機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  24、亡国の語り部



「その後、リリア王女は冥神様のお言葉に従って、カンブランタ王国の生き残り達を導かれたそうです。王宮の中では然したる力をお持ちではなかった方でしたが、それでも王族のお一人として受けていらっしゃった高度な教育は大層人々の助けとなりました。何よりリリア様はカンブランタの民の精神的支柱でした。姫様が亡くなられた後もそれは変わらず、カンブランタの民は彼の御方を新たな祖として祀り、時間を掛けて平穏な生活を取り戻しました。嘗て程の繁栄は二度と訪れはしませんでしたが」
 遥か昔にカンブランタ王国が存在していた場所で、彼等の末裔を名乗る女性は物悲し気に言った。長い物語はそろそろ終わりを告げようとしていた。
「それがカンブランタの過去……」
「ええ。また、大国カンブランタを欠いたこの一帯は、間もなく生き残った国々が主導権を争う戦乱の時代へと突入しました。主要な交易国の喪失と戦争による経済の不安定化、そしてリリア様の死後数十年経った頃に発生した気候の大変動とそれに伴う未知の伝染病の蔓延が追い打ちを掛け、この地は急速に衰退していきます。当時はカンブランタの民にも僅かではありますが被害者が出たそうで、残念ながらリリア様が残された王家の血筋もそこで絶えてしまいました。ですが、天女ティファズが与えた加護の名残とカンブランタ王国滅亡以降も隠し拠点として拡張し続けた地下通路のお陰で、大半は難を逃れました。通路の拡張については当初地神様の妨害も考えられたのですが、冥神様がお取り成し下さったのか、想定していた事態は何も起こりませんでした。こうして、当時存在した国々は幾つかの小さな集落にその名残を残すばかりで、今の時代には一つも残らなかったのです」
「成程ね。今の話で色々納得がいったわ」
 そう言い終わるが早いか、キロネは近くに座っているシャンセを睨み付けた。
(カンブランタ教の反天帝主義も〈術〉を使う理由も、その事件が原因だった訳ね。……ったく、一体妹にどんな躾してんのよ、この性悪王子は!)
 だが、キロネの心中など何処吹く風。シャンセは飄々とした顔で仮宿の女主人を見詰めていた。そして、不意に口を開く。
「それだけ?」
「はい?」
「本当にそれだけなのですか? その話にはまだ続きが存在するのではありませんか?」
「どうして、そう思われたのですか?」
 女主人は怪訝な表情を浮かべてみせる。シャンセは「ははっ」と小さな笑い声を漏らした。
「数か月前、聖都サンデルカでカンブランタ教徒が騒ぎを起こしましてね。その時使用された〈術〉は完全な失敗だったのですが……」
「ええっと……」
(ちょっと、困惑してるじゃない! 地上人に〈術〉の話したって理解できる訳がないでしょう。変人と思われて恥かくだけだから、止めて頂戴!)
 キロネは慌てて身を乗り出した。その腕をマティアヌスが掴んで引き留める。キロネは一度彼に疑念と非難の感情が混じった視線を送ったが、直ぐにシャンセの方へと顔の向きを戻した。すると、視界にシャンセの傍らに座っていたアミュの姿が入る。彼女もやはり状況がよく分かっていないといった表情をしていた。そんなアミュの身体の前にシャンセは軽く腕を添える。さりげなく庇っている様に見える素振りだった。
 次に口を開いたのは、シャンセではなくマティアヌスだった。普段通りの軽口の様にも聞こえる口調だったが、話の内容は至極真面目だ。
「つまりは一体誰が地上人族に〈術〉を教えたのかって話だ。今迄の話で、カンブランタ人が術者適性を得たのは天人族の姫さんが地上人達に掛けた強化の〈術〉が肉体が合わずに変異を起こしたのが原因だったってのは、大体想像がついた。だが、適性あくまで適性であって〈術〉の習得とは全くの別問題だろう」
「んんっ、どういうこと? 意味が良く分からないのだけど」
「だーかーら、資質を獲得した理由は分かったけど、〈術〉に関する知識をどうやって手に入れたかって話はまだ出てないってこと!」
「あっ!」
 キロネが気付いた所で、シャンセがマティアヌスの説明を補足する。
