機械仕掛けの神の国

◆ 第二章 埋没都市 ◆


  23、生者必滅



 唐突に、天界に敷き詰められた雲花の地面が、どんっという音と共に大きく揺れた。同時にその上に載っている建物も激しく揺さぶられ、天上の住人達は思わず悲鳴を上げる。
 それからややあって、天界の中心部に位置する天宮内に設けられた謁見の間の大扉が勢い良く吹き飛んだ。室内に居た者達は、一斉に入口の方を向いた。丁度、玉座に居た天帝も驚いて顔を上げた。
「オルデリヒド?」
 扉のあった空洞の向こうから現れたのは地神オルデリヒドであった。神族の王に拝謁しに来たにも関わらず平服を纏っており、今にも相手を食い殺さんかという様な憤怒の形相を天帝へと向けている。
 地神は挨拶代わりに握り締めていた荷物を天帝の足下へ投げ付けた。二つの丸い物体が玉座手前の段差にぶつかった後、てんてんと毬の様に階段を転がり落ちていく。室内の騒めきが徐々に大きくなっていった。転がっていた物体が動きを止めた所で、天帝はじっくりとそれらを眺めた。
 首だ。しかも、覚えのある顔だった。頭部の部品の一部を失い、苦悶の表情を浮かべ、生前の美貌は見る影もないが。アンタロトやレイリーズ達からは未だに大した報告は上がって来てはいないが、どうやら間に合わなかったらしい。
「ティファズに……タルティナか。一体、どういうつもりだ」
 否、地神の考えは概ね分かっている。彼はティファズ達の無礼を受けて、彼が思う正しい対応を行った。そして、彼女達の主神である天帝に抗議しに現れた。推測は出来たが、天帝は形式上必要があると考えて態々に尋ねた。
 すると、地鳴りのような低い声が響く。
「それはこちらの台詞だ。一体、何を企んでいる?」
「聞いているのは私の方だぞ」
「ポルトリテシモ」
 一触即発の状態となった大神達を涼やかな声が制した。地神の背後から現れた声の主を見て、天帝は目を剥く。
「ザクラメフィ!?」
 人族の肉体を借りてはいたが、相手の正体は一目で分かった。今回の件に冥神が関与していることは理神から聞いていた。だが、まさか敵方の高位神が天宮にまで出向いてくるとは思いも寄らなかった。
 一方、冥神も天帝程には深刻な表情ではなかったが、怪訝そうに首を傾げた。
「先日、使者を送った筈だが?」
「知らないぞ、私は」
 天帝は傍らに居た天人族の官吏達を見る。彼等は泣きそうな顔をして、首や手を大きく振っている。
 困惑しながら天帝は視線を冥神へと戻した。彼は死者の生前の善行悪行を量る職業柄、嘘や策謀といったものを余り好まない神だ。故に、彼の言葉は信じて良いのかもしれない。では、一体どうしてこの様な行き違いが起こってしまったのだろうか。
「誰を送ってきたのだ。モルドリスか?」
「否、私の神殿に仕える死精だ」
「……。その者はどのような姿をしていたのだ?」
「一般的な人族の姿をしているな。肉はないが」
(それは、天宮に辿り着く前に魔物と勘違いされて退治されたのではないのか?)
 ずっと冥界に引き籠っている所為で世慣れしていない彼らしい失敗だった。天帝は脱力する。普段やられても苛つくだろうに、緊迫した状況下でそれは本当に止めてほしい。
「態とやっているのか?」
