汚怪々(うけけ)


 参



 社木の要望で解散場所は蛇城屋敷の前となった。伊佐弥からは神社や社木の住まいで別れる話も出たが、真犯人が未だ見付かっていないことを考えると、事件の関係者である伊佐弥を一人にしておくのは危険と社木は判断したのだ。屋敷の中に入ってしまえば、常に複数の使用人が行き来している。仮に彼等の中の一人が真犯人であったとしても、他の使用人を警戒して軽々しく手出しはして来ない筈だ。
 神社へ行き着くまでは散々迂回させられる羽目になったが、帰路は目的地まで直行だ。それでも、蛇城屋敷に到着した頃には辺りは真っ暗になっていた。夜行性の妖怪が活発に動き回っている時間帯である。
「うけけ、んじゃあまたね。報告をお楽しみにい」
「はい。今日は有難うございました」
 二人が別れの挨拶を交わしていると――。
「伊佐弥さん!」
 視界の外から若い娘の声が響いた。伊佐弥が声のした方へ振り向くと、そこには知人の姿があった。
「お駒さん」
「今日はどちらへ行かれていたんですか? 朝方からお屋敷にはいらっしゃらなかったようですが。お家が大変な時にふらふらと外を出歩いていてはいけませんよ。どんな風に噂されるか分かったものではありません」
 お駒という娘は口を尖らせて伊佐弥を窘めた。外見は伊佐弥と同年代に見えるが、口振りは年上のものだ。人外の存在である彼女は、見た目通りの年齢ではなかった。
「遊んでいた訳ではありません。ちょっと、用事があって外出していたのです。今、蛇城の子は屋敷に一人だけなものですから」
「それは、そうなんでしょうけど……」
「坊ちゃん、そちらは?」
 話の途中で社木が口を挟んでくる。一時とは言え彼の存在を忘れていた伊佐弥は、知り合ったばかりの他人を放置してしまったことに慌てた。
「お駒さんです。向かいの家のお嬢さんで――」
 説明しながら振り向いて思わず固まる。社木の様子が先程までとは全く違っていたからだ。まず、服装は洋装に外套を羽織った姿で、頭には同じく洋風の帽子を被っている。肩まで伸びていた髪はやや短くなっており、且つ綺麗に整えられている。表情も幾分か真面目な風に見えた。彼は妖怪であるそうだから、変化の術で形態を変えただけなのだろうが、それを行った理由は何なのか。
 伊佐弥が驚きの余り喋れないでいると、社木は理知的な微笑みを浮かべて「向かいの……」と呟き、通りの向こう側にある家を見た。小さく築年数の高そうな木造住居である。似た様子の建物は他にもあったが、それらと共に富裕層の屋敷が立ち並ぶこの一角では若干浮いていた。少なくとも蛇城家と付き合いのある様な家には見えなかった。
「家の付き合いではなく、個人的な知り合いなんです」
 社木の疑念を察して伊佐弥は説明を加える。すると、社木は畏まった声音で揶揄った。
「おやおや、良い仲でいらっしゃる」
「まさか! 彼女に失礼ですよ。他所の街で一緒に暮らしていた母が死んで私が蛇城の家に引き取られた際に、三和のことを色々と教えてくれたり、住人達との間を取り持ってくれたりしたんです。恩人ですよ」
「えっと、この方は?」
