機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  04-01、殉教志願(1)



 火界の赤い空が紺色に染まる。直に夜が来るのだ。
《顕現》世界を遍く照らす太陽の居所たる天は、全ての世界の上方に位置している。故に日の光もまた《闇》側に属する世界を除いた全ての場所に届くのである。火界も例外ではない。そして、太陽があり昼があるということは夜もまた存在する。他の《顕現》世界よりもやや赤味を帯びた夜が。
「此度の天界の動き、どう思う?」
 主不在の火神宮殿にて火精の王ワルシカは、卓の向こうに座る火人族の女王ヴリエ・ペレナディアにそう尋ねた。ヴリエは空になった杯を弄びながら、暗い表情で答えた。
「今はまだ何とも。一番考えられるのは火侍の件じゃが、彼の地位が空いていた期間は長い。前回の侍神選定からも程々に年数は経っている。それを今この時期にというのは……」
「そう、その『時期』だよ。どうやら、地界の方で一悶着あったらしい。そして、事件の収束の為に天帝御自らが彼方へ御降臨遊ばしたのだそうだ」
 ヴリエは思わず顔を上げた。両者は短い間黙したまま視線を交差させていたが、やがて彼女の方から会話を再開した。
「その話が真実であれば、拙い事態じゃの。念の為、戦の準備をしておく必要があるか」
「火神様は何方の陣営に入られるおつもりなのだろうな」
「それは……」
 ふと、八年前の出来事がヴリエの脳裏に浮かんだ。侍神選定の前祝いである神宴を終えて火神と共にこの宮殿へ帰還した時に聞いた、火神と取引があったことを匂わせた或る女神の声には、思い出しただけで寒気を覚える。
「少なくとも天界ではないとは思う。かと言って、地界側に勝算がある様には見えぬ。何れにせよ更なる情報収集が必要であろうな。地界が此方の戦力を当てにしているのであれば、とんでもない話じゃ」
「尤もだ。儂も風精に近い同朋達に声を掛けておこう。しかし、大丈夫か?」
「何がじゃ?」
「人族の繁栄を推進された天帝様がお倒れになれば、火神様は間違いなく火人族を排除なさるだろう。あの御方は《火》の眷族全てを疎んじておられるが、自然に湧き出た我等火精よりも其方等向ける恨みの方が一層強い」
「ワルシカ」
 ヴリエは苦笑して、何気なしに空の杯を見下ろした。既に飲み干された器の中にあるのは、酒ではなく茶の名残だ。つまりは彼女は全くの素面であった。
「人族は他者を、殊に神族をお支えする為に生み出された存在じゃ。我等火人族は火神様と火界の安寧こそが至上。あの御方の愛情を我武者羅に求めた時もあったが、前回の侍神選定以降の肩透かしで妾はもう心が折れてしもうた。地上人族の子供ですら侍神位を獲得出来ておるというのにな。今は火神様が心の底から火人族は必要ないと仰るのであれば受け入れるべき、と思うておる。悲しいことじゃがの」
「『必要ない』ということはあるまい。お前達は充分に――」
 ワルシカはヴリエを窘めようとするが、彼の口元に当てられたヴリエの細い指がそれを止めた。
「妾にその評価を下す資格はない。知っておるじゃろう?」
 彼女の言葉が含んだ裏の意味を察し、ワルシカは押し黙る。両者共に暫く無言の状態が続いたが、やがて彼は深々と溜息を吐いた。
「お前達自身がそれで良いと言うのなら、外野である儂は口出ししない」
「助かるよ。話が抉れずに済む」
「寂しくなるなあ」
「気が早いぞ。まだ滅ぶと決まった訳では無かろうが」
「それはそうだが――」
 言いかけた所で、ワルシカは目を見開き立ち上がった。ヴリエも同時に立ち上がる。そうして、二人とも同じ場所を睨み付けた。視線の先にある衝立の向こうからは強く禍々しい神気が放たれている。ワルシカにとっては数千年の昔、ヴリエにとってはつい八年前に感じた神気だ。
「この気配はまさか……」
「お取込み中のところ、御免なさいね。ペレナイカは御在宅?」
 神気の主は悪びれることなく衝立の脇から姿を現す。
「渾神、様」
 ヴリエは掠れた声で途切れ途切れにその女神の名を呼んだ。



2023.09.02 一部文言を修正

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