座敷童子と貧乏神


 前編



 現世と常世の狭間にあって、人間と妖怪と神が肩を並べて暮らす場所「辻の世界」。多種多様な存在が共生するが故に数多くの問題が発生するこの世界で、今日も不可思議な事件が起こる。
 場所は麻川の街、時間は夕暮れ。吹けば飛びそうな襤褸長屋の中で一人の若い人間の男が汁物の入った椀をぼんやりと眺めていた。
「はあ、今日も雑草汁か。侘しいなあ。はあ……」
 この男、仕事先で度々粗相を働いて半月程前に解雇されている。そもそも薄給な上に仕事道具等に掛かる経費は全て自分持ちという職場で、前述の事情を口実に今月分の給与は支払わないと言い渡された為、彼は今、大層金に困っていた。けれども、更に困ったことに次の仕事が中々決まらない。日々焦りを募らせる彼は、僅かな手持ちを出来るだけ減らさぬよう、まずは食費以外の生活費を切り詰め、やがては食費までも抑えるに至ったのである。
 男は本日何度目かの溜息を吐く。すると、彼の耳にぱらぱらという音が届いた。朦朧としていた意識を覚醒させて椀を見ると、汁の上に塵が幾つも浮いている。
「うげっ、ああ!」
 男の目から思わず涙が零れた。しかし、だからと言ってこの汁を捨てる訳にはいかない。道端の食べられそうな雑草を水に浸しただけの物ではあるが、次は何時手に入るか分からない貴重な食料である。彼は意を決して雑草汁を一息に飲み干した。
 完食した所で、再びぱらぱらという音がする。今度は建物が軋む音も重なって聞えた。彼は椀を握ったまま暫く固まっていたが、やがて恐る恐る顔を上げた。
「何だ、この音? まさか、家が崩れ掛けているんじゃないだろうな」
 椀を床に置いて自身の左右と正面を見回し、視線を背後へと向けた所で――。
「うわああああっ!」
 男は悲鳴を上げて後退った。夜闇に沈みかけた部屋の隅には、彼の物よりも更に襤褸切れと化した着物を纏った老人が、顔を真正面に向けたまま鎮座していた。