「何を言っているんだ? そんなことよりポルトリテシモ、そろそろオルデリヒドが我慢できなくなりそうなので、本題に入らせてもらうぞ。地上界のある国で《理》に反した『死』が発生した。大虐殺だ。七割はそこの馬鹿の所為。残り三割は――」
「あの二人がやったと?」
 天帝は床に転がる首を見る。天帝の後を追うように、冥神も其方に視線を向けた。
「全てではないが、元凶はあの二人だ。因みに今回、私はタロスメノスの代行という立場でもある。邪神扱いは止めろよ。はい、これ委任状」
 冥神が丸められた書簡らしき紙を懐から取り出して差し出した。それを天帝から目配せされた武官が受け取り、呪詛の類が仕込まれていないか調べる。安全が確認できた所で、書簡は天帝へと手渡された。
 書簡を読みながら、天帝は率直な感想を漏らした。
「怒ってるな……」
 情動に流されることが少ない冥神であるが、口調や態度の端々に抑えきれない怒気が感じられた。
「天人大戦から大して間を置かずにこれだからな。眷族の管理が緩いのではないか?」
「それは斯様な場に於いて私の口からは言えぬことだ。だが、気に留めてはおこう」
「ふむ。兎も角、我々の要求は首謀者の然るべき処分だ。両名は既に死亡しているが、有罪認定と事件の公表は最低でも行ってもらいたい。本心では謝罪の言葉の一つも欲しい所だが、お前の立場では無理そうだな」
「察しが良くて助かるよ。うちの愚弟と違ってな」
「この――」
 同じ出不精でも冥神と違って他者と接する機会が少なく、怒りを言葉で表現することさえ上手く出来ない地神が、今漸く口を開こうとした。だが、冥神が言葉を被せて止めた。
「眷族の管理が緩いのはお前も同じだ、オルデリヒド。私は何度も介入するように言った筈だぞ」
「それは――」
「お前の所為でこうなった。地上人族が未だ真面な成長を遂げることもなく愚かなままなのも、お前がほったらかしにしている所為だ。そして、その皺寄せは最終的に冥界へと来ている」
 正論だった。世間もまた他神――特に天帝と比較して地神を謗るだろう。しかし今回に限っては、地神も自分に非があることは理解していた。だから、反論できなかった。
「ザクラメフィ、言い過ぎだ」
 見かねた天帝が割って入ったが、冥神は無視した。余程、腹に据えかねているらしい。
「これ以上、私の手を煩わせるな。まあ、言ってもお前は改めないのだろうが」
「……」
 視線を天帝へと送って退室の意志を伝えた後、冥神は踵を返して扉を失った謁見の間の出入口へと歩き出した。地神は刷り込みされた鴨の雛の様に、冥神の後に突き従う。その様子に気付いて冥神はちらりと地神を見たが、やがて無言のまま溜息を吐き、謁見の間から去っていった。《顕現》したのは冥神よりも地神が先なのだが、これではどちらが年上か分かったものではない。
 彼等の姿が見えなくなった後、はっと我に返った高官達が「如何致しましょう」と天帝に聞いてきた。天帝は半ば呆れながらも彼等に命じた。
「天人族の王達に連絡を。遺体を引き取らせろ。それから、理神にも使者を立てるように。どうやら、我々は謝罪が必要な立場のようだ」
「畏まりました」
 この場にいる者は、天帝以外は全て天人族である。謁見の間の空気はどんよりと重くなった。
「やれやれ、だな」
 固い背凭れに身体を預け、天帝は深々と長い溜息を吐いた。