「話を聞く限りでは、ティファズ・カンディアーナがカンブランタ人の身に起こった変化について、正確に把握できていたかは疑問だ。検査の為の環境が十分に整っていたとは考え難い。感知能力の強い術者か或いは神族であったならば、大掛かりな設備を必要とすることなく術者適性について知ることが出来たのだろうが、ティファズはそこには該当しない。感知系や補助系も多少は使えるが、どちらかと言えば攻撃型寄りの術者だった筈だ。適性に気付かなければ、〈術〉を教えようとは考えもしないだろう。つまり、ティファズがカンブランタ人に〈術〉の指導をしていた可能性は低いということだ」
 シャンセは家主の女性の方へと向き直った。自身への不信感を隠さない相手を前にしても、彼女は未だ穏やかな態度を崩さない。
「続きを話して頂けますか、リリア姫? それが貴女の正体なのでしょう?」
 その言葉を聞いて、キロネは益々困った様な呆れた様な顔をした。
「えっ? 待って、でも地上人族は――」
「短命、千年の時を生きられない。基本的には」
「だったら……」
「私はそこに命神や冥神が絡んでいるのが、引っかかっているんだよ。あの二柱は生死に関わる神だからね」
「だからって、どうしてその娘がリリア王女本人なんて突拍子もない話に――」
「ふっ……ふふふふふ」
「……!」
 突如、家主の女性が含み笑いをし始めた。他の者は一斉に彼女の方を向く。続いて哄笑が響き渡った。同時に、彼女の肉体からは神気が泉の如く溢れ出した。
「あっはっはっはっはっ! あははははは!」
 女性は腹を抱えて笑い転げた。今迄の清楚な様からは想像出来ない行動だ。シャンセとマティアヌスは次の展開を予想して、各々武器に手を添えた。
「化けの皮が剥がれた様だな」
 声を低めてシャンセがそう言うと、家主は笑いを堪え、潤んだ目元を拭いながら起き上がった。
「怖い怖い。このまま私がとぼけ続けても、貴方、次の瞬間には私を攻撃してたでしょ。そうなれば、どの道私は正体を明らかにせざるを得なかった」
「黒天人族は《理》の一端を読み解く〈星読〉の種族だ。《理》に沿った死の気配には敏感なんだよ。君には初めから死の星がくっきりと見えていた。死者と同じ星だ。生きている筈なのに。だが、背景が分からなかった。それも先程の話を聞いて理解できたよ。マティアヌスが何故気付いたのかは分からないが……」
「光精は《闇》の気配に敏感でな。《冥》は《闇》から生まれた《元素》だから、あんたが彼方と繋がりのある存在だってことは本能で分かったんだよ。あと、なんか当時の状況に詳し過ぎるんじゃないか、ひょっとしたら本人だったりしてって……まあ、勘だな」
(私、何も気付かなかったんですけど……)
 キロネは内心でそう突っ込みを入れた。彼の言葉通りだと、どうやら同じ光精でありながら気付かなかった自分の方が可笑しいらしいので、声を出しての主張は恥ずかしくてできなかったが。
 反対に、マティアヌスの説明を聞いたシャンセは「成程」と返した。
「私も確証はなかったから鎌を掛けてみたのだが、正解だったようで少し安心しているよ。それにしても、その神気……。リリア姫は先程の話の後、昇神となったのだな。地上人族の身で大したものだ。大した執念、と言うべきか。その原動力は天人族や地神への復讐か」
「それもあるけど、一番の目的ではない。取り敢えず戦いながら話しましょうか。時間が惜しい」
「何故、戦う必要がある?」
「私、今は冥神に仕えているの。そしてここには一人、死の《理》に反した罪人がいるでしょう」
 家主の女性――否、女神はアミュへと顔を向けた。地上人族よりも遥かに強大な力を持つ神という存在が自分を殺しに来たのだと知り、アミュは「あ……」とか細い声を上げた後に絶句する。起き上がることを忘れたまま、彼女は後退りする。そんな彼女を庇ってシャンセは前に立ち、振り返らずに言った。
「アミュ、キロネの後ろに隠れていろ」
「え、私!? 私も戦うの?」
「私の鞄から〈祭具〉を拾え」
「えー……。相手、何となくだけど戦闘型じゃないの? 流石に無理よ」
 あからさまにやる気のなさそうな態度を取るキロネを見た女神は、お道化る様に首を傾げてにっこりと笑い掛けた。
「巻き添え死したいのかしら?」
