暴食公



 嘗てこの世界では人間と魔族が戦争をしていた。魔族達は魔王の指揮の下に人間の領土へ侵攻しては押し返され、人間達もまた神託により魔王を倒す役割を与えられた「勇者」を先頭に立たせ、魔族の領土へと攻め入った後に撤退といったことを繰り返していた。戦力は拮抗し、戦は永遠に続く様に思われたが、ある時人間側から裏切者が出て彼等の王城は攻め落とされてしまう。人間王は殺され、勇者は虜囚となり、領土は蹂躙された。
 しかしながら、人間王の長子であった王太子だけは臣下達に守られて難を逃れた。辺境に身を隠した亡国の元王太子は、再起を図って密かに兵を集め始める。魔族を滅ぼす為、そして新たな国造りの象徴として彼は再び勇者を求めた。否、彼の言を借りれば「真の勇者」と言うべきか。以前に勇者を名乗っていた者は敗北し、人類を守れなかったのだから。
 そうして集められた者達は、例外なく貴族階級の人間であった。神託によって前任の勇者が選ばれる前に各地の有力者達が候補として推薦してきた者達だ。身分だけの無才の者もいれば武勇で名を馳せた者もいる。中には前任の勇者と肩を並べて戦った者もおり、元王太子が彼を悪し様に言うのを見て眉を顰めていたが、人類救済の為に一致団結しなければならないことは皆理解していたので口を噤んで従っていた。
 そんなある日のことだ。偵察に出していた兵士が奇妙な情報を持ち帰った。既に滅ぼされ廃墟と化した街に魔族の軍が向かっているというのである。規模は然程大きくはないが、率いているのは人間側にも名の知れた将だ。性別不明の彼、或いは彼女は「暴食公」と呼ばれていた。
「目的地は確か君の実家の元領地だったな」
 古びた地図を見下ろしながら元王太子が勇者候補者の内の一人にそう尋ねると、相手は深刻な面持ちで肯定の言葉を返し地図上の地名を凝視した。
「あそこにはもう何もない筈だ。であれば、目的は君かもしれないな。勇者候補である君を誘き寄せる為の罠。此方の動きが知られたか」
「やはり魔族は頭が悪い。既に廃墟となった場所に何の価値があると思っているのやら」
 別の勇者候補者が嘲笑混じりに吐き捨てる。元領主の子息は思わず拳を握り締めた。同じ領地持ちであっても、相手は自分よりも遥かに実戦経験を積んだ熟練の戦士だ。心構えが違うのだろう。そして、現在の状況では相手の気の持ち様の方が正しいことを彼も頭では理解していた。だから、言い返すことはしなかった。
「過去の勇者候補者の名簿が、敵方に流出したということで御座いましょうか?」
 高齢の近臣が僅かに身体を震わせながら呟く。誰に言うでもなく発せられた言葉に返答したのは元王太子であった。
「恐らくな。そもそも内通者の為に我々は城を失ったのだ。そうなっても何ら不思議ではない。今も生きているのかは知らないが」
 彼は苦虫を噛み潰した様な顔をして、元領主子息の青年の様子を窺った。青年は考え事に夢中で彼の視線には気付いていない。明らかに冷静さを失っていた。
 元王太子は溜息を吐き、釘を刺す。
「再度警告するが、これは罠だ。帰省は認められない。故郷を憂う気持ちは理解出来るが、君は我々にとって貴重な戦力だ。人類の未来の為に今は堪えてくれ」
「承知致しております」
 同意を示しながらも、青年は元王太子の方を見ようとはしなかった。平時であったなら無礼者と叱咤する所であるが、城を捨ててからはこういう状況は度々あったので、彼もすっかり慣れてしまっていた。故に「ならば良い」と言うに止めた。
 けれどもその夜、青年は反抗軍の陣営から人知れず姿を消していた。


