座敷童子と貧乏神


 後編



 その日の早朝、自宅の庭で掃き掃除をしていた座敷童子は、遠くの方に現れた省吾の姿を見止めて「げっ」と声を漏らした。
「座敷童子さん、座敷童子さ~ん!」
「来おったよ……」
 相手も彼に気付き、両腕を大きく振って駆け寄って来る。屋内に逃げて居留守を使う間もなかった。座敷童子はがっくりと肩を落とした。
「うわあん、助けて下さあい!」
 間を置かず座敷童子の側までやって来た省吾は、何時ぞやの様に彼の小さな身体に飛び付いた。


「駄目じゃったか……。余程お前の家が気に入ったんじゃのう」
 しがみ付いたまま離れない省吾から事情を聞いた座敷童子は、深々と溜息を吐いた。どうやら、彼の貧乏神はまた省吾の家に戻って来たらしい。しかも、川辺の小屋に用意した味噌と七輪を持ち帰って。この上等な味噌をもっと快適な環境で賞味したい、と食事の途中に思い至ったのであろう。
 所詮は他人事と思っている座敷童子の、ややのんびりとした態度を見て、省吾は肩を怒らせた。
「そんな呑気なこと言ってないで、何とかして下さい!」
「そうは言ってものう。今更じゃが、あれとは会話したか?」
「してないですよ! 喋らない所か、こっちを見ようともしないんです」
 省吾は目を潤ませて俯いた。一方の座敷童子は腕を組んで考え込む。
「耳や口が効かんのか、それとも単に無視しておるだけなのか……。何れにしても、もう役所に申し出るしかないな」
「だからそれは駄目なんですって!」
「『駄目』? どうして?」
 途端、座敷童子の眼光が鋭く冷たいものへと変わった。省吾は自分の失言に気付き、視線を泳がせる。辛うじて言い訳を発するが、言葉に詰まっている様子であった。
「それは、門前払いされる、から……」
「なら、儂も行こう。これでも顔が利くからな。話を通し易い筈じゃ」
「いや、それは……」
「行きたくない、のじゃろう?」
 冷や汗を流して俯く省吾に二の句を継がせぬよう、座敷童子は畳み掛けた。
「お前、科人じゃな。しかも未解決の事件の」
 最初に省吾が「役所に門前払いされた」と言った時、座敷童子は僅かではあったが違和感を覚えていた。果たしてその様なことが起こり得るのか、と。少なくとも彼の許へ来た時の省吾の言動は冷やかしと誤解される様なものではなかったし、事件の詳細を聞けば確実に役所が対応するべき内容であった。だが、当時は何となく「そんなものか」と受け流してしまった。
 その疑念が先程の省吾の失言によって再び蘇った。「無理」でも「不可能」でもなく「駄目」。言葉選びがなっていない省吾のことだ。深い意味はなかったのかもしれないが、逆にそうではない恐れもある。だから、座敷童子は探りを入れてみたのだ。結果、省吾は簡単に襤褸を出した。
 とは言え、そもそも辻の世界の治安は決して良いとは言えない。明文化された法は簡易な物しかなく、更には地域によって大きく異なる。一応事件の通報義務は存在するが、順守していない者も多い。下手をすれば、殺傷事件すら見逃される有様である。故に、座敷童子も省吾を役所へ通報しないという判断は出来たし、省吾の方も座敷童子さえ上手く誤魔化せば捕まらずに済むと高を括っていた。よって、省吾は座敷童子の言葉にこう返した。
「と、兎に角何とかして下さいよ。座敷童子さんはそういう妖怪でしょ。役目でしょ!」
「『役目』?」
 相変わらず淡々とした口調で応じる座敷童子に対し、省吾は叫ぶように答える。
「人に富を与えることが!」
 座敷童子は表情を変えないまま黙り込んだ。省吾はそれを見て、言い負かしてやったとでも思ったのだろうか。引き攣った笑顔を浮かべて追い打ちを掛けた。
「そうだ、やっぱり俺の家に来て下さい。そうすれば貧乏神は仲の悪い貴方様を嫌って出て行く筈だし、俺も大金持ちになれるし、一石二鳥じゃないですか!」
「お前は本当に厚かましい男じゃのう」
 返ってきた声に変化はなかった。動揺も見られない。省吾は相手の考えを測りかねて、口を軽く開けたまま静止する。その隙に座敷童子は自らの襟元に手を差し入れて、折り畳まれた一枚の紙を引き出した。次に、それを広げて皺を取る様に指で繰り返し伸ばした。
「念の為、十烏にこれを手配してもろうておいて正解じゃったわ」
「え?」
 突如、省吾の内に妖怪への本能的な恐怖心が湧いてくる。彼の腕が無意識に座敷童子の身体から離れた。拘束を解かれた座敷童子は、妖怪らしい険のある笑顔を作り、しゃがんだ。
「最後にこれだけは言っておく。一般的な座敷童子の特性とは、厳密には『人に富を与えること』ことではない。『住み着いた家を幸福にすること』じゃ。気に入った相手にのみ効果を発揮するということじゃな。逆説的に座敷童子の特性とは、『己が気に入らない者に対して福を与える能力を行使しない』ということでもある。儂はお前のことは好かぬ。故に――」
 座敷童子は手に持っていた紙に妖力を流し込んだ後、省吾の額にそれを当てる。
「儂のことは忘れて、死ぬまで貧乏神と同棲しておれ」
 次の瞬間、省吾は意識を失い倒れた。座敷童子は立ち上がり、もやもやとした感情を持ったまま省吾を見下ろす。彼は徒労感に襲われたが、面倒事が今度こそ完全に片付いたことを確信して胸を撫で下ろした。
 彼が十烏に用意させた呪符を用いて行ったのは、人間の記憶の一部を奪う術であった。これで省吾は彼に関する全ての記憶を失った筈である。もう二度と大騒ぎしながらここへ戻って来ることはないのだ。
 座敷童子の胸中に淡い寂寥感が芽吹いた時、背後から声がした。
「あーあ、旦那の読み通りになっちゃいましたね」
「十烏、見ておったのか」
 敷地の外に立っていた十烏は、顧客向けのにこやかな顔を浮かべて座敷童子の側まで遣って来た。
「今日は店番を他の者に任せて、私は休みを貰っておりましてね。用事で麻川まで来ていたんですけど、たまたま彼が旦那の屋敷の方へ走って行くのを見てしまって。今回の件は私も少しばかり協力させて頂いたでしょう? だから、気になって追いかけて来ちゃいました」
「まあ、成るべくして、じゃのう。ついでじゃ。地図と賃金を渡すから、こ奴を住まいまで連れて帰ってくれ。休日中に済まないが」
「構いませんよ。旦那には何時もお世話になってますからね」
 意外にも十烏は嫌味一つ言わずに仕事を引き受けてくれた。座敷童子は素直に感謝の言葉を述べる。
 その後、座敷童子は屋敷と庭を往復し、持って来た地図と金銭を十烏へ渡す。そして、十烏が地図を確認する傍らで、彼は思いっ切り背伸びをした。
「ああ、やっと解放された……」
 すると、十烏は苦笑して呟いた。
「そうですかねえ」
「うん?」
「いえ、こっちの話です。気にしないで下さい」
 十烏は地図を仕舞い、省吾の身体を片腕で軽々と抱え上げる。それから座敷童子に別れの挨拶をして、足早に屋敷を去って行った。


