機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  13-01、誤断の結果(1)



 それから凡そ半月後――即ち火軍による鍛冶の種族の里への侵攻が予定されている日の前々日、天宮内にある神族用の宿舎に日神カンディアが訪れた。書類仕事を投げ出して酒浸りになっていると噂の火神ペレナイカの様子を見に来たのだ。
 火神の命令で室外に追い出されていた侍女達に扉を開けさせた日神は、部屋の中へ足を踏み入れるや否や口元を押さえて咳き込んだ。室内に充満していた煙草の煙と酒の臭いを不用意に吸い込んでしまったのだ。
 息が整った後、日神は部屋の荒れ果てた状態を見て柳眉を吊り上げたが、まずは窓を全て開けるよう、侍女達に命じた。涼しい外気が当たり、卓に突っ伏していた火神がぴくりと身動ぐ。それを見た日神は苛立ちを募らせ、彼女を叱り付けた。
「ちょっと、ペレナイカ。あんたねえ、この部屋どうにかしなさい!」
「んー、何?」
 火神はゆっくりと上体を起こした。意識は未だ朦朧としている様子だ。
「『何?』じゃないわよ。汚くし過ぎ」
「別に良いでしょ。その内、貴女の眷族が片付けるんじゃないの? ……って、私が追い払ったんだったわ」
「貴女ね……。それから、あの書類の山は何? ちゃんと仕事してる? 天帝様は怠けさせる為に貴女をここに置いてる訳じゃないのよ」
「分かってる分かってる……」
 言葉だけは理解を示しつつも、火神は再びゆっくりとした速度で卓に突っ伏し、眠りに付こうとする。日神は深々と溜息を吐いた。
「そりゃあ、こんな調子じゃ、スティンリアも愛想を尽かすわ」
「大きなお世話だ!」
 元部下であり想い人でもある氷精の名を出されると漸く眠気が去った様で、火神は勢い良く飛び起きて日神を睨み付けた。対する日神も、義務より私情を優先しがちな火神の姿勢に不快感を露にする。両者は短い間睨み合ったが、やがて火神の方が口火を切った。
「ってか、貴女こそ最近ポルトリテシモとどうなのよ?」
「どうって、何がよ?」
「昔、付き合ってたでしょ。最近話を聞かないけど、どうなったの? 上手くいってないの?」
 弱点を突いてやったつもりでいるのか、火神は嘲りの混じった笑みを浮かべる。日神は困り果てた顔をしている侍女達をちらりと見た後、片手を上げて退室を促した。
 侍女達が下がって室内にいるのが二柱の神だけの状態になると、日神は火神に先程の問いへの返答を行った。
「古い話を持ち出すのね。まだ意識が戻っていないのかしら。彼方はどうだか知らないけれど、私の方はもう別の恋人がいるって知ってるでしょ。ああ、分かった。話を逸らそうとしてるのね。駄目よ。許さないから」
「むううっ」
 冷静に返された上に恋人の有無で優位に立たれて火神は剥れた。頭の中で反論の言葉を模索し、やはり天帝の件が一番勝算があると踏んで、彼女は何とか話題を戻そうとする。
「でも、本当にどうなってるの? 少なくとも私からは、ポルトリテシモには長いこと相手がいない様に見えるけど」
「今は本当に仕事上の付き合いだけよ。あの御方に特定のお相手がいるという話については、私も聞かないわね」
 日神は火神の行動の真意を察しはしたが、向き合わなかった。彼女は自分と相手の立場を思い出す。そして、火界側に天界側へ付け入る隙を与えまいと考え、務めて淡々と公にして良い情報だけを答えた。火神の方も途中からこの会話が政治的な取引にも利用出来ると気付いたが、自分に有利な情報が得られなかった為、やや不機嫌になった。
 火神は酒瓶に手を伸ばす。しかし持ち上げると軽く、中を覗けば空であった。彼女は子供の様に頬を膨らませた。
「やっぱり死んだ妃のことが忘れられないのかしらね」
 未練たらしく酒瓶の中を見詰めながら悪意なくそう呟いた火神に対して、日神は一瞬だけ鋭い視線を送ったが、直に不自然な程に曇りのない笑顔を作る。
「さあ。貴女が代わりになってみる?」
 その言葉の意味が「出来るものならやってみろ」であるのか「お前も独り身だろう」ということなのかは定かではないが、日神が怒っている気配だけは伝わって来る。