   ◇◇◇


 時折馬を休ませながら、十日掛けて青年は故郷の地へ戻って来た。この地の空気を吸うのは何年振りであろうか。勇者候補者として都に上り、無名の剣士にその栄誉が与えられた後も、何か自分にも出来ることはある筈だと戦場にしがみ付いた結果がこれだ。何時の間にやら都も領地も滅ぼされてしまっていた。
 残っている者はいないにしても、逃げ果せた者はいてもらいたい。否、彼自身が生き延びたのだから、他にも誰かしら生き残っている筈だ。淡い期待を胸に抱きながら、彼は身を潜めつつ確信を得る為の証拠を探して回った。魔族の軍が迫っていることについては頭の隅に追いやられた。
 辺りに広がるのは人気のない廃屋ばかりである。焼けた痕跡はなかったが、何か大きくて硬い物がぶつかったのであろうか、壁や屋根が吹き飛んでいる家が多くあった。また、長らく風雨に晒され続けた所為で消えかかってはいたものの、至る所で血痕が見付かった。だが、驚いたことに死体は一つも残されてはいなかった。その事実は青年の心に期待と絶望の両方を与えた。
 やがて彼は身を隠すのを止める。人間の姿は見られなかったが、魔族や魔物の姿も全くなかったからだ。敵軍は恐らくまだ遠い所にいるか、既に撤収した後なのだろうと彼は考えた。かと言って、予断を許さない状況であるのは変わりない。青年の足は次第に早くなっていく。そうして城下の中心――過去には名士たる祖先の像が立っていた場所――へと辿り着き、彼は自身の予想が誤りであったことを知った。
 砕けた像の足元には女がいた。面識のある相手だ。家の都合で決まった婚約者である。最後に会ったのは都へ上がる直前で、彼女は少女と呼べる年齢であったが、当時の面影は大人になった今でもはっきりと残っていた。その彼女が一人の従者も伴わず荒れ果てた街の中心にいて、聞き慣れない歌を口遊んでいるのだ。そこはかとなく不気味な印象を受ける光景であった。そして、不自然なのは行動だけではなかった。身に着けている服装も異様なのだ。露出が高く装飾過多な、まるで流浪の踊り子か女魔族の様な装いだ。断じて貴族の令嬢に相応しい身形ではない。
(取り込まれたか)
 青年は再び身を隠す。相手の様子を窺いながら、彼は過去に勇者が語った暴食公の話を思い出した。

 ――奴は本来肉体を持たない魔族です。例えば亡霊種の様な。しかし、亡霊種とは異なる特徴も持っています。それは生物を生きたまま自らの一部とすること。対象には獣や人間だけでなく同胞である魔族も含まれます。被害者を増やす度に共に吸収した記憶や能力も蓄積され、より賢く強くなっていく。また、自身の成長を快楽とし、貪欲に生物を取り込み続ける。故に「暴食公」。そうして、奴は魔王軍の中でも高い地位を獲得するに至ったのでしょう。強い魔族です。更に厄介なのは、先に申し上げた通りその核が精神体であることです。通常攻撃では完全に殺し切ることは不可能。奴を倒すには魂に直接干渉するより他はありません。それを人間が行うのであれば、手段は「神聖魔法」に限定されます。