   ◇◇◇


 翌朝、瓦礫の山と化したカンブランタの一角で芋虫の様に蠢くものがあった。カンブランタ王国第十四王女リリアである。
(痛い……)
 黒天人族の王女タルティナがカンブランタ大神殿に施した〈双貌城〉と冥神ザクラメフィが与えた〈加護〉により、数多の地上人が命を落とした惨劇の中でも辛うじて生き延びたリリアであったが、これらの〈術〉を以てしても彼女を完全に守り切ることは叶わず、最早虫の息であった。身体を起こすことも声を出すことも出来ず、それでも何とか頭だけは動かして自分の状態を確認する。そして、彼女は自らの死期を悟った。
(流石にもう駄目ね、これ)
 涙が出そうになった。自分がこれから死んでいくこと、恐らくは祖国の滅亡を防ぐことが出来なかったであろうこと、自分の無力さ――様々な思いが綯い交ぜになり瞼がじんと痛んだ。思い切り声を上げて泣き叫びたいのに、その為の力すら最早彼女には残されてはいない。胸の痛みを抱えたまま、次第に意識がぼやけていく。リリアは静かに瞼を閉じようとした。
 その時、聞き覚えのある澄んだ声が耳に入った。
「まだ生きていたか。運の強い娘だ」
 嘗てリリアに予言を与えた物乞いの男の声だ。微かに目を開いたリリアは何か返事をしなければと思ったが、鯉の様にぱくぱく口を動かすことしか出来なかった。すると、相手は困ったように首を傾げた。
「喉もやられているのか。そんな状態で良く生きていたな」
 リリアの身体を押さえ付けていた壁や柱の残骸を取り除いた後、男は懐から小さな陶器の小瓶を取り出す。
「不測の事態の為に、と姉の家人から渡された薬だ。お前に効くかは分からないが……。飲めるか?」
 リリアは微かに頷く動作をしてみせる。それを見た男はほんの少し微笑んだ。
 小瓶の栓を抜いた男はリリアの上半身を抱き起して顎を上げさせると、その中身を彼女の口に含ませた。薬が喉を通った感覚はなかったが、一応飲み下すことは出来た様でその効果は直ぐに現れる。リリアの肉体は淡く光を放ち、見る間に傷口が閉じていった。欠損した部分も新たに生えて修復される。傷が癒えるにつれて意識もはっきりとしてきて、リリアは生き生きと驚きの感情を表した。
「嘘……」
「私の姉は名医なのだ」
 元来表情の少ない男が微かに笑い、冗談めかしてそう言った。だが、リリアは彼の言葉を冗談とは受け取らなかった。
「冥神ザクラメフィの姉、命神ネクティホルト」
「私の正体に気付いたのか」
「気付いてほしくなかった?」
「そうあるべきでないのは理解していたが、早めに気付いてくれれば色々と楽であるのに、とも思った」
「どうして、気付くべきではないと?」
「お前達地上人族には最早関わるべきではないというのが、我々神族の総意だ。関わったからこそ、こういうことになった」
 リリアは息を呑んだ。そして顔を上げ、眼前に広がる景色を見る。そこにあるのは見るも無惨な廃墟ばかりで、隆盛を極めた大国カンブランタの面影は何処にもなかった。
「私達は……人間は見捨てられたの?」
「ああ。しかし、それでも私だけはお前達を他の種と変わりなく平等に受け入れよう。思う所はあるが、受け入れる」
「余計なお世話よ。私達を認めてくれるのが『死』だけだなんて」
「まあ、そうであろうな」
 沈黙が落ちた。お互いに言いたいことが多過ぎて、何から話せば良いのか分からない。風音だけが際立って大きく聞こえた。
 先に口を開いたのはリリアだった。まず、一番知らなければならないことを彼女は聞くことにした。
「ねえ、私がいない間に外で何があったのか、教えてくれる? 貴方が前もって忠告してくれていたから、凡そのことは分かってはいるつもりなのだけれど」
「お前にとっては、辛い話となるが?」
「構わないわ。それを聞くのも、王女である私に義務だもの。否、もう『元』王女か……」
「承知した。では――」
 悲し気に目を伏せるリリアの求めに応じて、冥神は彼が知る限りのことを全て話すことにした。地上界の外の出来事も含めて。