 今度はお駒が会話から弾き出される形となってしまい、困惑した表情で聞いてきた。すると、伊佐弥が返事をする前に社木が口を開いた。
「私は探偵業を営んでいる者です。今日はお屋敷の外でお仕事の打ち合わせをさせて頂いたのですよ」
(普通の喋り方も出来たのか!)
 何故普段からそうしないのか、と伊佐弥は胸の内で文句を言った。何やら社木が彼に対する扱いを意図的に悪くしている様に感じる。
 一方で社木の話を聞いたお駒は暗い顔になった。
「『探偵』?」
「姉の件でちょっと調べ物をね」
 役所の裁定に異議を唱える行為なので本当は部外者には話したくはないのだが、伊佐弥は素直に真実を打ち明けることにした。教えても問題ないと思えるくらいにはお駒とは親しい間柄で、信頼に足る相手であると彼は信じていたのだ。
 話を聞いたお駒は深刻な表情のままだった。
「それは……榊子お嬢様のことは残念ですけど、今は慎んで下さい。お役所の方々は伊佐弥さんのことも共犯者だって疑ってるんですよ。内にだって伊佐弥さんのことを聞きに来られましたし」
「確かに。今も隠れて此方を見張っている様ですしな」
 そう言って、社木は斜め後ろをちらりと見た。伊佐弥も短く驚きの声を漏らして社木の視線を追う。すると、蛇城家とは別の屋敷の外壁に隠れる様に不審な動きをした二つの影が見えた。
(気付かなかった! 一体、何時から?)
 お駒も不審者の存在に気付いた様で、伊佐弥に非難の視線を送った。
「伊佐弥さん!」
「いや、だとしても――」
 もし本当に伊佐弥が役人達に監視されているのだとしたら、怪しまれる様な行動は避けるべきだ。榊子の立場が更に悪くなるだけでなく、彼自身も共犯者と決め付けられてしまうかもしれない。しかし手を拱いていては、榊子の有罪が確定してしまう可能性は高い。容疑者は他にも居るのに。
 調査を続行するか、中止するか。伊佐弥が決断出来ずにいると、社木の方からこの様に言ってきた。
「蛇城さん、一旦調査を中断します。そちらのお嬢さんの言う通り、今は時期が悪い様だ。恐らくは確信に近付くにつれて妨害も増えてくるでしょう。このまま仕事を継続しても唯の調査資金の浪費。意味はありません。それに手前勝手で申し訳ないが、私も過去には世間に顔向け出来ない様な仕事を幾つか請け負ったことがありましてね。お役所に目を付けられたくないのです。頂いた手付金は今日の分の報酬として頂きますが、宜しいですね?」
「どうしても駄目ですか? 報酬を上乗せしても?」
「はい」
 返答には迷いがなかった。社木の表情も真剣そのものだ。演技なのかもしれないが、少なくとも彼の言葉には説得力があった。
 伊佐弥は悩んだが、程なくして決断する。彼は天を仰ぎ、深々と溜息を吐いた。
「分かりました。手付金は受け取って頂いて結構です。今日は有難う御座いました」
「まあ、余り気を落とされませんように」
「それは難しいですね」
 伊佐弥は笑顔ではあったものの、その表情には苦々しさも混じっていた。項垂れる彼を覗き込んだお駒は、心配そうに彼の名を呟いて着物の袖を掴んだ。