(要するに、神官と勇者のみが使用可能な魔法か)
 勇者と他の戦士の違いは、神がその者を勇者として認めて特別な加護を与えているか否かなのだそうだ。つまり、彼が候補というだけではなく本当に勇者であるならば、暴食公にも対抗し得る筈なのである。
(一つ試してみるか。しかし――)
 青年は逡巡した。勇者の話を信じるならば、暴食公は死者は吸収出来ない筈だ。逆に考えれば、暴食公に取り込まれたままでいることが被害者生存の証明にもなっている訳だ。だが、もしここで彼が失敗すれば、彼ばかりでなく暴食公の見た目の役割を担っている婚約者までもが命を落とすことになりかねない。かと言って、元王太子の推測通りに一連の敵の動きが青年を誘き寄せる為の罠であるならば、獲物が掛からなかった時点で餌は用済みとなり処分されるであろう。取り立てて情を感じない相手だが、見捨てるのは勇者候補としても貴族としても適切な振る舞いではない。
 念の為、索敵魔法を使用して周囲の様子を窺うが、自分と眼前の女の他には誰も確認出来なかった。単騎だ。軍を遠方に待機させて、一人の部下も伴わずに暴食公はこの街に来たのだ。余程自分の力に自信があるのだろう。腹は立つが油断してくれているなら幸いだ。青年は覚悟を決めた。
 剣を抜き、刀身に魔法を込め、雄叫びを上げながら魔性の女へと斬りかかる。女も漸く青年の存在に気付いて呆気に取られた顔をしたが、直に笑みを浮かべて剣を素手で払い除けた。剣に釣られて青年の身体が横へ流れ、無防備になった彼の脇腹目掛けて女の影から現れた黒い蔓草が伸びる。寸での所でそれに気付いた青年は、後ろへ飛び退いて攻撃を躱した。
「ふうん、まあ運動神経だけは悪くないって感じかしら」
「暴食公か?」
「ええ、そうよ。身体は見ての通り貴方の婚約者のものだけど」
「人質の価値があるとでも?」
「価値があると思ったから、貴方は私の前に出て来たのでしょう?」
 青年の長い葛藤を暴食公は短く分かり易い言葉で表した。人間には程遠い本性を持つ癖に人間のことを良く理解している。頭の良い嫌な敵だ。
「状況判断は甘く、思い上がりは強く、無駄な矜持を捨てられず、短慮と覚悟を履き違え、勢い勇んで飛び出しておいて、今更逃げないでよね。恥ずかしくて目も当てられないから」
「くっ!」
 返す言葉もない。罵倒にも聞こえるが、間違ったことは一つもは言っていなかった。敵でありながら真っ当な指摘を贈ってきたのは、いっそのこと哀れみすら覚える程に彼の判断が甘かったからなのだろう。青年は思わず肩を震わし顔を赤らめた。
「ねえ貴方、人間にしては少しだけましな方みたいだから分かるでしょう? 私と貴方の実力の差が。貴方は私には絶対に勝てない。弱くても本物の勇者だったら、神の御加護とやらで掠り傷くらいは付けられたかもしれないけど、貴方は勇者にはなれなかった人だもの。今ここで死ぬしかないわ。このままなら」
「いいや、いいや! 私は何れ必ず勇者になる。なってお前達を滅ぼさねばならんのだ」
「本当はそんなこと思ってもいない癖に」
 次の瞬間、地面が粘土の様に緩み、青年の身体が沈み込む。彼は「しまった」と叫んで更に後方へ退避しようと藻掻いたが、手遅れだった。青年の身体が足首まで呑まれた所で、周囲の土が鉛のように硬化する。間を置かずして、同じ高さとなった彼と暴食公の目線が交差した。
「でも、そうね。先程の発言に訂正を加えましょう。そもそも『勇者』の定義とは何ぞやという話ではある」
「何を馬鹿なことを。勇者は神の――」
「神の承認は後付けなんじゃないかって話」
「え?」
 青年の肩から僅かに力が抜ける。暴食公は外見役の女性が決してしないであろう妖艶な笑みを浮かべ、息が掛かる程の距離まで青年に顔を近付けた。
