薄明かりの神の園


 10、太古の戦



「前にも言ったけど、世界には《光》《闇》の二源と《時》《理》《虚》《渾》四外、《天》《地》《火》《水》《風》《木》、《幻》《実》《命》《冥》《智》《力》正逆十二の《元素》が大きな柱として存在していて、各々が一つの領域――小世界を《顕現》しているんだ。これらは『《顕現》世界』とも呼ばれている。幾つか例を挙げるなら……そうだね。永獄に来るまで君がいた場所は《天》が《顕現》した『天界』だ。地上人の生息域は《地》が《顕現》した『地界』……いや、正確には天界との狭間にある地界の表面か」
 天界の人々の当惑もどこ吹く風というように、永獄の中は今日も平穏だった。
 処刑が確定するまでという時間制限のある中、アミュはじれったい思いを抱えつつも、シャンセの話に耳を傾ける。
「じゃあ、空は? 地上の上にある場所はどの世界なのですか?」
「空はね、どの世界にもあるんだよ。天界にも地界にも火界にもね。けれど、地上人の君がいつも見ていた空は、天界と地界、風界の境界に当たる空間で、これらの何れの世界にも属し、また何れの世界にも属してはいない。或いは、定められたものではないその状態は《渾》の世界の一部と呼べるものなのかもしれないね」
 次第に呑み込みが早くなってきている。アミュの成長の度合いを感じ、シャンセは微笑ましく思った。
 小さな頭を優しく撫でてやると、アミュは照れたように視線を泳がせて俯いてしまった。
「そうだな。こんな話ばかりでは飽きてくるだろうから、今度は君が興味を抱きそうな、物語のような話をしてあげようか」
 シャンセはアミュを自分の膝に寝かせ、母親が眠る前の子供にするように語り始めた。
「それぞれの世界にはそれぞれの王が存在する。天界は天帝ポルトリテシモが王だ。君を焼き殺した火神ペレナイカは火界の主、地界は地神オルデリヒドが王となる。地上人は地界寄りの種族だから、その神は本来オルデリヒド神ということになる筈なのだけれど、君達は天人族と同じでどうも上を目指す傾向が強いらしいね。天帝を祀る者が多いようだ。地神は元々天帝を嫌っていたけど、そのことも気に入らないらしい。だから《光》側では、地界は一番の反体制勢力なんだ。邪神や魔族も多い。でも、地神自体は邪神認定されてはいないんだよ。認定し辛いんだろうね。何せ《光》側の上位神である訳だし、嘗ては光神の下で天帝とは兄弟のように育てられた神でもあるそうだし」
 村の年寄りから神話や伝承を聞くのが大好きだったアミュは途端目を輝かせた。
 天界に上がってからはそれらが身近過ぎた為だろうか、自分の目前にいる者達こそが、正にお話の中の登場人物なのだという実感や感動が余り沸いてこなかったのだ。実は本当の神世界は別にあるのではないかと思うことさえあった。
「それは、結局仲が悪いということですか?」
「いや、地神が一方的に敵視しているだけだよ。そのうち何か起こすんじゃないかって、私が天界にいた当時から噂になっていたね。二千年以上経っても、まだ何もないようだけど。ああ、仲が悪いと言えば、黒天人族と白天人族も仲が悪いんだ。気付いていたかい?」
 アミュは頷く。
「シーア様もメリル様のことを嫌っているように見えました」
「メリル……知らないな。新しいのが生まれたのか? まあ良い。創世以来、世界には二つの大戦があったんだよ。一つ目は光神と先代闇神が対立した戦。二つ目の時には、私は最初の方で離脱したから〈星読〉で大筋を知っただけなんだけど、天人族同士の諍いが全種族を巻き込んだ大戦争に発展したらしい。元々良好ではなかった両種族の仲が二度目の大戦で更に悪化してしまったようだね」
「知ってます、その話! お婆様から聞きました。天人様が地上人の女の人に恋をした話ですね」
 その時、突然意識がぶれ全身に痛みが走る。アミュは声も出せずにただ目を見開いた。
 どうも最近、調子が悪い。新しい身体の所為だろうか。それとも、《渾》に触れたからだろうか。
「『恋』……。何がどうして、そんな話に……」
 一方、シャンセはアミュの不調には気付かずに、こめかみを揉んで深い溜息を吐いた。
 そして、彼にとっては苦い思い出の一つとも言える歴史を語り出した。


