機械仕掛けの神の国

◆ 第一章 地神の箱庭 ◆


  11、一触即発



 日もまだ昇らぬ早朝、聖都の大通りを列を成して突き進む集団があった。
「ん……なんのおと?」
 ざっざっと規則正しく響く足音、金属の擦れ合う音に、街の人々は目を覚まし始める。
「おそとからおとがする……」
「坊や!」
 一人の幼子が窓の外を覗き込もうとすると、傍らに寝ていた母親が抱きかかえて彼を窓から引き離した。
「近付いちゃ駄目!」
「でも、おそと……」
「いいから!」
 子供よりも早く外の異変に気付いて目を覚ました母親は知っていたのだ。――それが軍靴の音だと。


 大通り沿いでは、既に商売の準備を始めている者達もいた。
「何だ、この兵隊達は?」
「王宮からは何のお触れも……」
 皆、前触れもなく始まった軍の行進に戦々恐々である。
「戦が始まるのか?」
「『戦』ったって、この先は……」
 そうして人々は一様に彼等が向かっている先を見て、ついにその時が来たことを悟った。


 一方、大軍に周囲を囲まれたサンデルカ大神殿では――。
「大変です! 表に――」
「分かっている!」
 報告を受けた高位の神官達が歯軋りしているところであった。
「――俗物共め!」
 高位神官の一人はそう吼えて、自身の寝床を殴り付けた。


   ◇◇◇


 サンデルカ大神殿の包囲が完了した後、質の良い鎧を着た軍人数人が騎乗したまま前に出てきて、声高に大神殿正門の開門を迫った。その手にはやはり上質で殺傷能力の高そうな武器が握られている。
 大神殿側は彼等の要請には応じず、代わりに通用口から高位神官の一人と神殿兵数名を使いに出した。
「これはこれはムルテカ将軍、お久し――」
「社交辞令の挨拶は良い。時間の無駄だ」
 鋭い口調で返すムルテカに、交渉役の神官はあくまでもったいぶった口調で話を続けた。隙を見せたら殺される。余裕のある態度を見せ付けなければ。彼は無意識にそう感じ取っていたのだ。
「はあ、左様でございますか。本日はどういったご用向きで? 神聖なるサンデルカ大神殿をこのように、まるで盗賊の巣でも囲うように大軍で包囲して」
「先日、第一王子殿下がサンデルカ大神殿へお忍びでご参拝されていたことは知っているな」
「は? 一体何のことを……?」
 てっきり「邪神の化身」に関わる話だと思っていた神官は、呆気に取られた。しかも、全く知らない情報だ。
「証言は既に取れている。白を切り続けるはお前達の為にならんぞ」
「いえいえ、本当に何のことだか!」
 本当に分からないという顔で神官は強く否定した。だが、ムルテカは全く信じていない様子だった。
「まあ、良い。続けよう。その際、お前達は邪神騒ぎを引き起こし、その混乱に乗じて殿下の暗殺せんと謀ったな。しかし、その計画は失敗。焦ったお前達はその後、王宮側に有りもしない罪を擦り付けて国家転覆を図った。この国の支配権を自分達が握ろうと考えた」
「いえ……いえいえいえ! ありえません! そのようなことは……」
 大袈裟なくらい身振り手振りを駆使して否定する神官の耳に、ぽつりと呟くような声が届いた。
「やっぱり……」
「邪神騒ぎは狂言か」