   ◇◇◇


 現世と常世の狭間にあって、人間と妖怪と神が肩を並べて暮らす場所「辻の世界」。多種多様な存在が共生するが故に数多くの問題が発生するこの世界で、今日も不可思議な事件が起こる。
 場所は麻川の街、時間は夕暮れ。吹けば飛びそうな襤褸長屋の中で一人の若い人間の男が汁物の入った椀をぼんやりと眺めていた。
「はあ、今日も雑草汁か。侘しいなあ。はあ……」
 この男、仕事先で度々粗相を働いて一月程前に解雇されている。そもそも薄給な上に仕事道具等に掛かる経費は全て自分持ちという職場で、前述の事情を口実に退職月分の給与は支払わないと言い渡された為、彼は今、大層金に困っていた。けれども、更に困ったことに次の仕事が中々決まらない。日々焦りを募らせる彼は、僅かな手持ちを出来るだけ減らさぬよう、まずは食費以外の生活費を切り詰め、やがては食費までも抑えるに至ったのである。
 男は本日何度目かの溜息を吐く。すると、彼の耳にぱらぱらという音が届いた。朦朧としていた意識を覚醒させて椀を見ると、汁の上に塵が幾つも浮いている。
「うげっ、ああ!」
 男の目から思わず涙が零れた。しかし、だからと言ってこの汁を捨てる訳にはいかない。道端の食べられそうな雑草を水に浸しただけの物ではあるが、次は何時手に入るか分からない貴重な食料である。彼は意を決して雑草汁を一息に飲み干した。
 完食した所で、再びぱらぱらという音がする。今度は建物が軋む音も重なって聞えた。彼は椀を握ったまま暫く固まっていたが、やがて恐る恐る顔を上げた。
「何だ、この音? まさか、家が崩れ掛けているんじゃないだろうな」
 椀を床に置いて自身の左右と正面を見回し、視線を背後へと向けた所で――。
「うわああああっ!」
 男は悲鳴を上げて後退った。夜闇に沈みかけた部屋の隅には、彼の物よりも更に襤褸切れと化した着物を纏った老人が、顔を真正面に向けたまま鎮座していた。


   ◇◇◇


 翌日、同じ麻川の某所にて――。
「助けて下さい!」
「帰れ‼」
 若い男と子供の言い争う声が響いた。



2024・04・21 一部文言を修正

2024.04.21 一部文言を修正

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