機械仕掛けの神の国

◆ 第一章 地神の箱庭 ◆


  22、不穏な旅立ち



 それからおよそ二ヶ月後、シャンセ一行はアミュを連れて聖都サンデルカを発った。
 聖都の人々は「暁神の神子」であるアミュを引き留めようと手を尽くしたが、最終的には彼女の出立を認めざるを得なかった。「天帝から次の伝令の任を与えられている」と聞けば、信仰心が篤いこの都の人々は折れるしかない。無論、「天帝云々」はシャンセ吐いた真っ赤な嘘であるが。
 シャンセの強い希望で見送りは簡素なものとなった。奉納品や従者の類も断った。それでも聖都の人々は諦め切れなかったのか、密かにアミュ達の後を付けさせたが、その追跡者達もシャンセの〈術〉で振り切られた。
 こうして、漸くシャンセ達は元の「行商」の姿へと戻ることが出来たのである。
「非常に不本意です」
「まあまあ」
 荷馬車の中でアミュが不満そうに主張するのを聞き、御者のマティアヌスが宥める。天界や永獄で起こった事件から八年経った今でも、アミュの中にはまだシャンセやキロネ達に対する蟠りが残っているようだった。
 それでも彼等の旅に同行したのは、高位神の侍神であっても未だその神の依代になる程度の能力しか持たないアミュでは、シャンセ達に手も足も出ないことを知っていたからだ。
 正直、アミュ自身はこのまま聖都に留まっても良いと思っていた。敵である天帝はこの地を去り、アミュを「暁神の神子」だと思い込んでいる聖都の人々は彼女に掛かった「不変の呪い」にも抵抗を持たないだろう。きっと、アミュは今迄の人生になかったくらい大事にされたに違いない。
「何故私が、貴方達に同行しなければならないのですか?」
 俯き加減で独り言のようにアミュはそう漏らした。
 その問いに答えたのはシャンセだ。
「その方が戦い易いからだよ。君にとっても、私達にとっても。戦力は少しでも多い方が良いだろう?」
「戦う?」
「そう、魔神や天帝と。或いは渾神とも」
「貴方は!」
 また自分を利用するつもりなのか、とアミュはシャンセを睨み付けた。
 魔神のことはよく分からないが、彼が名を上げた残りの二柱は高位神だ。しかも天帝は神族の王。人族の身で敵う訳がない。
 彼等の自殺行為に巻き込まれるのは御免だ
「君は不変の呪いを解いて、ただの地上人に戻りたいのだろう? その呪いを掛けているのは渾神だ。仮に何かしらの方法で君がその〈術〉から開放されたとしても、渾神はまた同じ〈神術〉を君に掛けるだろうよ。何度だってね。君の願いを永遠のものとする為には……戦うしかない」
「それは……」
「必要ない」と言いかけて、アミュは口を噤んだ。きっとアミュが何を言っても、シャンセはまた他の言い訳を思いつくのだろう。その遣り取りが面倒だ。
「それに一番手間が掛からない方法は、術者本人に〈神術〉を解かせることだ。倒すのが嫌なら、君が奴を説得するんだ」
「それで貴方が得られる利点は何ですか? 慈善事業で手を貸して下さる訳でもないのでしょう? 前回のように」
 アミュが言葉の中に混ぜた嫌味を無視して、シャンセは答える。
「私達は君を囮に渾神を誘き寄せ、奴を討つ。私達の第一の敵は天帝だし、こちらを利用しようと目論む魔神にも対応しなければならないが、そこで渾神に余計な横槍を入れられては困るんだよ。ただ煩わしいだけの害虫と呼ぶには、奴は強大過ぎる」
「虫ですって!?」
 聞き捨てならない言葉だ。アミュの主神である神に対して。
 確かに渾神は世間では邪神とされているし、アミュ自身も散々迷惑を被っているが、実際に会って話してみればそこまで酷い性質の神には見えなかった。シャンセだって彼女と面識があるのだから、分かっているだろうに。
「君も、もう渾神の恐ろしさは身に沁みて分かっただろう。奴は君がこうなることを八年前から分かっていたんだ。だから、一度君を手放して君の意思に沿ったように見せかけた。君が何れ不老の呪いのことで自分に泣き付いてくると踏んだ上でね。……今後の身の振り方、今の内に考えておいた方が良いよ」
「そんなこと……」
「で、シャンセ。次は何処へ行く?」
 重苦しい空気に耐えかねたのか、マティアヌスが御者席からそう問い掛けた。
 次の通過点は告げていても、その先の目的地は伝えていなかったことに漸く気付いたシャンセは、少し恥ずかしそうにマティアヌスの方へ振り向いた。
「ああ、そうだったな。次の目的地は――」


   ◇◇◇


 ――くす、くすくすくす……。
 
 笑声が聞こえる。
 物心付いた頃から、或いはそのずっと前からよく聞いた声だ。
(魔神、シドガルド)
 彼は漸く自身を悩ませ続けてきた神の名を知った。自分の住まいである離宮で自分の身体を乗っ取った神が、見知らぬ誰と話しているのが薄ぼんやりとだが聞こえたのだ。
 何時も身体を乗っ取られた時は全く意識がないのに、その時だけは何故か。
(神……、かみを……)
 景色もぼんやりと見えていた。
(かみを、ころ、す……つるぎ)
 彼の脳裏に強烈に刻まれたその刀身。魔神と誰かの会話の中ではなかった筈の、その剣の効果も彼は知っていた。――何故か。
(私は神、を……)
 闇に覆われた心中に一条の光が差したように感じる。間違いなく「それ」は、彼を救う希望だと。
「神を殺す」
 たどたどしい足取りで彼は、希望に向かって歩みを進めた。「神殺しの剣」を探す為に。
 頭に靄の掛かった状態は身体の主導権を取り戻した筈の今も続いていて、その神の名が自分の名と同じであることに疑問を持つ余裕すらない。
 それだけではなく、彼は自分が何処にいるかも分かっていなかった。どうやって王宮を出たのか――否、自室の外に出たことすらも認識してはいなかった。

 ――くすくすくす……。

 彼は「何故か」無人の荒野にいた。
 泥と小石が素足を汚し、傷付けていた。王族にふさわしい高価な寝間着も、今は薄汚れて所々が破れている。
 神は笑った。笑いながら言った。

「君はまだ、私の掌の上」



前話へ 次話へ

楽園神典 小説Top へ戻る