機械仕掛けの神の国

◆ 第一章 地神の箱庭 ◆


  02、呪い



 聖都サンデルカ――天帝ポルトリテシモを主神として祀る地上界最大の宗教都市国家である。
 市街中央には、地上界の優に六割を占めるという「天帝信仰」の総本山であるサンデルカ大神殿があり、年間数百万人にも及ぶ参拝者が訪れると言われている。また参拝者を目的とした商売も活況で、この街には多種多様な商人や職人達も遣ってくる為、交易都市としての様相も呈していた。
 このように、聖都の中心は間違いなくサンデルカ大神殿であった。しかしながら、現在この地を支配しているのは神官達ではなく市街北端に位置する王城――即ち王侯貴族達だった。過去には大神殿が政治を担っていた時代もあったのだそうだが、今は信仰よりも財力や軍事力等の現実性が尊ばれる時代なのだろう。だがそれを受け入れられない者は多く、王城派と大神殿派は時折小規模な衝突を繰り返していた。
 諍いを起こしているのは彼等だけではない。この地には反政府的で暴力的な組織も幾つか存在していた。
 こうした不穏な気配を孕んだ聖都に、とある二人の男女が連れ立ってやってきたのはつい数日前のことだった。
「やあ、随分と待たせてしまったね。正門関所の入都手続きは取り敢えず終わったよ。まだ、後日提出する書類は何枚かあるけどね。もう、中に入ることは出来るそうだ」
 そう言ったのは、関所内の建物から出てきた男だ。旅装ではあるが神官の装いで、その職に不釣合いな鍛え上げられた体付きをしている。彼は嘗て巡礼隊の長を務めたこともある神官だった。
「聖都に入るのは、これほど手間の掛かることだったのですね。前回もこんなだったかしら」
 そう返したのは、草臥れた頭巾付きの長衣で全身をすっぽりと覆った人物だ。声の様子と背丈から十代半ばの少女だと分かる。
「前回は恒例の成人巡礼だったからね。手続きを受け持つ部署や形式も通常とは違うし、煩雑な仕事は殆ど大神殿が受け持ってくれていたんだ。ただ今回は通常の入都手続きになってしまうから……」
「……」
 頭巾に隠れて表情は分からないが、少女の面立ちは暗い。
「大丈夫かい?」
 神官は少女を気遣う。
「問題ありません」
 少女は、まるで自分の心の領域に彼を入れることを拒絶するかのように淡々と、そう答えた。
 
 
   ◇◇◇
 
 
 神官――ブラシネが、その少女と再会したのは、今から数ヶ月前のことだった。
 職務で他国へ赴いた帰りに偶然立ち寄った村が、以前成人巡礼隊を取り仕切っていた村の一つだったのだ。
 一晩の宿を提供してくれた村長は歓待の宴の席上、頃合を見計らって少女の話を切り出してきた。否、実際にはブラシネの顔を見た瞬間からその話がしたくて仕方がなかったという顔をしていたが。
「ええ、ええ、巡礼から帰って暫くは我々も気付かなかったんでございますよ。初めておかしいなと思ったのは、村の女どもがあの子に飯の作り方を教えていた時ですわ。あの子が刃物で指を怪我しましてねえ。ほんの小さな、糸切れみたいな傷なんですがね、それが一瞬にして塞がったんだそうですよ。そんなことが何度かあって、最初の頃は『聖都に詣でた効果だ、奇跡だ』と村の連中も喜んでいたんですよ。ところがね、数年経ってそんな穏やかなものじゃないんじゃないかって、皆気付き始めたんです。いやあ、我々も神職の端くれではございますが、これは流石に手に負えません。聖都の神官である貴方様が来て下さって、本当に良かった」
 村の重役達は皆神職も兼ねている。村の祭祀を執り行うのも、有事の際に対応するのも彼等だ。ブラシネよりも遥かに長い年月その勤めに従事してきたであろう長老達が震える声で訴えてくる。
 思わず問い返さざるをえなかった。
「何が、あったのですか?」
「歳を取らなかったんでございますよ。同い年の子供達がすくすくと成長していく中、あの子だけは十三歳の姿のまま。悪い物に取り憑かれたか、或いは途中で入れ替わったかと御祓いなども一通り試してはみたのですがねえ。うんともすんともない。村の長老達が寄り合いを開いて、あの子を殺そうと決めたのですけれども、傷はすぐ治っちまうか傷付けられないかで、結局殺せない。仕方ないんで、村外れに小さな家を拵えて出て行ってもらったんですわ」
「ご両親は?」
「もう二人ともこの世にはおりませんわ。だが、元々この村は都会とは違い、子供は親でなく村全体で育てる風習があるんでございますよ。だから、あの子の処遇も村で決めてしまった訳ですが」
「食事はどうしているのです?」
「さあねえ、日常生活に必要なことは一通り身に付けている筈ですがね。それでも、食材を捕る所までは教えてませんからなあ。着る物や道具は捨ててある物を拾って直しているようですし、ひょっとしたら食い物についてもそうしているのかもしれません」
「何ということだ……」
 ブラシネは天を仰いだ。兎にも角にも少女の安否が気遣われる。
 村ぐるみで育ててきたと言うのであれば、皆それなりに思い入れもあってしかるべき所を今度は村ぐるみで迫害するとは、何と冷淡非情な村人達であろう。ましてや目の前の老人は曲がりなりにも慈悲深くあるべき神職でもあろうに、この様な非道な行いをさも当然のことのように語って――。
「面倒事とは百も承知ではございますが、以前あの子を聖都に連れて行って下さった貴方様が再びこの村を訪れたのも、きっと神様のお導きでありましょう。ここは一つあの子のことお願いできませんかねえ。このままあの子に村の近くに居座られては、村の者は誰一人安心して暮らすことが出来ません。……僅かではありますが、報酬の金子も村でご用意いたしました。どうかお収めを」
(彼女の異変は巡礼を監督していた私の責任と言いたいのか。否、事実そうなのかもしれないが……)
 よくよく思い出してみれば、その少女は八年前巡礼中に行方不明になった子供だ。失踪した子供が発見されることは珍しい為、印象に残っていた。
(いいや、私の所為だ。あの時私も、失踪なぞ良くあることと彼女を見捨てようとしたのだ。その結果がこの様な事態を招くとは思いも寄らず。……そんな私が目の前の彼等のことを責められようか。)
「金子は結構です。神官の規律に反します。ですが、彼女は私が一時引き取りましょう。聖都へ連れて行き、原因を解明し解決した後には、無事に村へとお返しします」
「はあ……」
 村の重鎮達の顔には予測通り「返してくれない方が良い」と書いてあるように見えたが、敢て指摘はしなかった。恐らく、注意しても無駄だろう。
 ともあれ、こうしてブラシネは再び少女を連れて聖都へと旅立つことになったのである。
 