   ◇◇◇


 翌日、同じ麻川の某所にて――。
「福の神様、どうかどうか我が家へお越し下さい。貧乏神を追い出して俺を大金持ちにして下さい」
 男は手を合わせて祈願していた。眼前にあるのは、歴史を感じさせるが手入れの行き届いた立派な建物である。鳥居はないが、そうだと教えられたら神社の社殿に見えなくもない。
 願い事を言い終わると、男は懐から使い古された巾着を取り出し、更にその中から辻の世界における最小額の小銭を摘まみ上げた。小銭と最後の会話を交わした後、男はそれを握り締めて手を振り上げる。
「そおれ!」
「止めんか!」
「はっ!」
 女のものとも子供のものとも思える高い声が、彼の愚行を止めた。だが、遅かった。小銭は木製の扉に傷をつけた後、音を立てて跳ね返り、庭木の中に消えてしまった。
 男は目を丸くして背後を振り返る。そこに立っていたのは、見た目は十にも満たない年齢の男児であった。しかし、ここは妖怪と神が暮らす辻の世界であるから、子供の姿をしていても見た目通りの年齢とは限らない。実際、目の前の子供の口調は翁のそれであった。
「うちは神社ではないぞ。唯の一般家屋じゃ。見て分からんのか? 鳥居も手水舎も賽銭箱もないであろうが。どういう経緯で斯様な流言が広がったのかは知らんが、勘違いをした者が敷地内に賽銭を投げ入れたり曰く付きの品を置いていったりするので、大層迷惑しておるのだ」
 すると、男は大袈裟に衝撃を受けた顔をして、地面に膝を突いた。
「そんな……。だったら、お賽銭返して下さい」
「その辺に転がっておらんのなら知らんわ。探す気もない。ああ、勝手に家探しするなよ。通報するぞ」
「酷い。なけなしのお金を捧げたのに!」
 自分よりもずっと小さくて華奢な身体にしがみ付き、男は喚き散らす。子供姿の妖怪は無理矢理にでも離れようと試みたが、相手の力は思いの外強く、望みは叶わなかった。観念した彼は深々と溜息を付き、懐に手を差し込んで財布を探る。
「しょうがない奴め。幾らじゃ。小銭程度なら儂が恵んでやらんでもない」
 妖怪が言い終わるや否や、男は勢い良く顔を上げて即答した。
「百万です!」
「帰れ!」
「しくしく……」
 男は地に伏せてさめざめと泣いた。言動が一々大袈裟で態とらしいが、一周回って演技ではなく本心からの行動に見えなくもない。何れにしても、非常に変わった性格の持ち主である。それも面倒な類の。
 妖怪は深々と溜息を吐いた。
「まったく……。『貧乏神』がどうとかいっておったの。住み着かれたのか? 現世とは違って辻の世界では妖怪の他家への不法侵入は許されぬ。役所に相談してみては?」
「相談しに行ったら門前払いされたんですう、うっうっうっ……」
「お前、一体何をやらかしたのじゃ……。何やら話を聞いておると、貧乏神に取り憑かれたから貧乏になったと言うより、元々貧乏になる素養があったから貧乏になって、そこに貧乏神が寄って来た様な気がするのう。じゃとしても、儂にはどうすることも出来んが」
「俺にお金を恵んでくれることは出来ますよ。こんなに大きなお屋敷で暮らしてるんだから少しくらい――」
 男は顔を上げ、期待に満ち溢れた眼差しを妖怪に向ける。すると、妖怪は顔を思いっ切り歪ませた。誰の目にも明らかな程に、彼は気分を害していた。
「卑しい奴め。焼け石に水じゃ。どうせ直になくなる」
「そんな……」
 再び地面の方へ顔を向け掛けるも、不意に良案を思い付いて男は顔を上げる。
「あの、でも貴方様は妖怪ではあるんですよね。凄い偉そうだし。だったら、お仲間への対処法もご存知じゃないんですか?」
「仮にも名に『神』の文字を冠した者を妖怪扱いか。これだから人間は……。まあ、追い出すだけなら心当たりがないではないが、そしたら奴は他所の家へ行くじゃろう。全く無関係の者が迷惑を被ることになるからの。それは宜しくはない」
「そんな赤の他人のことなんて知りませんよ! このままでは俺自身が飢えて死んでしまうのに。何とかなりませんか?」
「儂からすればお前も赤の他人じゃ。しかし、ここに居座られては堪らんからのう。役人に連れて行ってもらっても、また戻ってきそうじゃし……。仕方ない。何とかなりそうなら、少しばかり手を貸してやろう」
 情動に身を任せ喚き散らす男に対して、妖怪の口調は極めて冷ややかであったが、彼の返答は意外にも男を拒絶するものではなかった。男は嬉し涙を流し、何度も何度も礼を言う。その様子が例に漏れず大袈裟で妖怪はまた顔の各所に深い皺を作った。
 しかし、感性が合わない相手の致命的ではない言動を一々咎めていては切りがない。妖怪は早急に話を進めて解決し、なるべく早くこの男との縁を断ち切ろうと心に決める。
「時に、お前の家の近くに空き家はあるか?」
「はい。確か近所の川原に襤褸家が一つ」
「川原? もしや違法建築ではあるまいな。その内、撤去されるのでは?」
「さあ、どうなんでしょう。昔は小汚い爺さんが暮らしてたんですが、何年か前に役人に連れて行かれたっきり、帰って来てないんですよね。でも、今も撤去されてないですし」
「違法ではないのなら、何れ家主が帰って来るのでは……。まあ、言っても切りがないか。取り敢えずその家に誘導しよう。が、まずは準備からじゃ。お前の家に味噌はあるか? あるなら今直持って来い。全部じゃぞ」
 妖怪がそう言うと、男は肩を怒らせる。
「それを買う金がないからここに来たんですけど!」
「知らんわ! ないなら別に良い。儂が調達する。掛かった費用は後で請求するからな」
「出世払いでお願いします!」
 意味もなく叫ぶ男。妖怪は思わず脱力した。本当に噛み合わない。会話をするのも疲れる。この男が貧しい真の原因は貧乏神ではなく、こうした言動と性格の所為に違いないと確信した。きっと指摘をしてやっても、屁理屈を捏ねて直さないのだろうが。
「もう、それで良いわ。そうじゃ、一応名を聞いておこう。ずっと『お前』では話し辛いからのう」
「省吾です」
「ふむ。では省吾、必要物資の調達に行く。付いて来い。ああ否、その前に屋敷の戸締りをせねばならんから、暫しそこで待て」
「はい。あの、ところで貴方様は一体どの様な妖怪なんですか?」
 未だしゃがんだままの省吾は、扉に鍵を掛ける為に踵を返した妖怪の背中を見ながら、そんな問いを投げ掛けた。直後、妖怪は身体を硬直させる。暫く沈黙が落ちる。顔は見えずとも躊躇の色がありありと浮かんでいるのが省吾にも分かった。だが、やがて妖怪は声を強張らせながらも正直に答えた。
「座敷童子じゃ」
 再度沈黙。その後に、省吾は妖怪座敷童子の身体に飛蝗の様に飛び付いて、引き戸に嵌った摺り硝子が震える程の大声を上げた。
「今直うちに来て! 俺を大金持ちにして!」
「しつこいわーっ! もう協力せんぞ、もう!」
 座敷童子が想定した通りの状況であった。彼は眼前の心卑しい男に真実を告げたことを後悔した。かと言って、他の方法は思い付かない。彼は隠し事や嘘が少々苦手なのである。初めの内は真実を言わないでいても、後になって知られてしまうといったことは過去に多くあった。幼いと笑う者もいるだろうが、彼は子供姿の妖怪であるのだから齟齬はあるまい。故に、今日は運が悪かったのだと考えることにした。



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