「直接刃を交えたことはないけれど、私も遠巻きに勇者の戦っている姿を見たことはあるのよね。強くて生命力に溢れていて、本当に美しかったわ。でも、何より美しいと思ったのは彼の精神。心が強かったのよ。本来魂だけの存在である私には、それが誰よりもはっきりと見えてしまったの。陛下が気に入るのも分かるわあ。取り込んで一つになりたかった」
 だが、不意に暴食公の笑顔が陰りを帯びた。
「今の勇者は駄目ね。随分と見劣りしてしまった。あーあ、勿体ない。ずっと戦場に置いておけば良かったのに」
「『心』?」
「折れない心。『勇気』って言うのかしら? 勇気があるから『勇者』なのね」
「『勇気』」
 相手の放った言葉を反芻する。暴食公は性質も精神も邪悪以外に形容しようがない化け物だ。人間とは掛け離れた価値観を持つ存在の筈だ。にも拘らず、この化け物の言うことは逐一的を射ている様に青年は感じた。人間のことを良く研究している。相手のことを知り尽くした上で相手が嫌がる言動を敢えて行っているのだ。
 青年が目を見開き軽く口を開けた所で、暴食公は「ふむ」と呟いて悪戯っ子の様な顔をした。
「私の勝利は既に確定しているし、少し遊びましょうか。貴方が本当に勇者を名乗るに相応しいか、私が試験をしてあげる」
「魔族が一体何を」
「貴方の勇気を試すの。私はこれから貴方の身の振り方について三つの道を示す。一つ目はこの身体――貴方の婚約者を殺すことで一次的に私を足止めし、貴方だけ反抗軍に帰還する道。二つ目は貴方の婚約者を無傷で解放してあげる代わりに、貴方自身を私に差し出す道。三つ目は何とか足の拘束を解いて逃走を図り、背中を見せてあっさりと殺される道。勿論、他に良案があるなら試してみても良いわ。でも、多分貴方にはこの三つの選択肢しかないんじゃないかしら。どれを選んでも必ず犠牲者は出る。さあ、貴方はどの未来を選択する?」
「貴様!」
 死に直面して感覚が研ぎ澄まされているのであろうか。普段は気付き得ない暴食公の企みに、この時の青年は直感的に気付いてしまった。
 まず一つ目を選択した場合。暴食公が取り込んでいる生物は青年の婚約者だけではない。外見には彼女の身体を使用しているが、内訳としては暴食公の肉体のほんの一部に過ぎない。故に仮に婚約者の身体のみを破壊しても、全体から見れば小さな切り傷を与えた程度に留まり、足止めにすらならないだろう。もしかしたら、死んだ振りをして青年を逃がした後に、彼を尾行して反乱軍の位置を知るつもりなのかもしれない。
 二つ目。もし暴食公に青年の身体を捧げた場合、この魔族の将は彼の記憶を読み取って反抗軍の潜伏先を知ることになるだろう。或いは青年の姿をして反抗軍への潜入を図るかもしれない。だから、二つ目の選択肢だけは絶対に選べない。彼の失策の為に仲間に迷惑は掛けられない。
 最後に三つ目。これについては暴食公はほぼ真実を言っている。青年の実力では間違いなく逃げ切ることは出来ない。否、実際には殺されずに吸収されて二つ目の選択肢と同じ結末を辿ることになるかもしれない。
 加えて、二と三の選択肢を選んだ場合でも婚約者は結局死ぬことになる。青年を無力化した時点で彼女は魔族達にとって用済みとなるのだから。最早どう足掻いても救いがないのは確実であった。青年は漸く元王太子の意志に逆らったことを後悔した。けれども、胸の内に湧いたのは恐怖や焦燥ではなく諦念だった。
 青年は回想する。最初に浮かんだのは眼前に居る婚約者からの手紙だ。神託によって平民出身の勇者が選出された時、彼女は明るく柔らかな色彩に染められた紙にこう書き綴って送り付けてきた。

