聖女の涙


 04



「ででで、でもでも、ちょっとは分かったこともあったのよ!」
 アリアスは小動物の様に怯えながら、そう切り出した。どうやらエリスの素っ気ない態度を自分の失態に対する怒りの表れだと受け取ったらしい。
「『聖女の涙』を狙った人達、事情聴取の後に全員牢の中から行方不明になってるんだって。この間、エリスが倒した連中も全員。それから、強盗事件はリズドア教会だけじゃなく、周辺地域でも急増してるみたい」
 初めの内は鬱陶しそうな素振りで聞いていたエリスは、最後まで聞き終えてさっと顔色を変えた。
「いつから?」
「えっと、半年前ぐらいから」
 数拍間を置いて、エリスは書架の方へと走り出した。隙間なく収まっていた本の内の数冊を取り出し、それら全てを机の上に広げる。突然の行動に驚いたアリアスは、エリスを刺激しないよう恐る恐る声を掛けた。
「ちょっと、どうし――」
「黙って」
「……」
 従順な飼い犬の如く、アリアスは命じられた通りに黙り込んだ。言い返したいとは思っていたが、引け目がある所為で言い出し辛かったのだ。また、何か閃いたらしいエリスの邪魔をしたくはなかった。彼女は静かに相手から離れ、腕を組んで書架に凭れ掛かった。
 一方のエリスはと言うと、机の上に広げた書物に軽く目を通した後、細い顎に指を添えてぶつぶつと何かを呟いていた。それが終わると、彼女は再びアリアスの方へと振り向いた。
「アリアス」
「ぴゃいっ!」
 突然名前を呼ばれたアリアスは、びくりと震え上がる。その姿が少々みっともなく見えたので、エリスは思わず脱力した。
(別に折檻しようしている訳ではないのに)
 とは言え、相手の誤解が解けるまで待つつもりはない。エリスは話を続けた。
「明日から教会の建物を徹底的に探りなさい。建物を、よ」
「『建物』なの?」
「そう、隠し部屋とかね。行方不明の人達が、捕らえられているかもしれないから」
「……! 分かった。建物の後は地下ね」
「ええ、お願い」
 優秀な調査員の顔に戻ったアリアスは、音もなく眼前から姿を消す。教会内部を探索する際、アリアスは法士達に不審がられない様に自身の姿を不可視化する魔術を使用しており、普段彼女が何処を歩き回っているのかはエリスにも分からなかった。
 アリアスが去った後、エリスは再び机上の書物を眺めて考え込んだ。内容は、リズドア公の時代に領内で起こった犯罪や異変に関する記録、伝承である。同様の話はクロエが送ってくれた資料の中にもあった。
(リズドア公の時代にも、強盗事件や行方不明事件が多発していたという記録がある。全てリズドア公の犯行とされているが……)
 彼の死後五百年を経た今のこの状況は、当時とよく似ている。まるでリズドア公の時代を踏襲しているかの様だ。また、事件が発生し始めた半年前と言えば、ちょうどオーヴィリア大教院から「聖女の涙」を盗み出したという例の法士――マリオンと言う名らしい――が教会にやって来た時期とも一致している。同時に本物の「聖女の涙」がこの教会にやってきた時期でもある。
 もし仮に、二つの時代に起こった事件について何らかの関係性があるとするならば、現時点でエリスが思い付く可能性は三つあった。
 一つ目は、何者かがリズドア公の悪行を模倣している可能性だ。
 犯行の動機は不明だが、この場合、単純に考えれば時期的に見てマリオン法士が一番怪しい。彼だけでこれらの犯行を行えるとはとても思えないので、協力者がいるのだろう。もしかしたら、あの尼僧服の少女は彼と協力関係にあるのかもしれない。マリオン法士に罪を擦り付けようとした他の誰かとも考えられるが、何れにせよ彼の転勤が一つの切っ掛けになったと思われる。
(犯人がマリオン法士だったとして、気になるのが行方不明者や盗難品をどう処理したのかということよ。普通なら何処か遠く離れた場所で売り払うんでしょうけど、例えば彼が熱狂的なリズドア公信奉者だとしたら、こういった供物を彼の居城跡であるこのリズドア教会に捧げようと思い立つんじゃないかしら)
 先程アリアスに与えた仕事は、「教会に捧げられていた場合」を想定した調査だ。その想定が正しいかどうかは、結果報告で明らかとなるだろう。
 二つ目は、両時代とも同じ元凶が同様の事件を引き起こしてしまった可能性だ。
「聖女の涙」については、リズドア公討伐時に聖デーメテーラによって生み出されたという伝承が残っているが、実際にはリズドア公の生前から既に存在していたのだとしたらどうだろう。現在同様、魔導具「聖女の涙」を狙った盗難未遂事件が多発したのではないだろうか。そして、過去でも現代でもその盗難未遂事件が他の犯罪を誘発し、地域全体の治安悪化を招いたのだとしたら。更に掘り下げるなら、過去の方の罪はリズドア公の所業ではなかったものが後年に法術徒達と対立していた彼に被せられた、と推測することも出来る。
 そして、三つ目。やはり「聖女の涙」がリズドア公の生前に存在していた前提での話だが、この石が術者を必要としない自動発動型の魔導具であり、その効果が人間の精神に何かしらの悪影響を及ぼす類のものであった場合だ。
 時代を経て所有者を失った自動発動型魔導具が問題を起こす事例は、魔術側世界では屡々確認されている。五百年前、リズドア公の在位時に猛威を振るい、オーヴィリア大教院の法術結界によって半年前までは確実に封じられていたであろう「聖女の涙」の能力が、外界に持ち出されることにより惜しみなく発揮されているのだとしたら。専業魔術師のエリスや専門ではないが一応魔術を使えるアリアス、上級法術師のヴィンリンス辺りは大なり小なり耐性があると思われるが、そうではない全くの一般人は一溜まりもないだろう。
「とりあえず、一番早く私が検証出来るのは三つ目ね。」
 そう呟くとエリスは魔術を発動し、異空間の自室への扉を開いた。