「了解。ちゃんと自衛します」
 キロネは渋々鞄型〈祭具〉に手を突っ込み、中身を物色し始めた。
(でも、忠告してくれるってことは、そこまで警戒する必要はないってことかしら。実は良い神様だったりして。少なくとも私にとっては)
 そもそもキロネはアミュやシャンセに対し、仲間意識を持ってはいない。信用もしていないし、内心では嫌ってすらいる。ただ、今は保身の為の最適解として仕方なく行動を共にしているだけだ。けれども、この関係には何れ限界が来るであろうことも予想はしていた。同じ神に仕える光精のマティアヌスは兎も角、アミュ達については境遇も目的も少々異なっているのだから。故に、この場面においてもアミュに協力する理由は余りないとキロネは考えていた。しかし――。
(無いな。あれは多分、敵味方問わず裏切者を許さない性格だわ)
 女神の語った過去と今の彼女が纏う雰囲気からそう思い直したキロネは、頑張って強そうな武器を探し当てた。掴んだ武器を見て、彼女は無邪気に笑った。
 一方、地上人族出身の女神は過去の大戦でも幾つかの功績を挙げた勇士たる男二人と対峙しても全く怯む気配を見せず、片手を上げて己が武器を呼び出した。身の丈のよりも遥かに大きな鎌が宙から現れ、細い手にすとんと収まる。彼女はそれを武舞を行うように易々と一回転させた。すると、彼等が居る建物がみしみしと軋み出した。
「乱暴だなあ、おい!」
「ちっ!」
 マティアヌスはアミュとキロネを庇いながら、シャンセと女神は単身で建物の外へ飛び出した。次の瞬間、小さな家は大きな音を立てて崩壊する。女神以外の者は、皆唖然としてその様子を最後まで眺めていた。ややあって、シャンセは少し離れた場所にある他の住居の様子を窺った。酷い騒音であったにも拘らず、住人が様子を窺いに出てくる気配がない。予め示し合わせていたのか、女神が音漏れしない様な〈術〉を施しているのか、判断材料に乏しく咄嗟には見極められなかった。だが、妨害が入る可能性は頭に入れておくことにした。
 肩慣らしをした後、女神は大鎌の柄を床に片手を腰に当てて話し始める。
「一つ誤解を訂正しておきましょうか。『リリア王女は既に死亡している』。彼女はカンブランタ滅亡後九十過ぎまで生き、民に見守られながら息を引き取ったの」
「大往生じゃないか」
「ええ、とても幸福な死でしたとも。信じられないくらいにね。でも、リリアには生きている間、ずっと気掛かりなことがあったの。それは自分達を不幸な境遇へと導いた『人ならざる者』達のこと。あの恐ろしい災厄は辛うじて乗り切ることが出来たけれども、か弱い地上人達は何時の日か他種族の気紛れによって完全に滅ぼされるのではないかと思ったのよ。そんなリリアにとって、『彼等』の企みは渡りに船だった」
「何だと?」
「うーん、そうねえ。貴方達は天帝とは対立しているみたいだし、少しくらいは話しても良いでしょう。《闇》側の種族は神戦が終わって長い時を経た今でも、《光》側の襲撃を警戒していてね。そして、常に対策は怠らないようにしているの。何事も備えあれば患いなしってね」
「まあ、そうなんだろうな」
「当然、戦争に向けた兵器の研究も行われてきた訳。冥神の神気に晒され、天人族に襲われ、地神に国ごと滅ぼされかけて。脆弱な地上人の身でありながら、それでも寿命が尽きるまで生き延びたリリアは、《闇》側の研究者の目を強く引いたらしかった。『量産型昇神』の素材としてね。とは言っても、彼等はリリアの意志をちゃんと尊重してくれたわ。高位神が直々に死んで冥界へ送られた彼女の許へと赴き、礼を尽くし、真摯に説得し続けたのよ。やがてリリアは彼等の頼みを受け入れ、神となった。戦略上まだ公には出来ない技術だから、衆目を集め過ぎないように私が地上人族出身だということも伏せられているのだけれど」
 昇神――神族以外の種で神と同等の能力を持つと認められた者は、神から神力または《元素》の一部を分け与えられ神の地位を得る。同じく他種族出身で「侍神」という准神族が存在するが、両者の大きな違いは自立しているか否かという点だ。侍神は神と常時接続状態になることでその神の神力を一時的に借り受けているに過ぎず、繋がりが断たれると神力を失う。しかし、昇神の神力は貸与ではなく贈与された物である為、死ぬまで失われることはない。