   ◇◇◇


 全てを聞き終えたリリアは、背後にあった分厚い壁の残骸にぐったりと体重を預けた。
「本当に、酷い話だったわ」
 湧き起こる感情をどう表現したら良いのか分からない。だが、自身を制する気力と体力を取り戻せただけリリアはきっと幸福なのだろう。何せ彼女以外の人間は皆死んでしまい、同じことが出来ないのだから。彼女は親族や側仕えの者達の顔を順繰りに思い浮かべていった。
「リリアよ、お前はこれからどうする? お前に纏わり付いていた死の気配は、既に消えているが」
「つまり、私はもう死なないということ?」
「当分の間はな」
「本当なの、それ? 貴方の予言、微妙に外れてるじゃない。カンブランタ滅亡は数年後じゃなかったの?」
「その筈だったのだがな。私がこの国に接触したことが何かしらの切っ掛けになったのか、或いは――」
 冥神は目を伏せ、腕を組んだ。気になる点は地震の発生時期だけではない。現在、カンブランタで死の気配を纏ったまま生き残っている者は居ない。また、死の気配なく死んだ者も存在しない。地震発生の折に冥神が危惧した齟齬は、何故か起こってはいないのだ。個々の死の運命の変動自体はままあることだが、ここ迄大規模となると珍しい。
(まさか、《理》が現実の事象に合わせて形を変えた? それに引き摺られて、死の運命も変化したのか。そうして、辻褄が合ってしまった)
 職務上必要である為、冥神は《理》について他神よりも多くの情報を理界から開示されている。勿論、本来あるべきだったこの国の未来についても知らされていた。そして「正しい未来」では、現時点でまだカンブランタ王国は健在であり、更に広く地域全体について見れば、カンブランタを含む複数の国の間で度々主導権が入れ替わることになるものの、少なくとも向こう千年は繁栄と進歩が続く筈であった。
 しかし、現実には今の時代の軸となる部分が突如ごっそり抜け落ちてしまっている。果たして、地上界はこれからどうなっていくのだろうか。再度、理界に確認する必要がありそうだ。
「何にせよだ。私が視る限り、暫くの間はカンブランタが大きな危機に晒されることはない。一先ずは安心して良いだろう」
「それはそうでしょうよ。カンブランタ王国は既に滅んでしまっているのだから」
 言い終わる前に胸が痛くなり、堪え切れなくなったリリアの目からぼろぼろと涙が零れた。泣いている顔を見られたくなくて、彼女は両手で顔を覆う。
「私一人生き残ったって……」
 そんな彼女に対し、冥神は実にあっけらかんと言ってのけた。
「一人ではない。お前以外にも、まだ生き残りはいる」
 リリアは思わず「え?」と素っ頓狂な声を上げた。
「先程、話しただろう。ティファズはカンブランタ人の一部を外へ逃した」
「つまり、その人達は地震の被害を免れた!」
 何故、それを早く言わないのか。そう思いつつも、リリアの顔に赤味が戻った。
「今回の地震は〈神術〉の一種だ。普通のものとは違い、特定の場所にしか影響を及ぼさない。城壁の外では揺れは殆ど感じなかったに違いない。それに、カンブランタ人はカンブランタ本国の外にも居住しているのではないのか?」
「そう、そうよ! ああ……」
 今度は歓喜の涙が溢れた。リリアの笑顔に看過されて、冥神もやや微笑んだ。
「さて、そろそろお別れだ。〈加護〉はもう必要あるまい。外しておくぞ。死の神の恩恵なぞ、長く付けておいても相手が生者では何れ毒へと変わっていくだけだ。殊に、脆弱な地上人族にとっては害にしかならん」
 腕を組んで折れた柱に凭れ掛かっていた冥神が、徐に身体を起こす。直後、彼は地面に崩れ落た。リリアは慌てて駆け寄ろうとする。だが、彼の身体から人の形をした白い影が起き上がるのを見て足を止めた。全身がうっすらと透き通り、高貴な身分を想像させる立派な衣服や装飾品を纏ったその人物には、足下で倒れている男の面影も微かに見られたが、明らかに彼とは別人の顔であった。しかしながら、リリアは直感的に彼が「ザクラメフィ」の本体なのだと判断した。
「ザクラメフィ!」
「リリアよ。お前が未だ王女としての矜持と責務に囚われているのなら、残されたカンブランタの人々をしっかりと導いてやれ。そして良く生き、正しく死ね。死者は押し並べて冥界の柱であり資源であるが故に」
 徐々に声が遠のき、身体の透明度が増す。恐らく彼が本来あるべき場所に戻ろうとしているのだろう。この世界から遠ざかる彼にまだ声が届くのかは分からなかったが、リリアは立ち上がり声を張り上げた。
「また会いましょう! それは確定事項なのでしょう?」
 次に会う時は、リリアが死んでその魂が冥界へ渡った時。冥神は少し困っている様にも見える笑顔を浮かべて答えた。
「ああ、そうだとも。必ずや――」
 言い終わる前に冥神の声は途切れ、その姿は完全に見えなくなった。彼が去ったことを知ったリリアは、だらりと身体の力を抜いて立ち竦んだ。
 その背後には、ティファズの死により〈術〉が解けて眠りから目覚めたカンブランタ人の生き残り達が、涙を流しながら駆け寄ってくる姿があった。



2023.06.25 誤字を修正

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