聖女の涙


 09



 それから約半月後、聖法庁内にある会議室の一つで或る会合が行われた。参加者は十数名。全員が高位の法士である。
 内一人はヴィンリンスであった。他の者が全員椅子に座っている中で、彼だけが起立し報告書を読み上げている。そして、発言の最後を彼はこう締め括った。
「以上が『聖女の涙』事件に関する魔術師エリスの行動報告です。如何ですか、彼女は? 個人的な意見を言わせて貰えば、私はこの計画には不向きな人材だと思うのですがね」
 視線を向けられたこの会合の議長は「ふむ」と唸ると、離れた席に座っているクロエを見た。
「クロエ副局長はどうだね。君は彼女をどう思う?」
 話を振られたクロエは即答する。
「私もヴィンリンス研究官と同意見です。彼女はこの計画に使うにはあらゆる面で強欲すぎる。調査員としては、優秀だとは思いますが」
「ほう」
 質問に対する答えよりもクロエが最後に漏らした言葉に、議長は興味を持った様子だった。ヴィンリンスは慌てて口を挟んだ。
「いや、調査員としてもどうでしょうね。上の言うことに素直に従わず、その意図を疑い、常に裏をかこうとする。扱いが難しいですよ」
 すると、クロエはぎろりとヴィンリンスを睨み付ける。図らずも敵意を向けられたヴィンリンスは、引き攣った笑顔を浮かべた。聡明に見えても、やはりクロエはまだ子供だ。ヴィンリンスが何故エリスを否定するようなことを言っているのか、理解出来なかったらしい。否、理解は出来ても情があるが故に受け入れ難いといった所か。何れにしても困ったものである。
「だが、彼女は法術徒に寛容な魔術師だ。非常に希少な、ね。そして、若く美しい。大衆には非常に分かり易い偶像と成り得るのだよ」
 ヴィンリンスの主張に対しそう返したのは、クロエではなく広報局の長であった。議題となっている計画の立案者の上長でもある。
「『守銭奴』が、ですか?」
「僅かな金銭で『聖女』が買えるならば、安いものじゃないか」
 広報局長は否定的な意見を述べる司法省の高官に対し、嘲るような上擦った声で返した。彼もまた資料でしか知らないエリスに興味を持ったようである。彼女と懇意にしているヴィンリンスやクロエにとっては望ましくない事態だ。
「異教徒教化計画」――それが、現在広報局が主体となって秘密裏に進行させている計画の名称であった。文字通り、彼等にとっては異教徒に当たる魔術に基づいた教えを信じる人々を法術徒に変えていこうというものであるが、音頭を取っているのが広報局なので、そこが終着点とはならない。最終的には、改心させた者の中から数名を「聖人」認定して広告塔に祭り上げ、魔術側世界に対しても大掛かりに喧伝していくという戦略である。
 その計画の実験段階の被験者として選ばれた者の内の一人がエリスだった。聖法庁の法士達が少なくない頻度で彼女に依頼を持ち込んでいるのは、任務遂行中の彼女の行動をつぶさに観察することで魔術師の行動や思考を分析し、計画をより完全なものに修正していく為であった。勿論、最後には彼女も法術側に取り込む予定だ。
(気付いてないんだろうなあ、エリス……)
 後ろ暗い仕事を多く熟して謀に慣れた風であるが、ヴィンリンスから見ればエリスはまだまだ世間知らずの小娘だ。彼女よりも年齢的にはずっと幼いクロエの方が、駆け引きではやや上手かもしれない。彼等が陰ながらに庇ってやらなければ、エリスは今頃どうなっていたことか。
 議長がヴィンリンスに着席を促し彼が従うと、会合の参加者は思い思いに喋り始めた。
「少なくとも口は堅いようだな」
「保身の為でしょう」
「そういった輩の方が、返って扱いやすいというもの」
「異端審問所――いや、教理保護局は何と?」
 参加者の一人が空席を見てそう尋ねた。他の者は困ったように顔を見合わせる。だが、やがて質問者の向かい側に座っていた法士が彼の問いに答えた。
「あちらからは何も」
「そもそもこの計画が議題に上った当初から、是とも非とも言っておりませんからな」
「あちらの存続意義を問うことにもなりかねない計画でしょうに」
「今回の会議にも不参加のようですしね」
「一体、何を企んでいるのやら」
 声を潜めて各々の考えを語る。皆、不審物を見る様に空席へ視線を送った。
「不快とは思っているのでしょうが、否とは申せますまい。聖典の中にも魔術側から法術側に寝返った者が『聖人』とされた例は幾つも記録されているのですからな」
「『改心した』です。問題発言ですぞ」
「はは、失礼」
 切りの良い所で議長は時刻を確認し、ヴィンリンスとクロエを交互に見た。
「まあ、『魔女エリス』については現在のところ大きな問題も生じていないようですから、このまま観察を続けていくことにしましょう。クロエ副局長、ヴィンリンス研究官、引き続きお願いしますよ」
「はい」
(すまない、エリス)
「承知致しました」
(私達も勤め人だから……)
 同意の返答をしながら、彼等は心の中でエリスに詫びた。
 解散の合図と共に人々は一斉に立ち上がる。その内の数名が自発的に窓の方へ向かって行き、遮光効果のある窓掛を横に引いた。窓掛の下からは華美な装飾の施された窓が現れ、薄暗い会議室に陽の光が注ぎ込まれた。眩い光に目が眩み、人々は一瞬だけ動きを止める。しかしながら、やがて目が慣れてくると彼等の顔に笑みが浮かんだ。昼の明るさが、暗がりから抜け出した安心感を与えたのだろう。
 ヴィンリンスは、ふと手に持った紙の束を見た。報告資料の一番上には写真が留められている。写真の中にはエリスの姿があった。何時、どういった経緯で撮影された物かは分からないが、彼女は正面を向いていた。証明写真として幾つか撮った内の一枚が、法術側に流れて来たのかもしれない。
 会合の最中に見た彼女は、笑ってこそいなかったが穏やかな表情を浮かべていた。その美貌が、今は強い光を照り返して見えなくなってしまっていた。



2023.05.27 旧05を分割し一部を新09へ移動、全体の文言修正

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