(通常は各々で修行を重ねて昇神に相応しい性質を獲得するものなのだが、「量産型」と言うことは恐らく正規の手段を取ってはいないのだろうな)
 シャンセは《闇》側世界の宰相である実神コルトの姿を思い浮かべた。時に極端な現実主義者の顔を覗かせる彼が考え付きそうな、非情な策だ。
「今の私の名前は『リリャッタ』。神語で『リリアの意志である女』を示す言葉よ。そしてその役割は、死を与えて生者の世から取り除き、魂を冥界へと導く神――『殺神』」
 殺神リリャッタは長髪の鬘を外して傍らに投げ捨てた。鬘の下から現れたのは戦闘向きの短髪だ。今迄の髪型はこの地域の風習に合わせた変装だったのだろう。次に彼女は胸元を掴み、粗末な衣服を引き剥がす。布が破れる音と共に下から現れたのは、露出度の高い神族の衣であった。
 続けざまに、彼女は大鎌をシャンセに向かって振り下ろした。それを彼が剣形の〈祭具〉で受け止め、更にその〈祭具〉の効果を発動させる。刀身から浄化の炎が湧き起こり、殺神へと襲い掛かった。反射的に彼女は後ろへ飛び退く。やや態勢を崩したところでシャンセが剣を振り被り、今度は殺神の方がシャンセの武器を受け止める側となった。ぎりぎりと硬い武器の擦れ合う音が鳴り響いた。
「聞くんじゃなかったな。関わり合いになりたくない」
 シャンセは顔を顰めて言った。
「あら、貴方達の旅は天帝を討って世を正す為のものではなかったの?」
「『世を正す』は言い過ぎだがな。しかし、天帝が倒れて敵が居なくなれば、君はお払い箱になるぞ。本当の死だ」
 隙を窺っていたマティアヌスが、殺神に槍状〈祭具〉を向ける。彼の動きに気付いた殺神は、力任せにシャンセを武器ごと押し退けて後方へと下がった。
「私の願いは他種族から地上人族を守ること。それが『リリア』の在り方。延命なんて望んではいないわ。尤も、冥界の住人たる今の私は死者そのものなのだけれど」
「君がカンブランタの末裔に教えたであろう〈術〉は地上人を大勢殺したぞ」
「サンデルカの狂信者共は地神の駒でしょう。彼等の死は《理》の範囲内でもあったようだし、何も問題はないわ。私が生を望むのは、他種族の誘惑に負けて仲間を破滅へ追いやることのない『正しき地上人』。大樹を枯らす余分な枝葉には、剪定が必要だわ」
 彼女の言い訳を聞いて、シャンセは当事者ではないが、かちんと来た。大局を見据えたような口振りだが、根底にあるのは身勝手な感情論という印象を受けたからだ。そもそも最初にティファズ・カンディアーナという災厄を受け入れたのは、地神ではなくカンブランタ人のアージャ王子ではなかったか。しかも、崩壊の引き金は彼女自身の迂闊な行動だ。サンデルカの人々は、全く何の関係もない。先程の昔話で語られた王族達や眼前の「リリア王女」を見るに、カンブランタは放っておいても何れ勝手に滅んだのではないか、とシャンセには思えてきた。それに彼女はさらっと流していたが、カンブランタ王国が植民地を有する国であったことも、光神政権末期の暗黒期を彷彿とさせて嫌な気分にさせた。
「〈術〉の使い手が攻撃対象を誤ることだってあるだろう。否、それ以前に地上人族は術者適性が低い。使い方を誤って自らが発動した〈術〉に食われる可能性だってある。分不相応な危うい道具を持たせて……」
「そうならないよう、私が見張っているから問題ないわ」
「そんな手口が《理》の範疇だって? ふざけるな。現にあの〈術〉には魔物と類似した気配を感じたぞ」
「でも、サンデルカで《理》からの逸脱が無かったのは事実よ。その気配は別の要因があるのではないかしら」
「希望的観測で物を言うな」
「そっちこそ」
 まるで話が通じない。彼女は自分の言動の矛盾に気付いていない。
(そのやり方は、君が嫌う地上人族の敵たる神々と一体何が違うと言うんだ)
 だが、シャンセは非難の言葉を胸の内に仕舞い込んだ。きっと言っても無駄だろう。彼女は既に狂っているに違いないのだから。
