機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  04、昔語り



 白き女神――理神タロスメノスが渾神の前に現れてから四半刻程時が過ぎた。
 彼女は渾神を睨み付けたまま動く気配がなく、一言も発しない。けれども、何もしていないという訳でもないようで、渾神がアミュの方へ意識を向けても様子を窺い知ることが出来なくなっていた。恐らくは、理神の〈神術〉に阻まれているのだろう。
 渾神は焦りと苛立ちを隠し切れず、低い声音で尋ねた。
「何? さっきからずっと黙ったままだけど」
「……」
 答えはない。元々寡黙な女神ではあるが、ここまであからさまに意思疎通を拒まれると苛立たしさが増してくる。
「用がないならもう行くわよ。私の可愛い娘を追わなきゃいけないから」
「彼女は貴女の娘ではありません」
 漸く理神が口を開いた。穏やかで、しかしながら他者を遥か頭上から見下しているかのような威圧的な口調だ。
「娘よ。決して私を裏切らない、そういう風に作り直した『我が子』。貴女と違ってね」
「……」
 共に神の序列に於いて第二位となる「外神」である渾神と理神。その《元素》の出自は表向き不明とされている。
 だが、当人達は自身の出生の秘密について知っていた。即ち、《渾》は原初の《元素》である《塊》が衰退した果ての姿であり、《理》は《塊》から最初に分離した《元素》であることを。
《元素》の成り立ちだけ見れば、この二柱神は親子のようなものだ。彼女達自身、嘗ては互いのことを実の親子のように思っていた。
 しかし、理神は渾神の手から離れて光神を選んだ。彼を最も尊い王とする為に、彼より先んじて生じた自分達の素性を隠してしまった。
 理神の反抗はそれだけに止まらない。節理と運命を意味する《理》の《顕現》神である彼女ならば、神戦の折に渾神が討たれることも知っていた筈だろうに、母である渾神を守るどころか、助言すら与えてくれなかったのだ。
 当時は気付かなかったが、きっと理神は渾神を疎んじていたのだろう。渾神は長女である彼女を信じ過ぎて、目が曇っていたのだ。
「今更、私に未練など無いでしょう? 貴女の方から手を切ったんだもの。《元素》であった頃といい、プロトリシカとの結婚といい、神戦の時といい……貴女本当に裏切ってばかりじゃない。こちらこそ、もううんざりなのよ」
「それも、全ては《理》なればこそ」
「またそれ? 聞き飽きたんですけど」
 根源である《塊》は嘗ては《理》をも内包し、《理》が分離した後もその一部は未だ《渾》の中に残留している筈なのに、渾神は《理》を認めたがらない。恐らくは理神に対する反発からと、何かしら《理》に相反する要素が《塊》の中に含まれているからなのだろう。
 渾神は引き攣った笑顔を理神に向ける。本人は隠そうとしているが、焦燥がありありと表れていた。
「《理》を重んじるというのなら、分かるでしょう? 私の《理》は『変わっていくこと』。その為にあの子が必要なの。邪魔しないで」
「いいえ。貴女が自称する『ルガヴウオル(混沌と変化)』は、貴女の本来の《理》ではありません。貴女の《理》は――『ヴァルガヴォル』です」
 理神の口からその単語が出た瞬間、渾神の身体が石の様に固まり、殆ど動かせなくなった。「ヴァルガヴォル」とは、創世期の神語で「不変」を表す言葉である。
 節理の神たる理神は、《顕現》したばかりの頃に神語を生み出して万物を特定の性質に縛り付けた。神語は効力が強過ぎるが故に、やがて智神の生み出した代替の言語に取って代わられ、今では神族の名前以外でほぼ使用されなくなったが、当然神語の持つ力そのものが無くなった訳ではない。
 更に面倒なことに、理神は神語の生みの親であると同時に、誰より優秀な神語の使い手でもあった。
 それでも渾神が僅かながらこの神語に抵抗できたのは、彼女が理神よりも上位の神である為だ。
「貴女……やってくれたわね!」
 渾神は怒りに打ち震える。それ位の余裕はまだあった。他の神ならば身体を震わすどころか、思考すら出来なかったであろう。
 そんな渾神の力量に内心では恐れをなしながらも、表面上は平静を装い、理神は渾神を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「私は《理》の《顕現》神として、正道より外れた者を正さねばなりません。それが私の《理》であるが故に」
「何て、忌々しい女!」
 渾神は歯軋りして理神を睨み返した。


