機械仕掛けの神の国

◆ 第一章 地神の箱庭 ◆


  04、神託



 心地良い眠りの奥底から声がする。意味は取れない。しかし、今は亡き父母のように馴染んだ――聞き覚えのある声だ。
(――ミリトガリ、ミリトガリよ)
 意味のない音声は何れ自分の名へと形を変える。
(我が巫女ミリトガリよ)
「はい、天帝様」
 聖都サンデルカにおいて「神託の巫女」と呼ばれるその女性は、夢の中で声の主にそう答えた。
(ミリトガリよ、聖都サンデルカに災いが齎された。邪神の化身がこの地を訪れている)
 矢継ぎ早に会話の相手は本題を切り出す。
「まあ、なんと!」
 ただならぬ内容にミリトガリは驚きの声を以って答えた。
(化身の娘は私に害を成す為に、間もなくこの神殿を訪れるであろう)
「お守りいたします、天帝様! 私がこの身に代えましても! 私こそが!」
 少々奇異であるようにも取れる熱意の篭った態度に、「天帝」と呼ばれた相手はやや沈黙した。
(……。化身の娘の名は「アミュ」と言う。「辺境の村から来た」と申すであろう。しかし――)
「それは嘘、なのでございますね。かしこまりました。私が必ずやその災いを打ち滅ぼし、天帝様と聖都を守ってみせまする」
(否、不用意に傷付けてはならぬ。彼の者は毒壺のようなもの。傷付ければそこから邪気が流れ出し、聖都を覆い尽くすであろう)
「そんな! 一体どうすれば……」
 ミリトガリは口元を両手で覆って俯く。顔色は暗く、困惑と絶望の色で染まっていた。
 しかし、「天帝」はこのように答えた。
(娘を無傷で捕らえ、我が前に――奥殿の神体の前に連れて来るが良い。私自ら、浄化しよう)
「天帝様が、この大神殿に……?」
 面を上げたミリトガリは初めきょとんとしていたが、やがてその顔は喜色に染まっていった。「狂喜」という言葉が似つかわしい程に。
(良いな。確実に、傷付けずに、だぞ――……)
 彼女の内心を知ってか知らずか「天帝」は早々に会話を切り上げ、ミリトガリの夢の向こう側へと去って行った。


 目を覚ましたミリトガリは、暫し呆然としていた。
「御神託……」
 そう、いつもの御神託だ。どんな困難な状況下にあっても、彼女を教え導いてくれた救いの声。彼女が代々サンデルカ大神殿において引き継がれてきた「神託の巫女」の地位を継ぐ根拠となった力だ。
(天帝様、なんと神々しい御姿……)
 彼の者の姿は眩い光に包まれていてその詳細な外形は分からなかったが、ミリトガリはそのように捉えた。
 少し時間を置いて冷静になったミリトガリは、寝所へ侍従である神官を呼び、彼に命じた。
「神殿兵団長をここへ。それから、ここ数日大神殿への参拝を申請している全ての信者の目録と、出入りの業者の目録を持ってきなさい」
「いえ、しかしそれは――」
 侍従の神官は言葉を詰まらせた。
 神託の巫女は「神託所」の長ではあるけれども、サンデルカ大神殿の最高権力者ではない。そして、今ミリトガリが口にした目録は他部署の管理下にある。つまり、彼女の命令は明らかな越権行為であった。
 しかし、巫女らしからず気性が激しく矜持が高過ぎる感のある彼女に、一体それをどう使えたら良いものか。
 神官の躊躇をどう捉えたか、ミリトガリはこう付け加えた。
「管轄部署の機密保持目的による拒否権は認められません。大神殿の定めに基づき、今回は私の要請が優先となります。……御神託が下りました」
「は……はっ! 承知致しました!」
 彼女の言葉に漸く状況を理解した神官は、命じられるまま慌てて部屋を飛び出していった。


