機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  03、亡国の跡



 それから一月と数日後、シャンセ一行は目的地へと到着した。
 遠い昔に聖都サンデルカに及ぶと称された大都市は、今や見る影もない荒野と化していた。遺跡らしきものすら見かけないのは、カンブランタ教を忌避する者達が過去に彼等の信仰の象徴となる物を根こそぎ破壊していった為らしい。
 一般的な地上人族の伝承によれば、カンブランタは千年程前に栄えた国で、反天帝主義を掲げて邪神を祀り、不信心な行いを続けていたのだという。その結果として天帝の怒りを買い、一夜にして大地に埋没したと伝えられている。
 しかしながら、地面から乾いた砂を一撮み救い上げたキロネは「ふん」と鼻を鳴らしてこう言い放った。
「成程、『埋没都市』ねえ。理解したわ。要するにここの住人達は、どんな事情だか知らないけれど、地神様の怒りを買って国ごと埋められちゃったって訳ね」
 落ちぶれて化け物の姿と成り果ててはいても、彼女は本来世界の根源である《元素》の海より生まれ出でた「精霊」だ。《地》の《顕現》たる大地の質を人族以上に精密に感じ取っていた。
 細く白い指を汚す砂の中に沁み込んでいたのは、千年の時を経てやや色褪せた「地神の怒り」であった。
 侍神の肉体を持つアミュもまた、キロネ達とは違う形ではあったが、この地に地神の気配を感じていた。
(神気……少しだけ残ってる。聖都で感じたもう一人の神様の。この神様が「地神」様……)
 聖都サンデルカでの出来事を思い出して嫌な気分になる。
 地上人族を生み出しておきながらその無能さを嫌い、種族ごと地界の辺境へと追放した神――地神オルデリヒド。
 彼は聖都で惨事が起こった際も、決して自分の被造物を守ろうとはしなかった。それを思うと更に不快な気分になった。
 俯くアミュを他所に、他の三人は話を続ける。
「天人大戦後ってことは、やっぱり千年ぐらい前になるんだろうな。そんだけ時間が経ってて、まだこれだけの残留神気が残っているのか……。これは、相当お怒りだったんだろうな」
「ここに住んでた連中は一体何をやらかしたのかしら。あの大人しい地神様をここまで怒らせるなんて」
「王子様、『天人族の王女達に弄ばれ』たって言ってたな。どうしてそれが地神様を怒らせることになったんだ? あの方のご気質なら、この都市の住人は被害者だと過剰に憐れまれて庇護されるんじゃないのか」
 光精達の言葉を聞きながら、シャンセは少々難しい顔をして目を伏せた。
 彼は黒天人族の王の長子で、元王太子だ。黒か白か或いは他の少数種族かは言及しなかったが、加害者側の『天人族の王女達』の中には彼の妹も含まれているのかもしれない。ならば、きっと思う所はあるだろう。
「当時投獄されていた私が知ることが出来るのは、〈星読〉による概要と今に伝わる伝承だけだ。だから、今から話すことは推測に過ぎないのだが……」
「うん」
「無論全てがそうという訳ではないが、地上人族は地神の眷族でありながら《天》に執着する歪な種族だ。この都市も聖都同様天帝を祀り、その眷族である天人族のことも盲信していた。だから、ある日地上に降り立った私の愚かな妹達の言葉も良く聞いた。玩具同然に思われているとも知らず。その結果、カンブランタは実質天人族に乗っ取られた状態となり、最終的に妹達は地神と同じ《地》の《顕現》たる大地にまでも手を加え始めた。そうして、《天》を嫌う《地》の神の怒りを買った」
「うわあ、ありそー。私、やっぱり天人族嫌いだわ。地上人族も」
「え?」
 唐突に地上人族を責められてアミュは驚く。何故、今の話の流れでこちらに矛先が向くのだろう。悪いのは天人族ではないか。
 しかし、キロネは平然と返した。
「あはっ、そう言う所も好きじゃない」