   ◇◇◇


 翌日、シャンセ達は案内された先の集落で店開きをした。商品は主に宝石と貴金属である。
 そこそこ値の張る品である為、寂れた田舎の村では殆ど売れないのではないかと思われたが、意外にもこの村の住人達は羽振りが良かった。彼等の背後に不正な資金源の存在が垣間見えたが、シャンセ達は敢えてそれには触れないでおくことにした。
 夕刻、店仕舞いをして宿代わりにしている家へ戻ると、昨日カンブランタ跡で出会った女性が出来立ての料理を作って待っていてくれた。
 荷下ろしもそこそこに、彼等は全員で夕餉を取ることにする。
「意外だったな。こんなに容易く受け入れて貰えるとは思わなかった」
「え?」
 汁物を啜ったマティアヌスがふとその様に零したのを聞き、家主の女性は不思議そうな表情を浮かべて顔を上げた。
「ほら、この村って何と言うか……」
「隠れ里みたいに見えるわね」
「キロネ!」
 マティアヌスが声を荒げる。何の為に彼等の背後関係を察しながらも沈黙を続けたのか。
(折角穏便に事が進んでいたのに、引っ掻き回すようなことをして!)
 しかし、浅はかなキロネの好奇心は止められない。
「包み隠して言ってもしょうがないじゃない。理由はやっぱり『カンブランタ教』?」
「……」
「ああ、すまない。この女は性根が腐っているんだ」
「何ですって!?」
 言い争いを始める光精二人。シャンセとアミュはそれを迷惑そうに見詰めながらも口出しすることはなく、また相手の女性の方は手に持った器を握り締めて目を伏せた。
 だが、ややあって――。
「これ以上隠していても無意味なのでしょうね。貴方がたは恐らく凡その事情は察していらっしゃる」
「初めから知っていて、この地を訪れた訳ではないのですがね。村の様子を見て何となく」
 そう返したのはシャンセだ。困ったような顔をしている。旅人達の長である彼にとっても、彼女達との出会いは不意打ちの出来事であったのだと女性は解釈した。
「そうですか……。確かに私達はカンブランタの民の末裔と言われています。信仰する神も世間を騒がせている『カンブランタ教』と同じです。しかし、私達は彼等に組する者ではありませんし、彼等の活動を支持してはおりません。ただ、やはり表に出られない状況ですので、こうして隠れ住んでいるのです」
 カンブランタ教と繋がりがないという部分は恐らく嘘だ。そうでなければ、村人達の不自然な豊かさの説明がつかない。一見してこの村には他に収入源となるような物は見当たらないのだから。
「本当に良かったのかい、俺達を招き入れても?」
 キロネの口を塞ぎ、マティアヌスが問い掛けた。
「隠れ里と言っても、人間社会と完全に断交して存続していくことは出来ませんし、貴方がたに限らず時々外部の方も訪れているのですよ。皆、刺激に飢えていますし……。だから、皆さんには本当に感謝しているんです。こんな寂れた村、大した稼ぎにもならないでしょうに、来て下さって。だから、その……」
「そういう事情でしたら、勿論我々も外部の者に話すつもりはありませんよ。宿をお借りしているご恩もありますしね。ただ、その代わりと言う訳ではありませんが、もう一つだけ貴女にお願いしたいことがあるのです」
「何でしょうか?」
「我々に貴女達――『カンブランタの民』のことを教えて頂きたいのです。その歴史や文化について」
「えっ、どうして?」
 家主の女性は目を見開く。その表情には警戒の色が浮かんでいた。
「事の良し悪しは差し置いて、カンブランタ教は現在拡大の一途を辿っています。今後、彼等と取引を行う機会も増えてくることでしょう。だからこそ、知っておく必要があると思ったのですよ」
 全くの初耳であるシャンセの考えに驚いたキロネは、マティアヌスに光精の言葉で囁いた。
(そうなの?)
(商売云々は、カンブランタの話を聞き出す為の只の口実だよ。〈祭具〉探しの手掛かりを掴む為に必要という判断なんだろうな。カンブランタ教の〈術〉に関する謎を解き明かす切っ掛けになるかもしれないし)
(謎を解いてどうするの?)
(馬鹿か、お前は。うっかり接触しちまった時の対策に決まってるだろ)
(あ、そっか。……って、誰が「馬鹿」だ!)
 光精が再び喧嘩を始めるのを脇目で見ながら、シャンセは家主の女性に「如何でしょうか?」と尋ねた。
 女性は暫く迷っている様子だったが、やがて肯定の頷きを返す。
「分かりました。私の知識だけでどの程度お役に立てるかは分かりませんが。……そうですね、まずは歴史を。カンブランタの最後の王――その先王の時代からお話しましょうか」
 遠い過去に感情移入しているのだろうか。彼女は悲し気な表情でカンブランタの伝承を語り始めた。



2023.02.28 誤字修正

2020.09.24 誤字修正

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