   ◇◇◇


 地神の傍らに立ち様子を窺っていた渾神ヴァルガヴェリーテは、堪え切れぬと言う様にからからと笑い出した。
「貴方ったら、何時の間にそんな器用な芸を習得したのよ」
「何のことだ」
 傍らで座する地神オルデリヒドは、眉を寄せてそう答える。
「昔は嘘を殊更に嫌っていたのに。成長? 進歩かしら? いずれにせよ、変わってゆくのは良いことだわ。渾神ヴァルガヴェリーテの名において祝福してよ」
「ふん、嬉しくもないな」
 地神は相変わらずの仏頂面だ。
 渾神は改めて映像の向こうにいるミリトガリを眺める。容姿は十人並み。年嵩は地上人にしてはそこそこ行っているようだが、見た目は実年齢よりは随分と若く見える。
 着目すべきは、その異様な精神状態だ。
「恋する乙女の目そのものね。可哀想に。こんな真っ直ぐなお嬢さんを騙して……悪い男」
 これは本心ではない。ミリトガリの歪な本質を正確に分析した上で、敢えて茶化しているのだ。
 だが地神は言葉そのままに受け取ったようで、心底呆れた風で答えた。
「何を馬鹿なことを。あれは『狂信』というのだよ。まともに相手をした所で、百害あって一利なし、だ。……そろそろ切り時かと思っている」
「本当に罪な男ね。あんなに一途に想っているのだから、一度くらい慈悲をくれてやればよいのに」
 つまりは「抱いてやれ」ということだ。自分や天帝をも超越する高位の神族が随分と下卑た発想をするものだ、と地神は思った。
「……最近、ペレナイカとつるんでいたらしいな。汚染されたか?」
 ふと、恋愛馬鹿の妹神――火神ペレナイカの緩み切った顔が脳裏に浮かび、地神はそう尋ねた。
「あら! そうねえ。本当だわ。まるであの子みたい。今気付いたわ。自分でも吃驚よ」
「ペレナイカはどうした」
 火神は地神程ではないが、やはり同様に天帝に対して不満を抱いていると伝え聞いている。そこに天界から邪神呼ばわりされている渾神が付け入ろうとした訳だ。
「また男の尻を追いかけているわ。あの氷精の男の子。まるで変質者のようよ。彼の方こそ本当に可哀想ね」
 元火侍スティンリア――火神を見限って彼女の許を去った侍神である。火神の片思いの相手でもあった。
「ああ、それであれから離れたのか」
「あの子は燃え上がっては消え行く、移ろい易く儚い炎。遠い日の世界支配の野望よりも、目先の恋を選んだって訳ね。まだどう転ぶか分からないから暫くは様子見だけど、もう放っておいても良いかなとも思ってるのよ。彼女は彼女の好きにすれば良いんじゃないかしら」
「『目先の恋』か……」
(果たして、ペレナイカはそこまでの阿呆だろうか?)
 火神をよく知る地神は、渾神の推測に疑問を抱いた。
 確かに火神はどうしようもなく愚かな側面も持ち合わせているし、スティンリアに恋着しているのも事実だが、今回に関しては違うのではないか。一見愚かに見えるその素振りは、実際には渾神と距離を置く為の演技だったのではないだろうか。
 恐らくは奔放な彼女のこと、自分以上に気侭で面倒な渾神の気質を煩わしく、或いは空恐ろしく感じたのだろう。
 しかし火神のこうした感情論は、意外にも結果から見れば合理的に機能していることも間々あるのだ。
 地神は少し考えた後、こう語り出した。彼の視線の先には〈神術〉の映像――ミリトガリの姿がある。
「ヴァルガヴェリーテよ、私がミリトガリを好かぬ理由はもう一つある。完全な私情だがな。あれが狂信的に信仰しているのは天帝だ。或いは天帝の名とそれに寄り添う自分自身の姿を慕っているのだ。断じて私ではない。自分で始めたこととはいえ、あの男の身代わりなんぞ……御免だよ」
 彼の言葉を聞き終えた渾神は、初めきょとんと首を傾げたが、またけらけらと彼女らしく笑い出した。
「ふふ、よく喋るようになったじゃない」
「本当にな。お前に汚染されたか。もう、黙る」
「残念だわ。言わなきゃ良かったかしら。もっと喋っても良いのに」
 からかわれたと思った地神はむっつりと膨れっ面になり、宣言通りに黙り込んでしまった。まるで子供だ。
 そして渾神は、母親が幼子のあどけない仕草を見守るが如く、彼を微笑ましそうに眺めていたのだった。


   ◇◇◇


 聖都へと連れ帰ったアミュを一人宿舎に残し、一先ずブラシネはサンデルカ大神殿に帰還した。特別な事情を持つ彼女の参拝に必要な、少々煩雑な手続きや根回しを済ませる為だ。
 長い石造りの回廊で、彼は顔見知りに声を掛けられる。
「ブラシネ神官、少し宜しいですか?」
「バイデ上級神官! お久し振りです」
 ブラシネの上司と同期の高位神官だ。確か現在は入管関係の部署を担当していた筈だ。上司を交えて何度か話をしたこともあった。
「長旅ご苦労様です。帰還されたばかりで申し訳ありませんが、先日書類で申請されていた件についてお伝えすることがあります。貴方が入都させた少女の件で……」
「は……」
 ブラシネは困惑した。報告だけは旅の途上で上司に送っていたが、どうしてそのことを他部署の彼が知っているのだろう。上司が気を利かせて先に手続きを済ませてくれたのだろうか。
 否、楽観的な考えはここサンデルカ大神殿では避けるべきだ。恥ずかしい話だが、神聖にして崇高であるべき大神殿も決して一枚岩ではない。世俗同様に様々な思惑が存在しているのだから。
 これはどう答えたら良いものか。不用意な発言は避けるべきだろうが――。
 ブラシネの逡巡を見てか、バイデは周囲をよく見回した後、声を潜めてこう告げた。
「まずは場所を移動しましょう。ここでは差し支えのある話もあります」
「承知しました」
 その言葉通りに、二人は人気のない空き部屋へと場所を移した。