   ◇◇◇


 ――その昔、「神戦」と呼ばれる大戦があった。
 光神プロトリシカは《光》側勢力の拡大と自己の神力の強化を望んで、《闇》側の神々を葬りその《元素》を手に入れようと目論んだ。
 彼は闇神ウリスルドマを崇拝する者達の間で紛争が起こるよう誘導し、混乱に乗じて光軍を闇界に侵攻させたが、敵方の結束が予想以上に強く、また指導者達の有能さもあって直に押し返されてしまった。
 その後、神戦は数度の休戦を挟みつつ凡そ三千年続いた。最終的に光神は何とか闇神を倒せはしたものの、自身も深手を負って撤退を余儀なくされる。傷付き衰え、恐怖と絶望に苛まれた光神は自らの城に引き篭もり、光界の全ての門を閉じて外界からの接触を一切絶ってしまった。
 以後、《光》から最初に分かたれた《天》の《顕現》神――天神ポルトリテシモが自らを「天帝」と名乗り、光界を除く全ての《光》側世界を治めることとなる。
 また、ウリスルドマ神は絶命前、幻神であったユリスラ神に自らの《元素》である《闇》と《闇》側世界の支配権を移譲したので、全世界はこの二柱神に二分されるところとなったのである。
 次の大戦はその三千年後に起こった。後に天人大戦と呼ばれることになる戦だ。
「地上人のある娘が二度目の大戦を引き起こす」という、理神タロスメノスの予言に端を発する。
 娘を葬り去る為に地上へと使わされたのは、黒天人族の王太子シャンセ・ローウェン・ヌッツィーリナだった。
 だが、シャンセには以前から天帝に対する不信感があった。それ故に与えられた任務にも疑問を抱いて、神命に背き彼女を守護した。天界からの追手も追い払った。
 この件について、任命した天帝よりも怒り狂ったのは、シャンセの戦友であり婚約者でもあった白天人族の第一王女アイシア・カンディアーナだった。そもそもシャンセの罪は懲役刑相当だったが、アイシアは〈禁術〉研究に手を染めたという大罪を捏造して、シャンセ討伐を口実に天軍まで動かした。
 そして、天帝は冤罪とは気付きながらも、予てから彼にとって不都合な存在であったシャンセを排除したい思惑があり、アイシアの言い分を認めたのである。
 かくしてシャンセは永獄送りとなったが、事態はそれだけでは収まらなかった。片や数々の戦功により光神が手ずから編んだという「光の花冠」と、「救世王女」という称号を天帝から賜った白天人族の英雄、片や〈祭具〉を始めとする後の世界の在り様を大きく変えてしまう道具や〈術〉を数多発明し、黒天人族の至宝と謳われた大賢者だ。それぞれ白天人族と黒天人族を象徴する二人が引き起こしたこの事件は、天人族創造初期から存在していた両種族の溝を更に広げる結果となった。
 こうして天人族同士の都合で始まった諍いは、やがて神族や他の種族を巻き込んでの大戦争へと発展し、「地上人のある娘が二度目の大戦を引き起こす」という理神の予言は、結局のところ成就されてしまったのである。
 終戦を迎えたのはそれから千年後、ある神の関与が明らかとなってからだった。
「その神こそが渾神ヴァルガヴェリーテだよ。渾神は神戦においては光神と闇神の不和を招いた。光神を狂気に陥れ、闇神の不信感を煽って仲違いするように仕向けたんだ。魔族の内乱を扇動したのも彼女だ。渾神はこの時一度アイシアの手で〈封印〉されたけど、暫くして永獄から脱走。二度目の大戦を引き起こす。アイシアへの復讐も兼ねてね。私の天帝への敵愾心を知って、地上人殺害の任務が回って来るように天宮を操った。私が神命に背いた後、渾神はアイシアに囁いたのだろうよ。『自分がシャンセを唆した』とね。だからこそ、アイシアは一層憤慨したんだと思うよ。渾神の思惑通りにね」
 シャンセは厳しい表情をした。それは苦悶と憎悪の顔だった。
 先日《元素》の説明を受けた際、シャンセが《渾》という《元素》や邪神に対して敵意を持っていないように見えた。また、恐らくはアミュを心配させない為に、シャンセは今迄渾神が悪しき神であることを匂わせる話は意図的にしなかったのだろう。今回もそうしようとした筈だ。
 だが、途中から出来なくなった。
「そんな人が、私の神様……」
「踊らされた方も馬鹿だったんだよ。それに、二つの大戦は世界に大きな変化を齎した。権力の座は《光》から《天》、《闇》から《幻》へと移り、そして今また世界は《天》から離れて行こうとしている。その先駆けとなったのが天人大戦だ。天人族が醜態を晒したお陰で天界の権威は貶められ、他の《顕現》世界が勢力を伸ばした。必要不可欠な通過儀礼だったのかもしれない。渾神は自らを変革の神と呼ぶ。ならば、彼女は神としての本能に従っただけなのだろう。でもね、分かってはいるんだけど……」
「……」
 感情を覆い隠すことを忘れる程、苦々しい過去だったのだろう。
 アミュは考えを改める。
 渾神はやはり文字通りの邪神だったのだ。
 そして、シャンセを気遣った。アミュはこの時、ほんの少しだけシャンセの本質に触れた気がした。


