は一切受け付けず、訪れた者を順番に迎え入れる』謎の信念を持っているのだそうよ」
 女主人は聞き齧りの知識を披露してみせた。今側に居る者とは違う、別の侍女から仕入れた情報だ。
「面倒ですこと。よくそれで商売が成り立ちますわね」
「それだけ実力のある呪い師ということなのでしょうよ」
「そうであると良いのですが……。ところで、お嬢様。それらの情報を一体どなたからお聞きになられたのですか?」
「とある者から、よ。貴女が知る必要はないわ」
「然様でございますか。その情報源が他の侍女達ならば、私、女官長にご報告申し上げなければならないと思っていたのですが」
 余計な所にばかり察しの良い女である。
 女主人は内心苛立ったが、表向きには笑って誤魔化した。自分に仕える侍女達の中では一番身分の高いこの女に真実を知られてはならない。
 だから、先程屋敷に遣わした従者が門扉の前で言い争う様子を見た時は、少々安堵した。これで話を逸らすことが出来ると。
「あの者達は何をしているのかしら?」
「行って見て参ります」
 侍女は駱駝から降りると、従者の一人を伴い、門扉の方へと向かった。
 女主人が人知れずほっと溜息を吐いた、その瞬間だった。

 ――ぞわっ。

 一瞬、全身の毛が逆立ったように感じた。今迄の人生の中で感じたことのない感覚だ。
 女主人は本能的にその原因となるものを視界に捕らえた。
(何? なに、か、煙のような物が……)
 屋敷の壁沿いに一塊、黒い靄の様なものが漂っていた。上空に上っていくことも、そのまま掻き消える気配もなく、ただゆらゆらと揺れてその場に留まっている。
 だが程なくして靄は消え、その向こう側に襤褸布に包まれた人間が一人座り込んでいるのが見えた。
(物乞いかしら?)
 布を深々と被っている為、顔の様子は窺えなかったが、香の燃え滓のような灰色の髪や死人の様に白い素足が目を引いた。
「お嬢様」
 侍女が戻ってきた。傍らに従者二人と呪い師の屋敷の家人と思わしき男性を連れている。
 主の仕事柄、高位の人物を見慣れている家人の男性は、直に眼前の相手がやんごとなき身分の女性であると察して、地面に突っ伏した。
 その後、女主人が男に発言の許可を与えると、彼は這い蹲ったまま口を開いた。
「貴女様がこの方の御主人でいらっしゃる?」
「ええ、そうですけれども。この者が何か粗相でも?」
「本日は商いをお休みしておりますので、お引き取り頂きたかったのですが、従者の方が……」
「恐れながら!」
 気色ばんで従者が反論しようとするのを侍女が目線で制した。従者はぐっと言葉を飲み込んで、主人に謝罪する。
 年若く、見るからに矜持が高そうな青年だ。相手にも都合があるだろうに、格下の人間に嘗められたと錯覚して失礼な態度を取ったのかもしれない。
「ああ、私に気を利かせて無理を言ったのですね。御免なさい。ちゃんと調べてから来ればよかったわ」
「しかし、ひめっ……お嬢様!」
 従者の青年が顔を青くして、止めに入ろうとした。だが、また侍女に睨まれ沈黙する。彼自身も下級ながら貴族の子息ではあるのだが、それよりも遥かに高貴な身分の主人の足を引っ張ってしまったことに漸く気付いた様で、身体が絶えず震えていた。
 女主人も従者の状態には気付いていたが、敢えて無視した。気遣う必要はない。彼にはこれを機に学んでもらわなければ。
「出直します。何時頃なら応対して頂けるのかしら?」
「それは……」
 屋敷の家人は困り顔で言葉を詰まらせた。どうやらただの休暇ではなく、何か事情があるようだ。
 女主人と家人の双方が話を切り出そうとした、その時だった。彼女にとっては聞き覚えのない声が両者の言葉を遮った。
「何時来ても無駄だ。この屋敷の主は死病に罹っている。数日内に命を失うだろう」
 凛とした、やや中性的な――恐らくは男の声だ。
 一同はばらばらに声のした方を見た。するとそこには、先程見掛けた物乞いが全く変わらぬ様子で座り込んでいた。
 見た目の割りに美しい声だと女主人が小さく吐息を漏らすと、足元から嗄れた怒鳴り声が聞こえてきて、感動の余韻を打ち消された。
「お前は! 屋敷の周辺をうろつくなと何度も言っているだろう。いい加減にしないと役人を呼ぶぞ!」
「……」
 物乞いは黙り込むが、怯える気配は全くない。肝の座った男である。
 女主人は家人の方に向き直り、尋ねた。
「病に伏せっていること自体は事実なの?」
「ええ、それは……。ですので、何時ならば大丈夫と申し上げることができないのです」
「治る病気なのですか?」
 今度は侍女が尋ねる。
「勿論です! 死ぬなんて縁起でもない!」
「そう……」
 悲壮な表情を浮かべて家人は必死に否定した。だが、その様子から彼の主人の病状が深刻であることが窺い知れた。そして、彼の主人に対する愛情や忠誠心も。
「冗談でも言って良いことと悪いことがあるわね」
 女主人は再び物乞いの方を向き、窘めるように冷たい口調で言った。だが、相手は譲らない。
「事実だ」
「根拠のない推測や妄想を『事実』とは言わないわ」
「……何れ分かる」
 女主人はむっとしたが、互いに意地の張り合いで譲らないので、これ以上会話を続けるのは止めた。
「また伺います。今度は先に休日を調べさせてから」
「本日は申し訳御座いませんでした。ですが、何れ必ず。必ず……!」
「次があることを信じている」という言葉の意図を理解した家人は、目に涙を滲ませながら次回の面会を約束した。
 その横で、物乞いは静かに溜息を吐いた。


   ◇◇◇


 数日後、自室で寛いでいた女主人の許にある知らせが届く。
「死んだ?」
「ええ、そう報告を受けております。本来ならば命を落とすような病ではないのですが、高齢が祟ったのか、我々が訪問した日の数日後に意識不明となったそうで」
 少し腰を浮かせた状態になっていた女主人は、再び椅子に腰を落とした。
 呪い師の訃報を聞いて思い起こされるのは、主人を気遣う家人の姿と――。
(あの物乞いの言った通りになった。これは偶然? いいえ、でも……)
 襤褸布に纏われた男の姿が脳裏に浮かぶ。
(あの男、初め人間には見えなかった。でもその後はちゃんと人間に見えたから、きっと目の錯覚だったのだろうと思っていたのだけれど)
「あれは魔性だったのか?」
「は?」
「何でもないわ。報告、有難う。下がって頂戴」
「畏まりました」
 知らせを持って来た官吏が下がると、傍らに立っていた侍女が不安気に女主人を見た。先日呪い師の屋敷にも同行したあの侍女だ。
 だが、女主人は困惑する臣下の視線に応えることはなく、俯いて物思いに耽っていた。
 結局、あの男の顔を最後まで見ることはなかったが、あの襤褸布の下には一体どんな顔が隠されていたのだろう。あれが真実人外の存在であるならば、不謹慎な彼の言葉は本当にただの「根拠のない推測や妄想」であったのだろうか。
「確認したい」
「え?」
 身の危険もよりも好奇心が勝った。
 否、これは好奇心ではなく恐怖心だ。これを放置すれば何か重大な災厄がカンブランタの地に降りかかる。そんな予感がしたのだ。



2023.11.08 一部文言を修正

2020.10.10 サブタイトル変更

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