 自分が嫌われていることに気付かない、嫌われる理由がないと無意識に思い込んでいる、その無神経さ。それがキロネは気に入らないのだ。
 だが、これは彼女個人の感想であって光精という種族の共通認識では無いようだ。
「キロネ!」
「だって、本当なんだもーん」
 同じ光精であるマティアヌスはキロネを諫めたが、聞く耳を持たない相手の態度に苛立ちを隠せなかった。
 アミュはマティアヌスの様子に少し安堵したものの、キロネの――恐らくはアミュに出会う前から抱いていたのであろう――本心を知り、憂鬱な気持ちになる。
 一方、シャンセは同行者達が一喜一憂する様などまるで興味がないという様子で、一人カンブランタ跡の分析を始めていた。恐らくはあの〈祭具〉の鞄から出したのであろう脚の付いた大きな金属製の物体が、聞いたことのないような奇妙な音を吐きながら辺りをうろうろと歩き回っている。
「どうやら、地中に建造物らしき物が埋まっているようだ。と同時に、空洞らしき物も確認できた」
 金属製の〈祭具〉に表示された画面を眺めながら、独り言のようにシャンセは言った。
 それを背中で聞いたマティアヌスが、振り返って尋ねる。
「ん? まだ全部は土に帰ってなかったのか。それに空洞って……」
「土に返るどころか、ほぼ当時と変わらない状態で残っているようだな。恐らくはそれも妹達の仕業だろう」
「何でそこまで手を掛けたか……」
「空洞については、埋没した当時からの物と後年掘られた物とが混在しているようだ。これは、まるで迷路だな」
 一同が一様に地面を見る。暫し、沈黙が落ちた。
「『後年』……。シャンセ、私、嫌なこと思い付いちゃったんだけど」
「因みに空洞内部には多数の生命反応がある」
「それって、例のカンブランタ教……」
「お前が何と言おうと地下に潜るからな」
「えー……」
 キロネは心底嫌そうに声を上げる。
 シャンセは冷ややかな視線をキロネに送った。内心むっとしているのが分かる。
「地上人族如きに怖気付いたのか? それでも誇り高き《光》の精霊か」
「いや、普段なら渋々でもあんたの言うことに乗ってあげるところなんだけれどもさ、聖都での『事件』を知った後だとね……」
 そう返したのは意外にもキロネではなくマティアヌスの方であった。
「神託の巫女に掛けられていたあの〈術〉が引っかかるんだよなあ。あれについて、何か分かったのか?」
「どこで習得したかは分からないが、あれは強化系の〈術〉の変異だな。〈祭具〉ではない。まず〈術〉の核を生体内に設置し、時間差で起動させる。この辺りは渾神がアミュに仕掛けた侍神化の〈神術〉と似ているな。そして起動すると、核を設置した対象とその周辺に存在する人族の身体能力を向上させる〈術〉だったと思われる」
「『思われる』?」
「術者の能力や〈術〉の対象である地上人達の耐久度が低過ぎて失敗したんだ。しかし、仮に成功してもそこまで恐れるような物ではない。不意打ちを食らったとしても、我々ならば痛くも痒くもない程度の力だ。脆弱な地上人族には絶望的な威力だろうがね」
 シャンセと光精達はアミュの方を見た。視線を集めた少女はびくりと身体を振るわせた後、思わず視線を反らしてしまった。
「嬢ちゃんはどうなんだ」
 視線をシャンセに戻し、マティアヌスは尋ねる。
「アミュこそ問題ないだろう。あの肉体は特別製だからな。ただ、〈術〉の影響は受けなくても彼女には戦闘能力がないから、やはり誰かと一緒に行動した方が良いだろう」
「あら、全員で潜るんじゃないの?」
「まさか。念の為、一人か二人ここに残して、残りで地下を捜索するつもりだ」
「じゃあ、残留組に立候補しまーす!」
 勢いよく手を上げたキロネに対し、シャンセは低い声で返す。
「交代に決まってるだろう」
「げえ……」
「今のお前の発言を光神様が聞いたら、さぞかし失望するだろうな」
