或る生産職の日常


 【番外編】 或る生産職の年越し



 花々が細工職人になって一年目の十二月某日のことである。諸用の為に細工職人協会を訪れた彼女は珍しい人物と遭遇した。
「あ、花々さん」
 先に声を掛けて来たのは相手の方であった。その声と落ち着きのない足音を聞いて振り返った花々は、短い間記憶を探った後に少しだけ目を見開いて彼の名を呼んだ。
「マイヤーさん」
「『ロト』で良いって言ったでしょ」
「それは何かちょっと……」
「ええ……」
 嘗て花々を細工職人の道へと誘った彫金士ロト・マイヤーは、大袈裟に不満気な態度を取ってみせた。
「前回会った時は、ちゃんと『ロトさん』呼びしてくれたよね。どうして後退しちゃったの? あれ以来、暫く会わなかったから? ちょっとショックなんですけど」
「いや、まあそれは……」
 畳み掛ける様に問われ、花々は口をもごもごさせる。その様子から返答を聞くことは永遠に出来ないであろうことを悟ったロトは、深々と溜息を吐いて肩を竦めた。
「相変わらずだなあ。まあ、良いや。ここで会うのは初めてだね。クエスト?」
「はい。それと年末年始の営業予定の紙を取りに」
「おお、偶然。僕、さっき予定表を貰ったばかりなんだよ。先に確認してみる?」
「あ、はい。見ます」
 そう花々が返事をすると、ロトは手に持っていた書類の束の中から小さな紙を取り出して差し出した。彼女はそれを受け取って暫く眺めた後、礼を言ってロトに返却した。
「そう言えば、正月は帰省するの? もし、こっちに残るんだったら僕やバルトラン先輩達と一緒に初詣に行かない?」
 書類を肩掛けの鞄に仕舞いながら、ロトは気安くその様な話をしてくる。花々の頭の中では瞬時に拒絶の意志が湧いたが、相手は目上の人だ。恩人でもある。取り敢えず迷う素振りだけは見せた。
「いや、残る予定ではあるんですけど、人混みは苦手で……。毎年、四日以降に行ってるんですよね」
「ああ、そんな感じなんだ。何と言うか、凄く『らしい』ね……」
 ロトは苦笑し、それ以上言及しなかった。まだ数回しか会っていないというのに、彼は花々の性格を良く理解していた。対応も手慣れている。職人の中には人付き合いが苦手な者も少なくないという噂を耳にしたことがあるので、彼の知り合いの中に似た様な性格の人間が他にもいるのかもしれない。
 しかしながら、そうであったとしても流石に気まずくはあった。花々は自分のことから話題を反らそうと口を動かした。
「因みにどちらに行かれるんです?」
「古・光明神殿だよ~」
「……確かダンジョンを経由しないと行けなかった様な気がするのですが」
 戦闘は得意ではないと言ったのに何故自分を誘ったのか、という思いがありありと浮き出た渋面を花々は作った。否、彼女だけではなく確かロト自身も戦闘を全く行わない純生産職だった筈だ。彼は一体何を考えているのだろうか。
「そうそう。だから、先輩の団に所属してる戦闘職の人達も一緒に来てくれるんだよ。僕んとこは毎年こんな感じ」
「うわあ……」
「『うわあ』は止めようよ、『うわあ』は。流石に」
「すみません」
 相手から笑顔が消えたのを見た花々は、身を縮こませながら視線を反らした。以前にも彼に対して同様の感覚を抱いた記憶がある。軟派な見た目に反して、彼は時折他者を威圧するような空気を纏うことがあるのだ。尤も、そうさせているのは花々であり、彼に落ち度は殆どないのだが。
 そして、彼は花々よりも遥かに成熟した精神の持ち主でもあった。だから負の感情は直様奥の方へと仕舞い込み、表情を明るいものへと戻した。
「じゃあ、三が日は何時もどうしてるの?」
「大体布団の中でごろごろしたり、買い溜めした食料を只管食べ続けたり、ですね。後は冒険者業とは全く関係のないクラフト系のキットを年末の安売りしてる時に買い溜めて、気の向いた時にやるって感じです」
 その後に「細工職人になってから帰宅後や休日に趣味で制作をする気力が湧かなかったが、大型連休のお陰でやる気になった」と続けようとしたが思い止まった。意外と真面目な眼前の先輩職人に怒られそうな気がしたからだ。実際彼女の予測は当たっていて、ロトは後半の話に興味を示し、一層嬉し気な顔付きになった。
「やっぱり普通の制作もするんだ。物作るの好きって言ってたもんね。キットってことは手芸寄りかな?」
「はい」
「だったら全然違うかもだけど、ロストワックスには興味ある? 彫金でも良いんだけど、集合住宅ではやり辛いだろうからさ」
「実は学生時代にそっち方面の体験レッスンを受けたことは何度かあるんですよ。面白いとは思ったんですが、自分で道具類を揃えたり環境を整えたりするのが大変そうだったので、結局やらなかったんです。レンタル工房とかもあるみたいですけど、実際の利用時間を考えると結構掛かると思いますし。それでも本業でやるなら考えますが、趣味としてですからね。あと――」
 花々は無意識に目線を下へ向ける。
「独学は多分相当気合が入ってないと難しいでしょう? かと言って通学は、まあ一番には学費の問題があるんですが、他にも人間関係とかが私にはちょっと厳しいかなと思いまして。辞め時も分からないし、辞めてもずっと付き合いが続きそうなイメージがありますしね」
「んもーっ! 駄目だよ、そんなことじゃあ。この先、大変だよ」
「いや、分かってはいるんですけども」
 ロトは態とらしく眉を寄せたが、先程の様な刺々しさはない。花々への共感の表れである。腐ってはいても彼女の根底には自分と同じく物作りへの愛情や執着が存在していることが確認出来て嬉しかったのだ。
「うーん、人付き合いについてはともかく予算の件は三次職一年目じゃどうしようもないよね。もし興味があるんだったら、お勧めの店が幾つかあるから教えようと思ったんだけど。ああ、でも何かの参考にはなるかも。今度うちの店に来ることがあったら、パンフレットを持って行きなよ」
「はい、有難うございます。そうさせていただきます」
 今度は素直な反応だったので、ロトは毒気のない顔をして頷き返した。そして、ふと花々の背後にある時計を見た。
「ごめん。まだ棚卸作業が終わってなかったんだ。僕はそろそろ店に戻るよ。引き留めて悪かったね。良いお年を」
「はい、良いお年を。来年も宜しくお願いします」
「うん、宜しく」
 短く別れの言葉を返した後、ロト・マイヤーは軽く手を振り、花々の前から去って行った。


   ◇◇◇


 そうして迎えた大晦日の夜。花々は椅子に座ったまま毛布に包まり、干し芋を頬張りながら机の上に置かれたアクセサリーの作品集を眺めていた。
 やがて、年明けを告げる鐘が響く。その音を聞き終えた後に花々は――。
「開けましておめでとうございます」
 自分以外に誰もいない部屋で、そう呟いたのであった。



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