機械仕掛けの神の国

◆ 第一章 地神の箱庭 ◆


  16、神子行列



 一同が王宮に招かれたのは、それからおよそ三月後のことであった。
 神託勝負から随分と時間が経過しているが、その日程は王宮側と大神殿側とで幾度かの事前協議を行った後に、吉日を占って決められた。日取りを選ぶ儀式は――本来ならば神託所の担当だが、不祥事を起こして間もないこの部署がその役割を担うのは相応しくないと判断され――サンデルカ大神殿でも最高位にある大神官達が執り行った。
 彼等の様な立場の人間が出てきたことでもある程度推察できるだろうが、「神子の王宮登城」は今や聖都中を巻き込む一大行事へと発展してしまっていたのである。
「おお、あれが『暁神の化身』様か」
「『神子』様とお呼びするのだろう?」
「いや、『神子』とは大神殿の役職のことで……いや、それ以前に元々は『神の化身』を指す言葉ではなく――」
 絢爛豪華な「神子行列」の中心で、煌びやかな神輿に載せられ半ば見世物と化していたアミュの耳に観衆の声が届く。
「まだ幼子ではないか」
「しかし代々の神子様が聖都に上られる際は、更にお若い年齢でいらっしゃった筈だよ。実際、日神の神子様も――」
 老若男女、皆が神子達を見て、好き放題に語り合う。
「日神の神子様もいらっしゃる」
「カンブランタ教の狂信者共から聖都をお救い下さった――」
 そうして、一様に賛美する。
「一代の王の治世に、二人の神子様が光臨なさいますとは」
「陛下の御栄光の賜物よ」
「太陽王陛下、万歳!」
「太陽王陛下、万歳!!」
(ああ、何でこんなことに!)
 アミュは思わず赤面して顔を伏せ、彼女の従者として神輿の傍らに付き従っていたシャンセは笑いを堪え切れないという顔をした。
 一方、もう一人の神子は観衆の視線等何処吹く風という様子で、辺りをきょろきょろと見回し何かを探っている様子だった。
(シドガルド殿下、どちらにもいらっしゃらない)
 ふと、マーヤトリナの視界にブラシネの姿が映る。彼もまた「神子行列」の従者の一人として、神輿からは遠く離れた場所に配置されていた。
 マーヤトリナは首を横に振った。
(いいえ、未練は断ち切らねばならない。私は日神の神子なのだから、このような俗事に心を揺るがされていては駄目。誰よりも正しく強くあって、数多の人々を導かねばならない。私の愛は万民の為に――)
 そう思いつつも、年若い彼女の心はまだ迷っていた。
「マーヤトリナ様」
 アミュの声で、マーヤトリナははっと顔を上げる。何時の間にか王宮の大正門が目前に迫っていた。
「有難う御座いました。本当に、色々手を尽くして下さって」
 見た目の年齢に似合わず大人びた少女の表情に、暫く呆けていたマーヤトリナだったが。
「頑張ってね」
「はい」
 アミュの顔を見て、漸くマーヤトリナは自分の中にいた憑き物が綺麗に祓い清められていくのを感じた。
(お礼を言わなければならないのは私の方よ。貴女は私の世界を変えてくれた)
 今、この瞬間のことだけではない。自分が変わる切っ掛けを与えてくれたのはこの少女だった。
 アミュの身に降りかかった不幸を思えば、きっと感謝の言葉を述べても不愉快に思われるのだろうけれども。
 故に、マーヤトリナはアミュの為に胸の内で祈りを捧げた。