「脅しのつもり?」
「脅しと感じる程度には、負い目があるということか」
「観念しろよ、キロネ」
 ここでマティアヌスのキロネに対する苛つきが再発する。
 永獄から脱出してからは全く見せることのなかった険しい表情で、マティアヌスはキロネに対峙した。
「お前さあ、光神様の許へ帰りたいんじゃなかったのか。天帝が許せないとも言っていただろう。なら、もっと積極的に協力するべきじゃないのか?」
「でも、さあ……」
 キロネは急におどおどと視線を泳がせた。声も震えている。
 表面上キロネの悪乗りや子供じみた態度を責めはしても、あくまでじゃれ合っているだけ。実際のところ、同族である彼は自分と同様の価値観を持った味方だと彼女は思い込んでいた。
 だが、彼等は血の繋がらない他人で、大人同士だ。親しい中にも礼儀はある。
「シャンセよりも良い案があるなら言ってみろよ」
「……ないわ。分かった。私も手伝う」
「分かれば良いよ」
「話が纏まったなら、続けるぞ」
 険悪な雰囲気が晴れるのを待ちきれないという風に、シャンセが話し出した。
「まず、この都の広さだが――」
 喋り出して直に、彼の言葉が止まる。
 次の瞬間、どどどっと地鳴りが聞こえ始めた。それと同時に、地面が罅割れる。
「えっ!?」
「うわ!」
 一同は悲鳴を上げながら、崩れ落ちる地面へと吸い込まれていった。


   ◇◇◇


「きゃああっ!!」
 一際、甲高い悲鳴が響いた。アミュの声だ。
「嬢ちゃん!」
 マティアヌスは慌ててアミュの腕を掴み、自分の方へと引き寄せた。そのまま、落ちてくる土砂や墜落の衝撃から庇うように彼女を抱きかかえる。
 その横を「ぎゃあああああっ!」と汚い悲鳴を上げながら、何故か一際速い速度でキロネが滑り落ちていった。
 落下距離は然程長くはない筈だが、体感的には随分と長く感じられる。
 しかし、それから間もなく彼等は穴の底へと辿り着いた。
「あ……有難うございます」
 アミュはほんの少し頬を染めてマティアヌスに礼を言い、彼から離れた。マティアヌスは苦笑したが、アミュの仕草を可愛らしく感じてしまう。
 そんな二人の様子をキロネは寝そべったまま不機嫌な顔で眺めていた。
 そこへ不意に黒く細長い影が差す。シャンセである。
 彼は地面に大きく空いた穴の縁に立ち、落ちていった三人を見下ろしていた。
「あんた、自分だけ!」
「妙だな。地盤沈下の兆候はなかったのだが……」
 シャンセは口元に手を当て、何やらぶつぶつと呟いている。
 彼が手を貸してくれる気配は全くないので、マティアヌスは自分が残り二人を導くことを決め、立ち上がった。
「とりあえず地上の、地下が空洞になっていない所まで戻ろう。まだ崩れていない部分もどうなるか分からないし」
「そうね」
「立てるか、嬢ちゃ……っと」
 アミュに手を差し出した瞬間、マティアヌスは上方に人の気配を感じて、勢いよく顔を上げた。
 シャンセやキロネも彼の険しい表情に気付いて、その視線の先を追う。
「あ……」
「ええっと……」
 視線の先に居たのは、地上人族の女性だった。
 年の頃はニ十歳前後だろうか。暑く、乾燥したカンブランタの気候に合った肌の露出の低い衣服を身に纏っている。
 その表情には困惑の色がはっきりと浮かんでいた。
「貴女、この辺りの人?」
 最初に口を開いたのはキロネだった。
 相手の女性も含めた他の者達が、ただただ呆然としている中でのその行動力に、一同は心底感心する。
(まあ、空気が読めないとも言うがな)
 マティアヌスが心の中だけで呟いていると、キロネの言葉ではっと覚醒した女性が、漸く口を開いた。
「はい、近くに住む者です。こちらで大きな音が聞こえたものですから、様子を見に来たのですが……。あの、お怪我はありませんか?」