  ◇◇◇


 日付が変わったばかりの深夜――。
「坊ちゃん、坊ちゃん」
 伊佐弥の枕元で呼び掛ける声があった。特徴的な聞き覚えのある調子だ。
「坊ちゃん、起きて」
 しかしながら、伊佐弥は呻くだけでなかなか目を覚まさない。意識は覚醒に近い所まで上って来ているのだが、未だ微睡みの中にいる。すると、焦れた声の主はこう脅してきた。
「うけけ。早く起きないとお、ぼでいに貼り付いてえ、精気を全部吸い上げてえ、干物にしちゃうぞっ」
「……!」
 伊佐弥は慌てて飛び起きた。冗談染みた言葉だったが、相手の気配には明確に殺意があった。彼は冷や汗を流しながら、ゆっくりと声の主の方へ顔を向けた。傍らに座っていたのは昨日出会ったばかりの呪い師、社木念地である。服装は数刻前に別れた時と同じ洋装に外套を羽織った姿のままであった。
「お早う、坊ちゃん。まだ、深夜だよう」
「社木先生、一体どうして?」
 呆気に取られている所為か、それとも寝起きだからか、意図せず伊佐弥の目が蛇のものになっている。社木はその目を興味深そうに頭を傾けて眺めながら語り出した。
「あの時はああいう対応をするしかなかったんだよう。お駒ちゃん? 妖怪でしょ、あの子。しかも、質の悪い奴」
「お駒さんの家は皆、犬の妖怪ですよ。本性も見せてもらったことがありますが、可愛らしい柴犬でした。性質が悪い様には見えませんでしたよ」
「うけっ、上手いこと化かされたって訳だねえ」
「どうしてそんな悪意のあることばかり……」
「君こそ好意的に見過ぎてるんじゃなあい? 知り合いを庇いたいって気持ちはあ、分からないではないんだけどねえ。例の神社に落ちていた獣の毛のこと、もう忘れちゃったのかな?」
 伊佐弥が眉を寄せると、社木はけたたましい笑声を上げた。
「うけけけけっ! あれは狐だよう。こんがり小麦色の古狐。見覚えがあるもん。あっちは吾輩のこと、覚えてないようだったけどねえ。更に言うなら、あの女狐に家族はいない。木の葉か何かをお得意の幻術で家族に見せてたんじゃないの? 因みに、お屋敷の家人であいつと面識のある妖怪は居る? 何ならお姉さんでも良いけど」
 伊佐弥は軽く唸り、僅かばかり考え込んでから口を開いた。
「分かりません。使用人達とは多少の遣り取りがあると思い込んでいましたが、面識がない可能性に気付いた上で思い返してみれば、確かに彼女と一緒に居た所を見た記憶はない気がします。話をする時もお裾分けを頂く時も何時も外で直接、という形でした」
 粗を探せば、昨日のお駒の発言についても違った見方が出来る。彼女は伊佐弥の不在を知っていたが、屋敷を訪ねたとは一言も言っていない。つまり、彼女は蛇城屋敷の使用人から伊佐弥の外出を聞いたのではなく、他から情報を得た可能性があるのだ。例えば出掛ける所を見ていたとか、伊佐弥を目撃した近隣住民から聞いたとか、その優れた嗅覚で屋敷内の臭いを嗅ぎ分けたとかである。そういった方法を取れば、蛇城屋敷の使用人と関りを持たずとも伊佐弥の動向を把握することが出来る訳だ。
「話題に上ったことは?」
「そちらも記憶が……。私から尋ねたこともあるのだとは思いますが、相手が何と答えたのかまでは直には思い出せなくて」
 頭が上手く回らない。友人に対する暴言に怒る気力さえ湧いて来ない。事前の連絡もなくこんな夜中に来ないでほしいと思った。伊佐弥は泣きそうな顔をして俯く。すると、何故か社木は真顔になって身を引いた。
「ふうん、相当毒されている様だねえ。奴は君をどうするつもりなのか。まあ、取り敢えずお駒とやらに会った時の吾輩の振る舞いの訳は、全て奴を警戒してのことだったのだ。うけけっ、ご免ねえ。調査は続行するから安心してちょ。って言うかあ、多分今晩で終わるけど」
「え?」
 伊佐弥は再び顔を上げる。社木の表情は何時もの歪んだ笑顔に戻っていた。
「うけけ、追い立てる様なことを敢えて言ってみたからねえ。命の保証はないけど、坊ちゃんも一緒に来る? 来てくれると、吾輩としては報告の手間が省けて助かるんだけどねえ。何か役人が彷徨いてるから、早いとこ報酬貰って撤収したいしい」
 だが、伊佐弥は即答する。
「はい、行きます。行かせて下さい」
 危険なのは社木も同じだ。半妖の彼に出来ることは限られているだろうが、だからと言って社木に全てを任せ切りにするのは余りに無責任ではないか。そう、伊佐弥は思ったのだ。彼をその様な状況に追い込んだのは、依頼主である伊佐弥自身なのだから。一瞬だけ社木を止めることも考えたが、榊子を助ける為の証拠は早急に手に入れたかった。故に、依頼は取り下げずに自身が同行するという選択をした。
「うけっ、命知らずだねえ。うけけけけけけっ!」
 称賛の言葉ではない。伊佐弥の覚悟を滑稽だと言わんばかりに社木は笑い転げた。



2024・03・31 一部文言を加筆修正
2024・03・12 誤字・一部文言を修正
2024・02・11 誤字を修正
2023・11・10 一部文言を修正

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