   ◇◇◇


「何だよ、こんな所に連れて来て。〈人形殻〉を纏えないから、余程のことがない限り街の外には出ないんじゃなかったのか?」
「黙りなさい。気付かれるでしょうが」
 マティアヌスは鱗に覆われた腹をぼりぼりと掻く。まだ、異形同士の争いで付いた傷が塞がったばかりの病み上がりだ。
 しかし、怪我はキロネの方が重症だった。身体に巻かれた包帯が痛々しい。
 にも関わらず、何故かキロネはマティアヌスを連れ、街の外の荒野にやって来た。
「本当は私一人で何とかしたかったんだけど、こんな身体だから助けが要るの。この私に認められた誉れに咽び泣くがいいわ」
「へーへー。で、何をするつもりなんだ」
 そう聞かれて、キロネは一瞬黙り込んだ。信用して仲間に引き入れて良いものか、本心ではまだ迷っていた。
 だが、思い切って口を開く。
「前にあんた、言ってたわよね。シャンセが渾侍の力で〈封印門〉を破壊し、それに便乗して脱出を目論んでも、脱出可能なのは一瞬だけ、『ごく少人数のみという好機』って」
「言ったか? そんなこと」
「言ったわよ。『一瞬』というのは、天界が〈封印門〉破壊に対処するまでの時間だとして、『ごく少人数』ってのは、どういう判断だったの?」
「そりゃあ、お前、〈封印門〉の――出口そのものの大きさの問題だよ」
 現在は何故か永獄送りが決まった罪人をそこへ放り込む為だけに使用されているようだが、そもそも〈封印門〉という〈術〉は二つの異なる空間に穴を開け、道を造って両者を繋げ、その後に穴や道が自然治癒によって元の状態へ戻るまで塞いでおくというものである。逆に言えば、〈封印門〉が消えたということは二つの空間を繋ぐ道も消えたということで、特に永獄のような閉鎖空間からの脱出は不可能となってしまう。次に〈封印門〉が使用される時までは。
「こればっかりは天才王子様にも如何しようもないらしいな。俺達の希望はあの小さな穴の大きさしかないのさ。そして、その内二人分は既に埋まってる。王子様と渾侍でな」
「でも、その二人分が空くとしたら?」
「何だと?」
「ううん、やっぱり渾侍の分は無理ね。でも、シャンセの分は確実だわ。要は私達がシャンセの代わりを務めればいいのよ。彼から渾侍を奪ってね。エダスに〈祭具〉で覗いてもらったら、シャンセの奴、悠長にも家庭教師まがいのことをやってるそうじゃない」
 呆れたようにマティアヌスが言った。
「不可能だ。この間、見なかったのか? あの嬢ちゃん、俺達の姿を見て怯え切っていただろう。多分前回の苦い経験を踏まえて、相当警戒しているんじゃないかな。今度は視界に入った時点で、渾侍の力を全て出し切って逃走されるだろうな。否、今度は反撃してくるかも」
「そうね。でも、シャンセは受け入れられた。私達が醜く、彼が美しいから。だったら、話は早いわ。〈人形殻〉を被ればいいのよ。そうして、渾侍を星の館から連れ出すの」
「だーかーらーっ、街の外で〈人形殻〉は被れないんだって! 毒素に汚染されて溶けちまうだろうが。使い物にならないだろうがよ」
「溶けない〈人形殻〉なら?」
「何?」
「しっ、来るわよ。隠れて」
 二人は側の岩陰に隠れ息を潜める。
 少しして、前方に荷馬車のような形状の〈祭具〉が現れた。操っているのはやはり人型をした〈祭具〉だ。よく見れば、馬も〈祭具〉だった。
 一目で誰の作品か分かってしまった。囚人街の職人達の〈祭具〉とも、〈術〉とも全く違う。そんな物とは比較にならない程の高度な技術力だ。
「うはあっ、天界の技術もここに極まったな」
「黙りなさい。殴るわよ」
 荷馬車型〈祭具〉が目前の丘を背にして止まると、今度は人型〈祭具〉が御者席から降りてきた。そして、荷馬車型〈祭具〉の後ろに回り込み、荷を丘に捨て始める。
「なんだありゃ」
 全ての荷を捨て終わると、人型〈祭具〉は再び荷馬車型〈祭具〉に乗り込み、元来た道を帰っていった。
 辺りがしんと静まり返ったところで、漸く異形二人は岩陰から顔を出した。
 マティアヌスは思わず頬を掻いた。
「……ええっと、王子様はこんな所で何をやっていらっしゃるのかな?」
 全くの謎だった。頭の中で疑問符が踊っている。
 だが、キロネは確信めいて哄笑した。狂喜を抑えることができない。
「マティアヌス」
 嬉々として指を刺す。
「溶けない〈人形殻〉の素材が、ここにあるわよ」
 はっとして、マティアヌスは辺りを見回す。
 漸く、悟った。
 ここは星の館の――天界最高の〈祭具〉職人シャンセ・ローウェン・ヌッツィーリナの廃棄物処理場だったのだ。



2023.09.09 誤字、一部文言を修正

2021.10.02 サブタイトル変更

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