「取り敢えずは大丈夫、みたいだな。俺達、行商人でさ。たまたまこの場所に通り掛かって休憩してたら、いきなり地面が崩れて……まあ、この有様さ」
 穴の下に居るマティアヌスが答える。
 警戒心を露わにしている眼前の男とは違った、明るく気さくな彼の様子に安心したのか、女性は少しだけ緊張の緩んだ表情を見せた。
「それは大変でしたね。ここの地下には古い都の建物が埋まっていて、空洞部分が多いんです。とても丈夫に出来ていて、こんな風に崩れたという話は今迄一度も聞いたことはありませんでしたが……」
「まあ、これからは気を付けた方が良いのかも知れないなあ。他の場所も崩れてくるかもだし」
「そうですね。皆にも伝えておきます」
「『皆に』……近場に集落があるのですか?」
 不意に、今迄無言を通していたシャンセが喋り始める。
 驚いた女性は顔を強張らせた。
「ええ、まあ……」
「そうですか。もし、貴女の集落に宿屋があれば場所を教えて頂きたいのですが。次の街までまだ距離がありますし、荷馬車があの状態ですから今夜はこの辺りで過ごすことになりそうですし」
「荷馬車? ……あっ!」
 シャンセの言葉で、漸く自分達が乗ってきた荷馬車の存在を思い出した三人は、慌てて辺りを見回す。そうして穴の中の彼等から少し離れた場所に、あちらこちら破損して荷物が零れだした荷馬車が倒れているのを確認した。
 キロネは荷馬車に駆け寄った後、シャンセを睨み付けた。
「ちょっと、あんた何やってんのよ」
「私に言うなよ」
 彼等の状況を察した女性は、困った様子で言った。
「申し訳ありません。小さな集落なので宿屋はちょっと……」
「そうですか……」
「あっ。でも私の家でも宜しければ、お泊めしますよ。狭い住まいなので、差し支えなければですが」
「こんな何処の誰とも知れない連中を泊めてしまって良いのかい? お家の人とかは?」
「私、一人暮らしなんです」
「益々、気が引けるなあ」
 マティアヌスは頭を掻き、シャンセを見た。得体の知れない、それもカンブランタ教の一味の可能性がある女やその仲間達にそこまで接近を許して良いものか。
「困った時はお互い様ですから。それに、村に行商の方が訪れることなんて滅多になくて、その……」
「ああ、商売までさせて頂けるなら有り難い」
 そう答えたのはシャンセだった。
(潜入捜査か。相手の規模や実力が見えない状態では危ういが……)
 マティアヌスはシャンセの周辺を見渡す。先程迄あった調査用〈祭具〉が見当たらない。恐らく〈術〉で不可視化しているのだろう。夜神の〈神術〉に由来する黒天人族特有の〈術〉の一種だ。
(辛うじてこちら側の正体は隠せている、か?)
 危険な賭けだが、現状自分達の正体が知られていないなら、女性の提案を拒否したことで返って不審がられる可能性もある。
 マティアヌスはシャンセに頷き返してみせた。
 彼の反応を見た女性は、ぱっと顔を明るくした。
「では、ご案内しますね!」
「ああ、その前に」
「え?」
 シャンセは穴の下を指さす。
「荷馬車を……」
 手持ちの〈祭具〉を使えば荷馬車を引き上げるのは容易いが、地上人達の見ている前でそれを行う訳にはいかない。シャンセは女性に男手を呼んでもらい、彼等やマティアヌスと共に時間を掛けて壊れた荷馬車と荷物を地上まで引き上げた。
 荷馬車を牽いていた馬達は瀕死の状態で、一応上まで運んでみたものの、結局その日の内に息を引き取ってしまった。
 後で荷馬車の修理と替えの馬を手配しなければならない。従って、当分の間はこの地に留まることになるだろう。とんだ資金と時間の損失を食らったものである。
 ともあれ、こうして全ての作業が終わった頃には、辺りは夕焼けで真っ赤に染まっていた。



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