 それは王宮軍と両者のやり取りを遠巻きに見詰める野次馬達の声――つまりは聖都の民衆の声であった。随分と距離が開いているのにその呟きは良く聞こえた。
「お前達、信じるでない! これは何かの誤解……いや、策謀だ! 邪神の化身の出現は、御神託によって判明したことだ。このような無法、神がお許しにならない!」
「神託ねえ……」
 訝しげに顔を歪めるムルテカが、そう零した時であった。
「そう、御神託。全ては神々の御神意なのです」
 凛とした女の声が響き渡った。ミリトガリである。寝間着から慌てて着替えたのか常とは異なる簡素な巫女服を纏った彼女は、交渉役の神官と同様に神殿兵を引き連れて通用口から姿を現した。
「神託の巫女!」
 常日頃彼女を厄介者扱いしてきたその神官が、この時ばかりは救いの神と言わんばかりに彼女を呼んだ。
「兵を引きなさい。御神託を無視したこれ以上の無法、冤罪。決して許されるものではありません。破門しますよ」
 射るような眼差しで真っ直ぐ睨み付けてくるミリトガリに、ムルテカは思わず「ははっ」と笑った。
 直後、目にも留まらぬ速さで騎乗からミリトガリの喉許に槍の切っ先が伸びた。
「それで脅しているつもりか、巫女よ。私は神を信じぬ。もし本当に神がいるのならば、大神殿の意思で動いた兵達が無残に命を落とすことなどありえない筈だ」
 そう、古来より多くの兵達が大神殿の言葉を信じ、その指示通りに動き、無残に命を散らしていった。本当に彼等の言葉通り、神意が自分達に味方していたならば、そんな犠牲は出なかった筈だ。
(その言葉が偽りであると確信したからこそ、王宮はお前達との離別を決めたのだ。――民を守る為に!)
「それもまた、御神意です。彼等は死した後、楽園へと導かれるでしょう」
 だが、目の前の女はそんな彼の思いや人々の犠牲をあっさりと侮辱して退けた。真実彼女はそう思っているのか、それともムルテカを言い包める為の方便なのか。
 どちらにしても、彼を苛つかせるには十分だった。
「ほう。ならば、その御神意とやらを仰いで、今すぐ邪神の化身とやらを捕らえて見せてはどうだ。出来ぬであろう、この女詐欺師め!」
「なんですって!」
「神託の巫女……」
 神官や神殿兵達がミリトガリの不利を悟って、不安げな眼差しを向けてきた。暗に「大丈夫か?」と問いかけているのだ。そのことが彼女の自尊心を逆撫でした。
(そもそも私がこれだけ手を尽くしてやったというのに、小娘一人捕らえることすらも碌に出来ぬのか、お前達は。 何という無能! 低能! 自体が収束すれば、片っ端から破門を言い渡してやる!)
 心中で呪いの言葉を吐きながら神官達を睨み付けるミリトガリを冷たく見下ろして、ムルテカは煽る。
「どうなんだ、神託の巫女?」
「くっ……」
 返答出来ない。
(御神託の下りる時機は神がお決めになる。私が決めることは出来ない。しかし、この場でそれを言えば……)
 ――神事に疎いムルテカや民衆はミリトガリが見苦しい言い訳をしていると思い、彼女や大神殿に対して強い不信感を抱くだろう。或いは、同じ神職の者達でさえも。
(お助け下さい、天帝様……!)
 ミリトガリは胸の内で彼女の愛する神に向かって叫んだ。