   ◇◇◇


 数日後の早朝、聖女堂の前には小さな人だかりが出来ていた。まだ教会が開いていない時間帯で外部の人間は居ない。そこに集まったのは好奇心に耐えかねた法士達だけだった。
 人だかりを潜り抜けて聖女堂の中に入った教会長は、高さのある脚立の上に座るエリスを見て、思わずあんぐりと口を開けた。彼女の傍らにある「聖女の涙」を見た後、彼は聖女像の足元へ目を遣る。そこには金属製の箱に似た形状の物体が幾つか並んでいた。長年法士をやっている彼でも見たことのない型であったが、恐らくは魔道具だと推測が付いた。
「何をなさっているのか、お聞きしても宜しいですか?」
「『聖女の涙』が狙われるようになった原因を探りたいのですよ。それが分かれば、この石を狙う魔術師に対して手を打ち易くなるかもしれませんし、警備の増強や『聖女の涙』の保護について大教院をより説得しやすくなると思うのです。教院騎士隊が派遣されることは伺いましたが、危険は少しでも減らしておいた方が良いでしょう?」
「それはまあ……」
「騎士隊への引継ぎが終了したら私はお役御免となりますが、伝えるべき情報を伝えなくて何か事が起こったら私の責任になりますし、こちらの仕事を斡旋してくれた方に悪いですもの」
「そこまでは大教院も追求してこないと思いますが……やって頂けるならこちらとしては有難いことです。重ね重ね申し訳ありません。しかし警備の増強は兎も角、『聖女の涙』の保護、ですか」
「あくまで勘ですが、この石は何か特殊な能力を持った法術具ではないかと思うのですよ。それで魔術師に狙われているのではないかと」
「法術具」とは法術を発生させる器具類、或いは法術の媒介となる道具のことである。魔術側世界の知識がある者には、「法術版の魔導具」と表現した方が説明は早いかもしれない。とは言うものの、エリスは「聖女の涙」を魔導具だと確信しているので、教会長へ語った話は全て出鱈目であった。そうとでも言わなければ、聖石と呼ばれ崇められているこの石を真面に調査させてはもらえないだろう。嘘も方便である。
 教会長は「はて」と首を傾げた。
「魔術師が法術具を、ですか? 何の為に?」
「聖法庁に魔術を研究する部署があることはご存知ですか? 日々技術を進歩させていく魔術側世界に対抗していく為です」
「ええ、そういう噂は聞き及んでおります」
 教会長は一瞬だけ顔に嫌悪感を滲ませたが、エリスの言葉を肯定した。
「同じことですよ。魔術師も法術を研究し、対応していかなくてはならない。その為に『聖女の涙』が非常に役に立つ可能性がある。だから、ここまでしぶとく狙ってきているのではないかと」
「成程……」
「リズドア教会には立派な理念ありますから、教会長は聖石の保護には抵抗を感じられるかもしれませんが、非常時ですのでご協力頂けると」
 すると教会長は少しだけ考えるような素振りを見せたが、やがて顔を上げ、エリスの方を見た。
「分かりました。管理者の立場として『存分に』とまでは申せませんが、引き続き調査をお願い致します。それと、法士を数名残して行きますので、手が必要な際はお申し付け下さい」
「ご協力感謝します」
「いいえ、こちらこそ」
 そう言って目礼し踵を返した教会長は、扉の前の人だかりまで歩いていくと、数人を指差して何かを言い付けた。そして、残りの者達には解散を命じた様子だった。
 エリスは暫し彼等の様子を観察していたが、視線を再び「聖女の涙」へと戻した。
(相変わらず噎せ返る程の魔力の量と濃度ね。一体、何年浸されたらこういう風になるのよ)
 それ以前に、大教院級の施設に展開されている法術結界は魔力を消し去る効果を持っていた筈だ。それなのに、長年オーヴィリア大教院に保管されていた「聖女の涙」から魔力が消えていないのは不可解であった。或いは、「聖女の涙」は発動の際に大量の魔力を必要とする魔導具で、周辺の魔力を通常では考えられない速度で吸収、増殖させる機能が付けられているのかもしれない。そう考えれば、ヴィンリンスが法を犯してまでこの魔導具を手に入れようと躍起になっているのも理解出来ると。
 エリスは「聖女の涙」に取り付けた計器を作動させた。暫くの間は目まぐるしく変わっていく数値を眺めていたが、計測完了を知らせる音が鳴った時点で「え?」と声を上げた。
 その計器は魔術属性を計る魔導具であった。分かり易く言えば、火属性、水属性、光属性といったものを数値化して判別するのだ。もし「聖女の涙」が魔導具であったならば、どの属性であっても正数が表示されただろうし、唯の人工石ならばゼロが表示されただろう。しかし今、画面に表示されているのは負数。と言うことは、「聖女の涙」は魔術に関わるものではなく、魔術の対極に位置する法術の産物ということになる。
(あら、嫌だ。「嘘から出た実」とはこの事ね。でも、だったら尚のことおかしい。どうして、法術具に魔力が?)
 改めて「聖女の涙」を肉眼で確認する。魔力濃度が高過ぎて分かり難いが、聖女堂内部の魔力には流れがあり、その中心が「聖女の涙」だった。
(魔導具でもないのに魔力を吸収している。しかも、その速度が異常に早い。私の生命力ごともぎ取られそう。……故障、か。その所為で周辺の魔力を吸収し、今の状態になっているんだわ)
 エリスは脚立から降りると、足元に置かれていた魔導具を見下ろした。今日持ってきた物は全て魔導具解析用の計器なので、また後日法術具用の計器を用意しなければならない。口元に手を当てて彼女は低い声で唸った。
(「聖女の涙」は魔導具ではなく法術具だった。確かにその方が自然だ。リズドア公の資料には魔術師なんて一人も登場してはいなかった。全員法術関係者だったのだから。だとしたら、「聖女の涙」の製作者はリズドア公を倒したという聖ハイエルかしら。リズドア公自身も法術師だったわよね。いや、ちょっと待て。それ以前に――)
 エリスの脳裏に、数日前ヴィンリンスの屋敷に招かれた時の記憶が蘇る。