 移動後、分厚い扉の鍵を閉めると、バイデは漸く本題を語り始めた。
「その『アミュ』と言う少女についてですが、神託所から面会許可の承認が下りました。日時は追って知らせますが、明後日になると思います」
「神託所……まさか神託の巫女が会って下さるのでごさいますか?」
「そのようですね」
「なんと心強い! きっとアミュも喜びます」
 思わず大声を上げたブラシネをバイデは「しっ!」と諌めた。
「この対応は異例の早さです。お分かりのこととは思いますが、通常ならば返答に数ヶ月はかかるであろう事案。どうやら神託の巫女の要請で、受付が祈祷申請者の目録を祈願所や祈祷所等を通さず、直接あちらへ渡したようです。もしかしたら……御神託が下ったのかもしれません」
「……!」
 ブラシネはまた声を上げそうになって堪えた。まさかこちらが神に問うより先に、神の方から答えを頂けるとは。
(やはり神々の賢智は我等人の子よりも遥か高みにあり、そうでありながら悩める下々には余す所なくその大いなる慈悲の心で以って応じて下さるものなのだ。彼等は疑いようもなく至尊の方々に他ならない!)
 彼の信仰心は一層深まり、歓喜は極みに至った。
 しかしながら、バイデはその神託をブラシネとは違う形に捉えたようだった。
「呼び出された申請者はその少女だけではありませんから、彼女が当事者とは断定出来ませんが、重大事に巻き込まれる可能性があります。一応、覚悟はしておいて下さい」
 彼は冷静だった。アミュの身に起こった現象について、凶事の可能性を見たのだ。
 バイデの言葉に、ブラシネは一瞬で現実に引き戻された。
「それは……最悪の場合、彼女が処刑されるかもしれないということでしょうか?」
「いいえ、それはありません。古の時代ならばいざ知らず、現代のこの国で大神殿が独断で司法行為を行ったならば、王宮が黙ってはいないでしょう。大きな声では言えませんが、我々とあちらは上手くいってはいませんからね。大神殿からの処刑要請を今の王宮が聞く筈もありません。……だからそういうことではなく、長期間面倒な処置に煩わされる可能性がある、と言う意味ですよ」
「そうですか……。このことは彼女に伝えても?」
「出来れば避けて下さい。無駄に不安を煽るだけですし、他の信者達への体面もありますからね」
「分かりました。そのように致します」
 話を終えた両者は軽く挨拶を交わした後、それぞれ別々の方向へと去っていった。


   ◇◇◇


「アミュ、喜ばしい知らせを持って来たよ。神託の巫女が君に会って下さるそうだ」
 宿舎に戻ったブラシネは早速アミュに状況を報告した。勿論、神託所の危険性については伏せた。
「『神託』……!」
 常に不安げな表情を浮かべる少女は、そう呟いた後黙り込んでしまう。ブラシネは困ったように首を傾げた。
「どうしたんだい?」
「いえ、何でもありません」
「そんな心配そうな顔をしなくても良いんだよ。神託の巫女は天帝の御神託を授かる巫女長。天帝の御加護により、きっと君の身体も治るに違いないのだから」
「……」
 返答はせず、アミュは黙り込んだまま俯いた。一時世話になるだけのこの神官に真実を語る気にはなれなかったからだ。
 サンデルカ大神殿は渾神と敵対する天帝ポルトリテシモを祀っている。神託が本物かどうか自体怪しいが、仮に本物だったとしたら渾神と繋がりのあるアミュを害する可能性は高い。
(でも……)
 でももし、万が一その神託がアミュを渾神から解き放ち、彼女のみを救済してくれる物だとしたら。無力な彼女自身ではどうすることも出来ない運命を天帝が心変わりして哀れんでくれたのだとしたら――。
(お母さん……渾神ヴァルガヴェリーテ様、私は貴女を裏切ることになるのでしょうか? 貴女はお怒りになるのでしょうか?)
 アミュと繋がっている渾神には、きっとこの心の声が聞こえてはいるのだろう。しかし、答える声はなかった。
 渾神ヴァルガヴェリーテとは、そういう神なのだ。



2023.06.10 文言修正

2021.10.09 文言修正

前話へ 次話へ

楽園神典 小説Top へ戻る