機械仕掛けの神の国

◆ 第一章 地神の箱庭 ◆


  05、舞台の開幕



 約束の日、アミュとブラシネは神託所の謁見の間に招かれた。今は無人の高座の前に跪き、神託所の主の訪れを待っている。
「神託の巫女様、御出座!」
 一際大きな声で神託の巫女の訪れを告げる声が上がり、続いてさらさらと衣擦れの音が聞こえてくる。
 アミュは床を眺めたまま、目前の椅子に座ったであろうその人物の気配を探った。
(目の前の人から、神気のようなものは何も感じない。《元素》の香りすらも。この人は偽物……?)
 やはり、神族が地上人に施しを与えるような奇跡は起きなかった。理解した途端、安堵と落胆に襲われる。
 そうであるなら、アミュが呼び出される原因となった「神託」とは一体なんだったのか。アミュが事の真相に意識を向けるより早く、神託の巫女ミリトガリは彼女に命じた。
「娘、面を上げなさい」
「はい」
 促されるまま顔を上げ、神託の巫女の姿を確認する。謁見の間の荘厳さと比べて装飾が少なくやや簡素に見える衣装に身を包んだその女性は、神気こそ感じられなかったものの、特権階級が持つ強い威圧感を放っている。
「問いましょう。そなたが『アミュ』ですか?」
「はい」
「そう、そなたが……」
 ミリトガリは歯噛みする。胸中は怒りの感情に満ちていた。余りに一瞬のことで誰も気付かなかったが。
 突如、すっくと立ち上がったミリトガリは声を張り上げた。
「神聖にして勇猛なるサンデルカ大神殿の兵達よ、神託の巫女ミルトガリの名に於いて命じます。その娘を捕らえなさい。その者の正体は聖都に災いをもたらす邪神の化身です!」
「!!」
「巫女様!?」
 アミュもまた立ち上がる。ほぼ条件反射だった。故郷の村や天界で受けた仕打ちの賜物だ。
「さあ、早く! 但し、傷付けてはなりませんよ。邪神の化身は傷口からも邪気を振り撒きますからね」
(『邪神』……!)
 その言葉を確認した瞬間、また条件反射でアミュは建物の外に飛び出した。嘗て渾神が与えてくれた「侍神の肉体」の運動能力は一般的な地上人よりも高く作られているようで、神殿兵達の包囲網を易々と突破させてくれた。
 ブラシネが遠くで「アミュ!」と叫ぶ声が聞こえたが、構っている余裕はなかった。
(どこかへ隠れて……いや、逃げないと)
 耳に届く声で追っ手の数が増えていくのが分かる。幾らアミュが既に人外の身であっても、流石に数で押されたらどうなるか分からない。
 しかし、サンデルカ大神殿は広大かつ複雑な造りになっており、土地勘のないアミュが幾ら探しても壁や出入口は見つからなかった。
「うわっ!」
「……っ」
 身を隠しながら逃げ回っていると、突然身体を強い衝撃が襲う。視界の外から現れた誰かとぶつかったのだ。二人して植え込みの中に倒れ込む。
(しまった! 足が止まった!)
「そっちへ行ったぞ!」
 追っ手の声はすぐ側まで迫っていた。
 アミュがこのまま逃げ出すか、隠れてやり過ごすか迷っていると。
「……こちらへ」
 ぶつかった相手がアミュの腕を引いた。
「え? 」
「私は敵じゃない。だが、彼等の敵ではある」
「……」
 明らかに怪しい。
(――でもこの感じ、何処かで……)
 少年にも青年にも見えるその若者の纏う奇妙な空気に引き込まれるように、アミュはつい彼の手を取ってしまった。


