機械仕掛けの神の国

◆ 第一章 地神の箱庭 ◆


  21、恵みの雨



 未だ狂騒のただ中にある聖都サンデルカの空に、四つの大きな光が流れる。
「あ!」
「流れ星? ちょっと、大きくない?」
 天上の星にしては大きく、流れ星にしては速度が遅い。
 そもそも今はまだ日が高い。星が見える筈がないのだ。
「凶星か……?」
 今の聖都の有様を見てその怪現象を凶兆と解釈し、多くの者が絶望の底に落とされた。
 しかし、真実は彼等が思いこんでいるものとは違う。
 流れ星のような光の正体は神気だ。高位神が纏う強い神気が光の壁となり、地上人族の目から神々の姿を隠していたのだ。
 先頭を走る星の中心には渾神ヴァルガヴェリーテが、次に続く星には月神メーリリアと夜神ヌートレイナが、最後尾に位置する星には天帝ポルテリシモがいた。
 天帝は、その見え過ぎる神の目で地上界を見た。
「ちっ! 地上人共に気付かれたな」
 気付かれたからと言って、どうなる訳でもない。神を認識する能力を持った者はこの中には居ないようだ。恐らくは騒ぎの原因である術者さえも、光の正体を見抜く目は持っていないだろう。
 なんと非力で、矮小で、醜い生き物だろう。
(だが汚染をこのまま放って置く訳にはいかない。辺境とは言え、地上界は地界の――オルデリヒドの一部だ)
 画面越しには分からなかった黒霧の正体は、現物を見ればすぐに察しが付いた。
(この〈術〉、恐らく元は「強化」の〈術〉だ。術者も〈術〉を受けた側も力量不足で失敗、暴走しているのだな。ならばこれで……)
 天帝が指をぱちりと鳴らすと、天上から光の雨が降り注いだ。
 雨を受けた黒霧は、雨粒が当たった場所を中心として円を描く様にぱっと掻き消えた。それを幾度となく繰り返し、漸く聖都は黒霧の悪夢から解放されるに至る。
 後には清らかな光の雨と傷付き疲れた人々が残った。
 この〈神術〉の名は〈鎮魂雨〉。不具合を起こした〈術〉を強制的に分解し消滅させる効果があった。
(しかし――)
 当然ながら、〈鎮魂雨〉はただそれだけの効果しか持たない。〈術〉によって引き起こされた結果を変える力はない。故に、〈鎮魂雨〉では人々の傷を癒すことも、死者を蘇らせることも出来ない。
 また、天帝もそこまでの援助をする気はなかった。
(この結果をオルデリヒドはどう思うだろう?)
 別れ際の悲壮な姿が脳裏に浮かぶ。
(喧嘩なら何度もした。だが、あれ程取り乱したオルデリヒドは今迄見たことがなかった)
 今も居城に閉じ籠っているであろう弟を思いやり、天帝はぽつりと呟いた。
「大丈夫だろうか、あいつは」
 一方、地上にいる人々は――。
「煙が、消えた……」
「わあ!」
「奇跡だ」
「神の奇跡だ!」
 歓喜の声を上げ、無事を喜び、不運にも命を落とした者達の為に泣いた。
 そして皆、口を揃えて叫ぶ。
「日神様が……暁神様が助けて下さった!」
「日神様、万歳! 暁神様、万歳!」
「サンデルカ大神殿、万歳! 太陽王、万歳!」
 聖都サンデルカは喝采に包まれた。
 邪神の筆頭と呼ばれるに相応しい歪んだ性根を持つ渾神も、これには目を瞬かせて驚いた。余りにも単純。容易く詐欺に掛けられそうだ。
「暢気なものねえ。まだ、何も解決しちゃいないってのに。でも――」
 追手から逃げながらも、渾神は上空から聖都の人々を観察する。
 傷付いた神官を貴族が抱き起している。逆に神官が貴族を介助している場合もあった。
 それだけではない。身分や出身、思想の差なく助け合おうとしている者達も見受けられた。無論、その逆の方が圧倒的に多い訳だが――。
(時代が変わりゆく香り)
 渾神は満足げな表情を浮かべた。
「悪くない流れかしら?」
 その瞬間、彼女の禍々しい神気が輝きを増し、追手の神々は思わず寒気を覚えた。
 警戒した月神と夜神は、各々武器を召喚して渾神への攻撃を開始する。場所は、そのまま聖都の真上だ。
 天帝は慌てて〈結界〉を展開した。以降はひたすら聖都の守護に徹する羽目になる。制止する声も残念ながら戦闘音に掻き消され、彼女達には届かなかった。
 そうして結果がどうなったかと言うと、結局渾神は追手を振り切り逃走には成功したものの、逃げるのに精一杯で、アミュとは合流できずに終わったのであった。


   ◇◇◇


 城下の騒ぎとそれが沈静化したとの報は、王宮内部にいたマーヤトリナの耳にも届いていた。
 彼女が居る庭園にも光の雨は降り注いでいる。
「奇跡……」
 マーヤトリナの周囲にいる者達は、皆一様に歓喜と崇敬の眼差しを彼女に向けていた。信仰心の乏しいあのムルテカでさえもだ。
(私は――)
 酷い話だ。今この時に、彼女は守られるだけで何もしていない。それなのに、彼等は――。
(それでも人々の心の支えになれることこそが、私の存在意義であり力なのだと、自惚れてしまって良いのだろうか)
 マーヤトリナは震えた。まるで、見知らぬ土地にたった一人で放り出された子供の様に、心が不安と恐怖に支配されていく。
 だが、傍らに立つブラシネが不意に視界に入った瞬間、身体の震えがぴたりと止んだ。
「ブラシネ神官……」
 名を呼ばれたブラシネもまた、他の者と同じ表情でマーヤトリナを見詰めている。
(そうだった。私は変わると決めたのだ。そして――)
「お願いがあります、ブラシネ神官」
 心臓が高鳴る。重要な儀式の際にも感じたことのない緊張と高揚だ。
(出来ることならば、その道程はこの人と共にありたいと思うのだ)
「何で御座いましょう」
 従順な神官は、神の化身の言葉を待っている。
「無理を承知でお願いします。貴方の意思を尊重し、決して強制は致しません。でも、できればどうか、私と――」
 後に続く言葉を聞いたブラシネは、最初に驚愕の表情を浮かべた後、やがて誇らしげな顔で跪いたのであった。


 後日、マーヤトリナはこの時の言葉を思い返し、「まるで求婚のようではないか」と顔を真っ赤にして寝床に突っ伏すこととなる。



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