   ◇◇◇


 サンデルカ大神殿からゆっくりと時間をかけて王宮へと向かっていた「神子行列」は、目的地である王宮に到着した後、複数の組に分かれた。大神殿を出発する前にも大々的に式典を行ったが、王宮に入ってからもまだ多くの儀式を同時進行で熟さなければならないらしく、その為の班分けであった。
 古参の神子であるマーヤトリナにもアミュとは違った仕事が用意されており、ここからは別行動となる。
 そうしてアミュとその従者達は今、彼等に用意された控室にいた。
「別れは済ませてきたかい?」
「はい」
「ここから先に、彼女達は連れて行けないからね」
 神子としての職務の他に、彼等には真の目的がある。王宮に巣食う「神」の探索だ。
「凄い神気。咽そう……」
 アミュは辺りを見回してそう言った。神に捨てられた地である地上界においては、明らかに不自然な気配が蒸気の様に王宮全体から立ち上り、景色を歪めて見せている。
「貴女、分かるの?」
 神気や精気に対する感覚が鈍い地上人族とは違い、気配に敏感な精霊のキロネが驚いて聞いた。
「ここまで酷いと流石に。少し渾神様と似てますね」
「ああ、言われてみれば確かに。今迄、気付かなかったな」
「問題児同士、神気まで似たり寄ったりという訳ね」
「天界から見れば俺達も十分『問題児』なんだろうがな」
「天帝にだけは言われたくないわね」
 気心の知れた光精二人が自分達だけで雑談を始めたのを暫く眺めていたアミュは、ふと王宮の外壁の方が気になって振り向いた。
 それに気付いたシャンセは、彼女の視線を追いつつ尋ねる。
「どうしたんだい?」
「声が……」
 王宮の外側から微かに歓声や熱気の様な物が伝わってくる。
「そうだね」
「何だか怖いです。期待を押し付けられているみたいで。マーヤトリナ様はいつもこんな気分だったのでしょうか?」
「さあ、どうなのだろうね。ただ、彼女はとても強い娘だし、良い子だと思うよ」
「そうなんでしょうね」
 脳裏に描いたマーヤトリナの微笑み。そこに何故か不安気な表情を浮かべた渾神の顔が重なった。
「なら、神は? あの方々もひょっとしたら……」
「彼等は私達とは違うよ。神は人の為にあるのではない。人が神の為にあるんだ。少なくとも彼等にとってはね」
 眉を寄せ低い声音で突き放すように言い切ったシャンセは、ぱんっと手を一つ打ち、大神殿を出発する前から仕込んでいた〈術〉を解除した。
 その〈術〉の効果は「隠形」。〈術〉の解除によって視覚化されたのは、〈祭具〉と思わしき「鞄」であった。


   ◇◇◇


「いよいよ、大詰めね。ちゃんと見てる? オルデ――」
 地神の居城にて、アミュ達の様子を映像で観察していた渾神は、浮かれた様子で城の主に語り掛けた。否、語り掛けようとした途中で言葉を失った。
「オルデリヒド……」
 渾神がその名を呼ぶも、地神オルデリヒドの耳には届いていない。彼は一心不乱に別の画面を見ている。
 相も変わらず不愉快そうに胸の内で毒突きながら群衆に混じっているその地上人族の男を見ている。
 これ程の有事。きっと何か男に影響を及ぼすに違いないと、祈るように、呪うように、ただただ見詰めている。
 流石の渾神でも見てはいられなかった。彼女は災いを齎す神だが、決して情がない訳ではないのだ。
(どうして、そこまで病んでしまったのか。いいえ、原因ははっきりしているのだけれど)
 地神の心を捉えて離さない彼の神。
(そろそろ、彼も気付く頃かしら。私も気が抜けないわ)
 天帝は罪人であるアミュを今も追っている筈だ。地上界全体に地神が不可侵の結界〈神術〉を施したとはいえ、流石に高位神が二柱に「例の神」までも同じ場所に干渉すれば、天帝程の実力者ならばその気配を察知するだろう。当然、何かしら行動を起こしてくるに違いない。
 ――残された時間は少ない。
 しかし、渾神の計算ではまだもう暫く猶予はある筈だった。地神やもう一柱の神の問題を解決し、アミュとシャンセ達を結託させるのに、ぎりぎり間に合う程度の時間だ。
 何時になく険しい表情で、渾神は再度王宮内部を映した画面に視線を戻した。
「アミュ、頑張って」
 そう声援を送った時だった。
「――やっと、見つけたぞ」
 聞き覚えのある声だった。つい先ほど渾神が頭の中で思い浮かべたかもしれない。
(だから、化けて出たのか!)
 彼女は思わずそんな言葉を漏らしそうになった。
 実際には、これは偶発的な事故のようなものだ。地神との交渉の為に彼の居城を訪問した天帝が、たまたま渾神を見つけてしまったのだ。
 ただ、天帝は元来の地神との不仲さ故に、心の何処かで彼のことを疑ってもいた。結界〈神術〉の術者である地神に気付かれないよう穴を開け、事前申請もなしに彼の居城を訪れていたのは、地神に逃走やこちらへの攻撃準備の時間を与えない為である。
「……っ」
 地神は驚きと怒りの余り声が出ないようだった。
「ちょっと、やだ、嘘。こんな場面で?」
 わざとらしく動揺してみせる渾神を天帝が従者として連れてきた月神メーリリアと夜神ヌートレイナが囲む。
「お久しぶりね、ヴァルガヴェリーテ」
「ええ。……ああ、そうか。貴女には姿や気配を隠す〈神術〉があったわね、ヌートレイナ。夜闇の特性を持った……〈夜陰〉、だったかしら。だから、私も彼も気付けなかったのか」
「そういうことよ」
 一方、渾神と引き離される形になった地神は、天帝と対峙していた。
 直接会うのは一体何百年ぶりだろうか。否、或いは千年を超えるかもしれない。
「ポルトリテシモ……」
「オルデリヒド……」
 両者はそれぞれに複雑な思いを抱きながら相手の名前を呼び合った。



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