「――って、言ってるようだけど?」
 茶化すように渾神ヴァルガヴェリーテが、地神オルドリデヒドに問い掛けた。
 だが、答えはない。「彼女の天帝」が見詰めているのは、ミリトガリが映し出されているものとは別の画面の映像である。
 これだけ大きな事件が起これば、彼が愛して止まない人形にも動きが出る筈だ。そう考え、一心不乱にその映像を見ている。
「興味なし、か」
 渾神は画面の向こうのミリトガリを見た。直接触れることは出来ないが、その頬の部分を指でなぞる。
「可哀想に。貴女、終わったわね」
 哀れみの言葉に少々の嘲りを混ぜて、彼女は呟いた。


 救いの手のないまま両者の睨み合いが続く中、不意に手を叩く音が聞こえた。
「まあ、面白いことを仰いますわね」
「ぬ……」
 妙齢の艶かしい女性の声が響いた。
 燃え上がる炎のような深紅に染められた絹布を頭から被っている為、顔を見ることは出来ないが、ミリトガリはその声に聞き覚えがあった。
「つまり、大将軍はサンデルカ大神殿が信仰を利用して人々を騙す詐欺師集団と思っていらっしゃる訳ですね。困ったこと。これは、一矢報いてやらねばなりませんね、ミリトガリ殿」
 緊張感に包まれた場を揶揄するかのように振舞う女は、ミリトガリとムルテカの間に割って入る。
「貴女……」
「何者だ」
「ああ、申し遅れました。私の名はマーヤトリナ。『日神の神子』と呼ばれております」
 ざわりとざわめきが起こった。皆口々に「日神の神子」と呟く。
 神官でも兵士でもない、事態を不安げに見守っていることしかできない聖都の一般住民達の顔には、希望の光が宿り始めていた。彼女こそがこの一触即発の状況を打開してくれるのではないかと期待して。
 逆に王宮兵達は不安気だ。
 同じ神職の扱いでも「神子」は「巫女」とは違う。神意を伺うことの出来る「神託の巫女」でも、所詮は人間だ。それを理由に弾劾することも出来なくはない。だが、「神子」とは神の化身である。大神殿と対立する王宮でも下手に手出しは出来ない。まして、国王エスニオルは彼女にあやかって「太陽王」などと称しているのだから。
 流れが変わり始めたことに焦り、ムルテカは舌打ちをした。――ように見えた。
「良いのか? 助け舟を出しているつもりなのかも知れないが、それは……」
「『助け舟』ですって? ふふ、ふふふふ……あはははは!」
「……!」
 腹を抱えて笑うマーヤトリナにミリトガリは愕然とした。
(何が可笑しい! 一体何をしに来た!)
 その場にいる者は皆困惑した表情を浮かべていた。彼女の真意を量りかねていた。
 笑声は周囲の想像以上に長く続いたが、存分に笑って満足したのか、マーヤトリナは潤んだ目を擦りながら話を続けた。
「御免なさい。私が彼女を助けるなんて……ぷっ、有り得なさ過ぎて。実はね大将軍、私も彼女の神託能力について疑いを持っていたのですよ。だから、私は貴女に『神託勝負』を挑みます」
「何ですって?」
「衆目のある前で貴女と私、それぞれが別々に神託を賜り、貴女の言う「邪神の化身」とやらを探し当てるのです。私の神託の成否に関わらず、貴女が彼女を見つけ出すことが出来たなら、貴女の神託能力が本物であったと証明されるでしょう。また、私達が共に失敗すればこちらの将軍の疑念を証明することになり、サンデルカ大神殿の権威は失墜する。……しかし、もし貴女が彼女を見つけられず、且つ私が彼女を見つけ出すようなことがあれば……」
「何を言っているの?」
 突然の事態に頭が付いていかない。この女は何を言っているのか。
「受けない理由はありませんね。貴女の神託能力を衆目の前で証明する為には」
「……」
 先程まで笑い転げていたのが嘘の様な冷静さだ。
 ミリトガリは押し黙る。返答は出来ない。この衆目を前に「無理だ」とは言えない。
 だが、相手はこちらの答えには興味がないようだ。こちらが肯定しようが否定しようが、彼女は神託勝負を強行するつもりなのだろう。
「そういう訳で、少し猶予を頂きたいのですが」
「茶番に付き合えと?」
「宜しいではありませんか。どうせ、この大軍と聴衆です。我々は何も出来やしませんよ。……それに上手くいけば、お問い合わせの件の関係者が最低一人は、はっきりするでしょう?」
「……良かろう。好きにしろ」
 ムルテカは王宮兵達に指示を出す。大神殿の包囲はそのままにして、まずは王宮へ状況報告の使者を出し、もう一方では神託勝負に相応しい舞台を突貫で設営させた。
 またその間、マーヤトリナとミリトガリは不正や逃亡が出来ぬよう王宮軍に拘束されていたが、彼等の天幕で身形を整えることと朝食を取ることだけは許された。マーヤトリナは何ともないという顔をしていたが、幼い頃から神殿で大切に育てられてきたミリトガリは酷い屈辱感を味わっていた。


   ◇◇◇


 そうして、正午過ぎた頃にようやく舞台が完成した。
 この舞台は周囲を囲うよう兵を並べても観衆が勝負の様子を良く見ることが出来るよう、人の身長より高めに、尚且つ登壇する人数に不釣合いなくらい広めに造られていた。短時間で造られた為、見た目は粗雑である。
 そんな具合であっても予定よりも遥かに早く準備が整ったのは、意外にも聖都の住人達が協力的だったお陰だった。聖都サンデルカの民は皆信仰心が厚く、大神殿と対立する王宮派に否定的な者も少なくないが、早く白黒付けたい、早く終わらせたいという思いが勝ったのだろう。
 人々の目は今、ミリトガリとマーヤトリナが控えている天幕に向けられていた。


「さあ、参りましょうか」
 勝ち誇ったような顔でマーヤトリナはミリトガリに微笑みかける。
 王宮兵に拘束されている最中、ミリトガリが少し冷静になってきた頃から抱き始めていた疑念が、この時確信に変わった。
(そうか……この女が邪神の化身を匿っていたのか!)



2024.02.07 一部文言を修正

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