 ――「聖女の涙」を魔導具研究に使うつもり?
 ――勿論。私達研究部はそれも仕事の一つだ。君達魔術師に対抗する為にね。

(つまり、ヴィンリンス――いや、聖法庁は「聖女の涙」を魔導具だと認識しているということ?)
 否、そんな訳がない。法術施設の収蔵品については、現在でも聖法庁文化管理省の何処かの部署で研究が行われていると聞く。ならば、「聖女の涙」の正体は既に明らかとなっている筈だ。何せ一介の個人事業主に過ぎないエリスにさえ、自前で揃えられる機材を使っただけで解明できたのだから。
 そして、ヴィンリンスの所属する法術管理局研究部は、業務内容から見て彼方の研究部署との繋がりが深いに違いない。恐らくは「聖女の涙」の研究報告書も、多少の手続きを踏めば何時でも閲覧することが出来ただろう。そんな環境下で、ヴィンリンスが対象の資料を確認せずに動いているとは考え難い。つまりはヴィンリンスも「聖女の涙」が法術具であることは知っていたのだ。否、そもそも彼は「聖女の涙」の法術具としては余りに不自然な――特殊な性質を知ったからこそ、興味を抱いて行動を起こしたのではないか。ならば、彼がエリスに対して「聖女の涙」を魔導具だと偽ったのは何故か。
(私を真相から遠ざけ、今回の件について必要以上に踏み込ませない為の方便か!)
 ヴィンリンスの真意に気付いた所で、ふと、もう一方の高位法士であるクロエの顔が浮かんだ。彼の所属部署は正に「聖法庁文化管理省」史書管理局。ヴィンリンス以上に「聖女の涙」の研究に近い場所に居る。しかも彼は――。


 ――しかし、ヴィンリンスは法術師としては優秀だ。その奴がこう何度も失敗していることと、リズドア教会に漂う魔力の量を考えれば「あれ」が――。
 ――少しお喋りが過ぎたな。ここから先は機密事項だ。


(あの言葉が、魔術師の妨害者の存在を示唆したものではなかったのだとしたら?)
 クロエは何かを知っている、或いは勘付いていることについては隠そうともしなかった。だとしたら、何故クロエは真相を語らなかったのか。ただ単に「壊れた法術具が、オーヴィリア大教院から盗み出された所為で暴走してしまっている」と言えば済む話なのに。法術徒の間で神聖視されている法術具の暴走は確かに醜聞と言えば醜聞だが、彼は今迄も表沙汰に出来ない仕事をエリスに依頼してきている。今更その程度の隠し事をする必要があるだろうか。寧ろ、先日彼が語ったマリオン法士の不正の方がよっぽど問題であるようにエリスには思える。あれこそ、どうして外部の人間である彼女に漏らしてしまったのか。
(まだこれ以上に碌でもない秘密があるということなのか。……クロエ、一体何を隠している?)
 疑念を募らせるエリスの頭上では、金色の陽光を浴びた「聖女の涙」が生気を得たようにきらきらと輝いていた。



2023.04.22 旧03を分割し後半を04へ変更、全体の文言修正

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