 
   ◇◇◇
 
 
 久方振りの大都市に少女――アミュは圧倒される。
 空気の密度が濃い。人も建物も、今迄暮らしていた場所とは全く違うことに今更ながら気が付いた。
「聖都、ここが……」
 前回訪れた時は、色々な出来事が起こった後で周囲に気を回す余裕がなかった。今その余裕があるということは、心境的には余り追い詰められてはいないということなのだろうか。そう、冷静に自己分析してアミュは苦笑する。
(心だけは八年分大人になったからなのかな? それとも、原因がはっきりしているからか)
 八年前、巡礼中に天界へと誘い込まれたアミュは一度死に、地上人としての肉体を失った。代わりに用意されたのが神の副官たる「侍神」としての肉体だ。アミュの身に掛かった「不変の呪い」も、恐らくはこの新しい肉体が原因だろう。
「君の身体は必ず大神殿の神官達が治してくれる。元の生活に戻れるんだ!」
 前を歩くブラシネが、振り返って声を掛けた。ブラシネの表情に迷いは見られない。彼は「彼の神」を信じているのだろう。正確には「彼の心の中にだけいる幻想の神」を。
「それは――」
 思わず本心を言い掛けて、慌てて口を噤む。
(それは不可能だと思います。だって、ここからは何も感じない)
 嘗て訪れた時と変わらず、この地には神の存在する気配がない。天界のように世界全体から匂い立つような神気は感じない。つまり、彼等の旅路は徒労に終わるということだ。
 神が掛けた呪いを果たして神以外の者に解くことが出来ようか。まして、無力な地上人になど――。
(――いや、違う!)
 そこで、はたと気付いてアミュは顔を上げた。
(性質が違うだけ。これは神気だ!)
 微かにだが、明らかに地上人の気配ではない力の流れを感じる。聖都の地面に長年掛けて水のように染み渡ってきたかのような朽ちた神気だ。
「……ブラシネ様。サンデルカ大神殿は確か天帝様をお祀りしているのでしたよね」
「主神はね。他にも天帝の忠臣たる沢山の神々をお祀りしているよ」
(――しまった……っ!)
 アミュの守護神たる渾神ヴァルガヴェリーテは天帝に目の敵にされていた。同様に、彼女に守護されているアミュも天帝に憎まれ、一時期投獄されていた。きっと今も、脱獄したアミュの行方を捜している。
(天界で「地上界は他種族に見捨てられた」と聞いていたから、油断し切っていた!)
 どうやら、見捨てられたのは「地上人」であって「地上界」ではないようだ。
「さあ、宿舎に急ごう。もうすぐ日が暮れる」
「あ、ちょっと!」
 逃げ腰のアミュの腕を力強く引いて、ブラシネは聖都の中心部を目指した。少女の胸の内も知らずに。



2016.04.29 誤字を修正

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