 殺神は大地を蹴り、一瞬でシャンセとの距離を詰める。マティアヌスの攻撃も受け流しながら、何度も切り結ぶ。殺神の一撃一撃が速く重い。細身の肉体から生み出される力とはとても思えない。恐らくは神力を肉体や〈神術〉に注ぎ込むことなく、そのまま力に変換してぶつけているのだろう。それは力神カリヨスティーナを彷彿とさせる戦い方だ。《闇》から分離した《力》の《顕現》神である彼女は、冥神とは同陣営だ。もしかしたら、殺神は力神に師事しているのかもしれない。
 男達は次第に息を荒げ始めた。対する殺神には、まだまだ余裕がありそうだ。地上人族出身ではあっても、やはり神は神。体力や持久力は彼等とは比較にならない様だ。
「さて、話の続きね。昇神となった私は、真っ先にカンブランタの民の許へ行き、持ち得る知識のほぼ全てを教えたわ。神族のこと、彼等の眷族のこと、その脅威について。先程貴方が指摘した通り、彼等に自衛手段として〈術〉を教えたのも私。ただし、術者の適性はティファズ由来のものね。不慮の事故。可愛い子孫達の身体を弄ぶことなんて、私に出来る訳がない。彼等が〈術〉を使いこなせないのも承知の上よ。でも、本来の効果を発揮できなくても攻撃手段として成立すれば問題ない」
「どうして、そこまで……」
「そういう在り方だって言ったでしょ。同じ地上人族である私の手で大切な人達を守れる、守りたい。そう思った、のっ!」
 言い終わった瞬間、殺神はシャンセの腹を強く蹴った。シャンセは後方へ吹き飛ばされ、建物の瓦礫で身体を強打した後、地面に転がった。マティアヌスは直ぐ様治癒効果のある〈術〉をシャンセに投げたが、彼の体勢は瞬時には整わなかった。
(強い。シャンセが圧されてる)
 キロネがシャンセ達の方に気を取られている間に、殺神は彼女の背後――アミュの眼前まで移動していた。キロネは背後から感じる神気の圧力に勝てず、振り向くことが出来なかった。
 後退りするアミュを前に、殺神は独白の様な話し振りで言った。
「私はもう神の奇跡を信じない。そして、自分が弱者であることも知っている。だから、目的の為に手段を選ばない」
「待て。彼女は――」
 殺神が大鎌を振り上げ、シャンセが声を絞り出した瞬間――。

 ――ばたんっ!

 突然扉の閉まる様な音が響き渡り、殺神以外の全ての者がその場から消失した。


   ◇◇◇


「アミュ!?」
 渾侍であるアミュの異常は遠方にいる渾神にも伝わった。彼女は理神と睨み合いを続けながらも、これが陽動である可能性も考えて、敢えて全力で応じてはいなかった。意識の一部は常にアミュの方へと向けていたのだが、どうやら正しい判断であったようだ。
(アミュの気配が地上界から移動した?)
 それにしても、移動速度が速すぎる。通常の手段ではない。準備を整えれば可能であろうが、現在のシャンセ達はその備えを有してはいない筈だ。
 ふと、渾神は自分に掛かった〈神術〉の拘束が緩んでいることに気が付いた。理神の方を見ると、何故か彼女は天を見上げて呆然と立ち竦んでいる。今の内に、と渾神は一旦アミュとの接続を弱めて少しだけ神力を回収し、手元にある力の全てを脱出の為に使った。理神が「あっ!」と声を上げた時には既に遅く、渾神の肉体は彼女の本拠地であり理神とは相性の悪い渾界へと抜け出していた。
 理神はがっくりと肩を落として溜息を吐いた後、再び天を――正確には天界の向こう側にある理界の方を見上げた。
(また未来が《理》と違えた)
 それ自体は過去に幾度となくあった。時代が古ければ古い程、世界が洗練されていない程。しかし、本来《理》とは違えてはならない道筋だ。そこから違える度に《顕現》世界の何処かしらに災いが現れる。
 だが今回は状況的から推察するに、意図して行われた可能性があることが一番の問題だった。
「これも貴方の仕業なのですか、ザガルラ?」
 理神は、嘗て彼女が或る神に与えた名を呟いた。



2023.12.08 一部文言を修正
2023.12.02 誤字を修正
2023.03.12 一部文言を修正
2022.10.20 誤字を修正
2022.10.18 一部文言を修正
2022.10.15 一部文言を修正
2022.10.02 一部文言を修正

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