 ――これ程酷い話はありません。本当に間違っています。今勇者を名乗っている平民めは、きっと何か不正を働いたに違いありません。ああ、お可哀想な私の旦那様。勇者に相応しいのは貴方様をおいて他におりませんのに。神を貶め人々を欺いた彼の者には、何れ必ず天罰が下りましょうぞ。

 次に脳裏を過ったのは、元王太子の言葉だ。落城前は表向き勇者を誉めそやしていたが、元が貴族主義寄りの人物である。内心では苦々しく思っていたのだろう。周囲に彼を止める者がいなくなってそれが表面化した。

 ――奴はやはり勇者の器ではなかったのだ。所詮は何処の馬の骨とも知れぬ浮浪者。誰からも推薦されてはいない、ただ偶然が重なって選ばれたというだけの男よ。神託なぞ、神官共が己が権力を正当化する為に行っている茶番に過ぎん。自分達の邪魔にならず犠牲になってくれる者なら誰でも良かったのだよ、あ奴等は。

 憎々し気な声に被さる様に、今度は勇者の声が張り詰めた調子で響く。その言葉を聞いた当時、後方には村を焼いた魔法の大火が、前方には統率の取れた魔物の大軍が迫っていた。中央から派遣されたばかりの将官が、功を急いで招いた窮地であった。しかも、当の本人は事態の後始末を勇者に押し付けて真っ先に逃げ出したのである。置き去りにされた兵達は皆怒りを露にしたが、勇者は誰も恨まなかったし悲観もしなかった。

 ――大丈夫。策はあります。私達は必ず生きて帰れる。だから、私に皆さんの力を貸して下さい。

 彼は微笑みを浮かべていた。内面は苦悶に満ちていただろうに、他の者を安心させようと必死に取り繕っていた。そして、宣言通りに勝利してみせたのだ。

 ――折れない心。「勇気」って言うのかしら? 勇気があるから「勇者」なのね。

 つい先程、暴食公が発した言葉だ。味方よりも敵の方が彼のことをよく見ている。評価までしている。腹立たしく可笑しかった。
(彼ならこんな時どういう判断をしたのだろう)
 嘗て勇者になることを夢見た青年は、その様なことを考えた後に頭を振った。
(否、私は勇者ではなかったのだ。勇者の考えなど分かる筈もない。分かったとしても真似は出来ない。私は私なりの覚悟を示すのみだ)
 失った夢の為に少しだけ胸を痛めながらも、青年は決意を固めて顔を上げた。
「暴食公、見るが良い。これが私の選択。勇気の証明方法だ」
 曇りのない魔族の瞳を真っ直ぐに見詰めて、彼は自分の喉元に剣の切っ先を当てた。次の瞬間、剣先が首を貫く。呻きながら絶命していく生物を人の皮を被った魔族はやや驚きの表情で眺めた。何か言いたいのに、何故だか声が出ない。
 やがて、青年の身体がどさりと音を立てて背後へ倒れ込むと、暴食公は冷ややかな眼差しで彼を見下ろした。
「それだと貴方の婚約者を守る者がいなくなるわよ。この娘の為に貴方は私に挑みかかってきたのではないの? それともこの娘を生かすことは不可能だと判断した? その上で仲間や大義を優先したと? 他者の犠牲を前提とした行動は、果たして本当に『勇気』の産物と言えるのかしら?」
 青年はある面では暴食公の希望を満たしていた。彼女が見たかったのは自身が気付かない第四の選択肢だ。昔の勇者ならきっとそれを探し当て、尚且つ難局を打開したであろう。そう、打開出来そうな方法でなければ意味がないのだ。
 だが、そこでふと暴食公はこの街を滅ぼした時のことを思い出した。前回の侵攻時も部隊を指揮する司令官は彼女であった。青年の婚約者の身体を手に入れたのもその時だ。遠目には上品さと可愛らしいさを共存させた人形の様なお嬢様に見えたのに、いざ対峙してみると醜く泣き喚き必死に暴れて命乞いをする虫けらの一匹に過ぎず、僅かばかり失望させられたことを覚えている。眼前で眠る青年は気の毒で幸福だ。自分の婚約者が偶々不在にしていた彼のことを「自分を見捨てた裏切り者」と決め付けて、口汚く罵ったのを知らずに済んだのだから。
「ま、確かにあれと比べれば勇気のある方なのかもね」
 暴食公は青年へと近寄り、首に刺さっていた剣を引き抜く。次に足の拘束を解いて、遺体を綺麗に整える。徐々に冷たくなっていく顔をしゃがみ込んで眺めた後、気紛れな魔族は目を閉じて青年の為に祈りを捧げた。
 暫くして彼女は立ち上がり、青年から取り上げた剣を自分の胸に突き立てた。付着物である肉体に宿っていた魂が悲鳴を上げたが、知ったことではない。屍となった部分を事も無げに捨て去って、舞う様な足取りで暴食公は死んだ街に別れを告げたのであった。



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