   ◇◇◇


 見知らぬ若者に導かれた先は、残念ながら大神殿の外ではなく神殿内の部屋であった。聞いてみれば、貴賓棟の一角らしい。
 アミュは神殿に似つかわしくないその華美過ぎる内装に言葉を失い、室内を眺め回した。
「神託所の神殿兵が参っておりますが」
 身形の良い男性が若者に声を掛ける。
「こちらに異常はないと言って追い返せ」
「畏まりました」
 男性はそう言うと扉の向こうへ下がっていった。
 部屋の中には若者とアミュの二人だけが残される。召使達は皆室外に控えていた。
 彼等のやり取りを見ていたアミュは、急に不安感を覚えた。室内の様子や側仕えらしき男性の素振りから、この若者が相当な身分の者であることは察した。だがそんな彼が、一体どういった理由で神殿兵に追われる不審者の自分を庇ってくれるのだろう。
 アミュの脳裏に、嘗て自分を利用しようとした黒天人族の王子の姿が過ぎった。
「あの……」
 じっとして居られずアミュが若者に話しかけようとすると、彼は振り返り真っ直ぐにアミュの見返してきた。
 地上人離れした端正な容貌であった。追っ手への対応で緊張しているのか笑顔はない。それに加えて青白い面や氷のような白銀の髪が、彼の容貌にやや冷たい雰囲気を与えていた。
 その点においてこの若者は嘗ての「彼」とは異なっており、アミュはほんの少しだけ安堵した。
「名乗らなくても良い。その代わり、此方のことも詮索しないで貰えると有難い。……お忍びなのでね」
 若者は淡々と言い放った。その口振りも「彼」とは違う。
「どうして、私を助けて下さったんですか?」
「……君は聖都の人間かい?」
「いえ、最近来たばかりで……」
 正確には過去に一度来たことがあるが、それは彼の聞きたいことではないだろう。
「ふうん、ならサンデルカ大神殿と王宮が不仲だってことも知らないのかな?」
「そうなのですか?」
「そう、聖都の人間なら子供から老人、特権階級から奴隷階級までも知っている話だ。どうやら、本当に地方から来た子のようだね」
「すみません。これ以上は……」
「ああ、詮索するような言い方になってしまったね。此方こそすまなかった」
 言葉を濁したアミュに、若者は謝罪した。
「まあ、そういうことだよ。君がどのような理由で追われているかは知らないが、彼等にとっての不確定要素は少しでも多い方が都合が良い」
 アミュを利用したいという点は「彼」と同じ。しかし「彼」と違って、アミュを懐柔する意図は感じられない。あくまで事実を語っているだけ、といった口調だ。
「大神殿と王宮はどうして諍いを?」
「なに、つまらない権力争いさ。下々の者達にとってはね。神への信仰とその信仰を司る自分達を至上とする大神殿は、古の時代より政治から何から全てを支配下に置こうと口出ししてくる。対して、現実主義の我々は信仰だけで全てを解決することは不可能だと知っているから、大神殿からの圧力をただの弊害と切って捨てる。そこで衝突する。それだけの話だよ。全く人間という生き物は、何処にどのようにあっても滑稽で愛おしいものだとは思わないかい?」
「……」
 答えに困る聞き方をする。どのように答えても、或いは答えなくてもアミュの内面を覗かれそうだ。
「まあ何にせよ、君は暫くここから――」
 突如若者の流暢な口が止まる。彼の灰色の眼が大きく開かれた。
「あの……?」
 奇妙な様子に気付いて、少女の身長しかないアミュが彼を見上げる。
 すると――。
「ぐっ……!!」
 若者は呻き声を上げ、自分の胸元を掴み、その場に蹲った。思わずアミュが近付いて覗き込むと、その顔は今迄よりも一層蒼白で滝のような汗が噴き出している。
「大丈夫ですか!?」
「すまない。持病でね。匿ってあげたかったんだけど、どうやらここに長居は出来なさそうだ。早く屋敷へ戻らなければならない。代わりと言っては何だが、私の友人を紹介しよう。彼女なら、きっと君を守り通してくれる筈だ」
「……ごめんなさい」
 どうやら自分は彼に相当な無理を強いていたらしい。そのことに気付いたアミュは、今迄少なからず彼に不信感を抱いていたことを心底申し訳なく思った。
 態度は怪しくても、根は良い人なのかもしれない。
「謝らなくても良い。此方も自分達の為にやっているのだからね。……誰か参れ!」
「はっ、御前に」
 先程下がった男性が部屋に入り、若者の前に跪いた。
「この娘を日神宮――マーヤトリナ様の許へ連れて行け。途中、神官達には気付かれないように注意するんだ。あちらへ着いたら、私の名を出して『暫くの間、内密にこの娘を預かって頂きたい』と申し上げろ。『決して誰にも口外せぬように』と付け加えて」
「承知いたしました。さ、此方へ」
「はい。あの……」
「ん?」
 おずおずと顔を上げてアミュは若者を見つめた。発作は取り合えず治まったようだが、彼の息はまだ荒く顔色は悪い。
 側仕えの男性に命じられ、数人の侍女達が部屋の中に入ってきた。恐らくは看病の為だろう。
「助けて下さって、有難うございました」
 アミュがそう言って頭を下げると、漸く若者はふわりと綺麗な笑顔を見せてくれた。
 その笑顔は、彼の身体の色彩と相俟ってとても儚げに見えた。


 アミュが側仕えの男性に連れられて部屋を後にすると、若者は苦笑の声を漏らした。
「まったく……」
(困った王子様だ)
 心中で暴れるもう一人の人格――その肉体の本来の持ち主に対し、彼は小さな溜息を吐いたのであった。


   ◇◇◇


(掛かったか……)
 渾神ヴァルガヴェリーテは、自らと繋がっているアミュの「渾侍の肉体」を通じて、その異変を察知した。
 可愛い「我が子」を囮にする様で少しだけ気が引けたが、彼女にとっては一番扱いやすい手駒でもあるのだから、止む無しと思うより他はない。アミュには可哀想だが、これは試練と思って諦めてもらうことにしよう。
「どうした?」
 女神の纏う危険な空気に気付き、豪奢な椅子に腰を掛けていた地神オルデリヒドは面を上げた。
 訝しげに様子を窺う彼の表情を見た渾神は、心中を悟らせないように明るい笑顔を作り軽く手を振って返す。
「ちょっとね」
 すると、返事を聞いた地神は意外にもあっさりと興味を失ったらしく、「そうか」とだけ言って眼前の映像に視線を戻した。画面の向こうの、ほんの少しの変化や違和感も決して見逃せないとでも言うように。
 画面には相変わらず、地神役の地上人の辛気臭い顔が映っている。
(彼はどこまで気付いているのかしら?)
 渾神はふと地神の現在の心境に興味を抱いた。
 聖都サンデルカは地神の箱庭だ。自分と渾神以外の、三人目の神の神気に気付いていない筈はないだろうに。
 ひょっとしたら、彼の神の存在も試行実験の要素の一部と捉えているのかもしれない。そして相手も地神の思惑を知っていて、それを利用している。
(ほんと、面倒で……嫌な子)
 渾神は顔には微笑みを浮かべたまま、胸の内だけで恨み言を言った。尤もその言葉を聞いた者がいたら、十人中十人が「お前が言うな」と吼えただろうが。



2023.11.08 一部文言を修正

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