(面倒臭いなあ)
 火神は率直にそういった感想を抱いた。日神の態度だけではない。発言内容についてもだ。政治的な言い訳を付ければそれが実現しかねないのが、面倒臭さを助長していた。
 天帝は神族の王ではあるが、神としての位は火神と同じ「正神」だ。しかも、幼い頃より兄妹同然に育てられた者同士でありながら、実際には血縁関係が存在しないのだ。この話を聞けば、婚姻に賛同する者も少なからず現れるに違いない。敵味方を問わず今の話を聞いている者が他にいなくて良かった、と火神は安堵した。
「無理。勘弁して。私はスティンリア一筋なのお」
 火神は床に寝転がり、座布団を抱え込む。
「過去に後宮まで作ってた女が、よくもまあ……」
 一方の日神は呆れて前髪を掻き上げた後、室内をうろうろと歩き回った。そして、時折床に落ちている紙を拾って凝視し、再度室内を彷徨くという行動を繰り返す。火神は寝そべったまま彼女に尋ねた。
「何してるの?」
「重要書類が混ざってないか、確認してるの」
「ふうん」
 床に散らばった書類を集め終えた日神は火神の側へと戻り、持ち帰った紙束の中から数枚を抜き取って卓の上に置いた。次に、残りの紙束も先に置いた物と分けて卓上に載せる。そうした後に、日神は先に置いた方を指差した。
「こっちは優先的に目を通してね」
「うん」
 火神は素直に頷くが、起き上がらない。その様子に不安を覚えるも相手を窘めるのは後回しにして、日神は回収し忘れた書類がないか、立ち止まったまま室内を見回した。そこで不意に屑箱が目に入る。中には未開封らしき書簡が二つ放り込まれていた。日神は屑箱へ近寄り、二通の書簡の内の片一方――透かしの入った白色の紙を摘まみ上げた。
「何これ。矢鱈上等な紙を使っているけど、公式文書の用紙じゃないわね。誰から?」
「さあ、誰だったかしら。中身を確認してみたら?」
「貴女が確認しなさいよ、貴女宛てなんだから。まったくもう……」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、日神は書簡に掛かっていた紐を解き、広げて中を確認した。目が動くに連れ、彼女の顔は徐々に険しいものへと変化していく。
「どうしたの?」
 火神が問い掛けるも返事はない。一度書簡を読み終えた後も、日神は数回重要な部分を見返した。その後に彼女は漸く口を開いた。
「ペレナイカ、今直火界へ戻りなさい。天帝様へは私がご報告申し上げておくわ」
「ええっ、何でよ?」
「これを見なさい!」
 乗り気ではない火神に対し、日神は怒りの形相となって持っていた紙を彼女の胸元に叩き付けた。
「本当に面倒なんだから……」
 突如避け続けていた書類仕事に引き戻された火神は、ゆっくりと身体を起こして卓の前に座り、書簡へ目を通した。ややあって、彼女も日神と同様に顔色を変える。
 全ての文字を確認し終えた火神は、慌てて立ち上がり日神を見る。彼女の顔からは先程までの気の緩みは消え去っていた。
「天界で一番足の速い獣は?」
「戦車で行った方が良い。直に用意させるわ。それから念の為、天軍兵を何人か付けさせてもらうわよ」
「《天》の種族? 出来れば《風》の子にして。それが一番速い」
「分かった。呼んで来るから、ちょっと待っていて」
 日神は速足で部屋を出て、外で待機していた侍女達に命じる。
「誰でも良いわ。ペレナイカを案内して頂戴」
 鬼気迫る様子の日神を見て深刻な事態であることを察した侍女達は、一糸乱れず「畏まりました」と返した。そして、二人は火神の前後を守りつつ最寄りの門へ、別の二人は夫々天帝の執務室と天軍の司令部へ、後の者は日神の許可を得て部屋の片付けを受け持った。


 広く長い廊下を駆けながら、火神は小声で呟く。
「まったく、手間を掛けさせて。留守番すら碌に熟せないの?」
 彼女の声は足音に掻き消され、傍らを走る侍女の耳に入ることはなかった。



2024.05.01 一部文言を修正

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