座敷童子と貧乏神


 中編



 彼等が向かった先は「三和」という土地にある商店街であった。麻川からは街一つを挟んだ場所にある。人間の省吾が徒歩だけで目的地まで行くのは辛いだろうと考え、座敷童子は道中に駕籠を利用を提案する。勿論、持ち合わせのない省吾に駕籠代は出せないので、座敷童子が二人分を支払った。気前の良いことだと感心しつつも、他者に分け与えられるだけの財を持っている彼に対して、省吾は密かに嫉妬と羞恥の念を抱くのであった。
 二人を乗せた駕籠は商店街の入口の手前で降りた。その周辺は何時も込み合っているから、降口はやや離れた場所に決まっているらしい。故に以降は徒歩である。目的の店へ向かう道すがら、座敷童子は少しだけ自分の身の上話をした。
「儂は隠居したのじゃ。現世におった頃は有名人で、てれびにも出演したことがあるくらいじゃったがの。人の欲は果てしなく、傲慢さは凄まじい。付き合い切れんようになって、偶々見付けた辻の世界へ通じる穴へ飛び込んだのじゃよ。故に、座敷童子の仕事はもう引退済み。今はのんびりと暮らしておる」
「じゃあ、あの大きいお屋敷は何なんですか? 仕事してないってんなら」
「座敷童子の仕事は、じゃ。あと、お前と同じ勘違いをした輩がわんさとおって、財を投げ捨てて帰って行くからの。一応、役所に拾得物の届けは出すのじゃが、持ち主が分かっても奉納品や賽銭として渡したものだから、と受け取り拒否するお陰で、結局儂の手元に残ってしまうのじゃ。ただ、貰い受けるにせよ役所に引き取ってもらうにせよ、必ず発生する手続きが本当に面倒で面倒で……」
「猫糞しちゃえばいいのに」
「お前はのう……」
 呆れて背後を振り返ろうとしたが、周囲の景色から丁度目的地へ到着したことに気付き、座敷童子は再び前を向く。店の様子を確認した彼は、ほっとした様な表情を浮かべた。
「おお、ここじゃここじゃ。十烏、居るか? 儂じゃ」
 慣れた様子で座敷童子は店の中へと足を踏み入れる。省吾も戸惑いながら後に続いた。看板や暖簾には大きく「酒屋」と書かれていたが、文字の読めない省吾にはその意味が理解出来なかった。
「おや、座敷童子の旦那。先日はどうも。今日はどうされました? 何かお買い忘れでも?」
 気安い口振りで応対した店主は、見た目は二十代半ばに見える青年だ。しかしながら、言い知れぬ気迫を感じさせる男である。彼もまた人間ではないのだろう、と省吾は反射的に結論付けた。
 座敷童子は常連振った態度で店主の問いに答えた。
「否、急ぎの用事が出来ての。すまないが、もし味噌を取り扱っていたら分けてもらえんか?」
「『味噌』ですか。確かにうちにもありますが、旦那が召し上がるような高級品なら専門店に行った方が――」
 困惑する十烏の言葉を遮って座敷童子は畳み掛けるように言う。
「特別な味噌が欲しいのじゃ。万全を期しての」
「事情をお伺いしても?」
「ふむ、実は――」
 只ならぬ状況だと察して顔色を変えた十烏に対し、座敷童子は務めて穏やかに事情を説明した。


「成程、貧乏神を誘き寄せる為の。それなら普通の味噌でも大丈夫だと思いますけれども」
 話を聞き終えた十烏は、予想よりも深刻ではなかった内容に思わず苦笑いをした。だが、頬が緩むのを自覚した彼は態とらしく咳払いをして表情を引き締める。自分にとっては笑い話でも、この省吾と言う客人にとっては辛い状況には違いないのだから。
 座敷童子の方も、如何にも下らない用件に振り回されているといった顔をして溜息を吐いた。
「だから念の為じゃ。儂はあ奴等には嫌われておっての。此方からは何もしておらんのに、何度か絡まれておるのじゃ。故に、策が知られた折に機嫌を損ねる様な真似は余りしとうはない。奴等の好物――それも手に入り難い品を与えて煽てておけば、文句は言ってこないじゃろうとな」
「『好物』ですか。味噌が……」
 省吾は首を傾げる。好物の内容以前に、貧乏神が食事を摂ること自体が意外といった風だ。
「儂は噂で聞いただけじゃがの。様々な場所で耳にするので、信憑性は高いのではないかのう。この店は酒屋じゃが、そこな十烏と言う男は神域にも出入りする胡散臭い商人じゃ。奉納される物と同じ品を手に入れることなど造作もないじゃろうよ。ああ、神饌は駄目じゃぞ。他の神の残り物なぞ気を悪くするだけじゃからの」
「分かりました。ですが、この辻の世界に於いては神に関わる物事は扱いが難しい。多少の無理をすることになるかもしれませんから……」
 十烏は営業用の笑顔を歪なものに変える。小悪党の顔だ。座敷童子は本日何度目になるか分からない溜息を吐き、着物の袖に手を差し入れた。取り出したのは財布である。彼は財布の中に入っていた物を鷲掴みにし、高々と手を上げ――。
「やれやれ、どいつもこいつも。そおれ、銭の雨を浴びるが良い!」
 握っていた金を振り撒いた。辻の世界で使われている貨幣の種類は地域によって異なるが、三和や麻川がある辺りは硬貨である。それがばらばらと音を立てて地面に降り注いだ。
「有難うございます! 有難うございます!」
 十烏は満面の笑顔を浮かべて地面に這い蹲り、散らばった高額貨幣を拾い集める。飽くまでも面白半分に、である。しかし、その横で目を血走らせながら金を掻き集める者がいた。省吾であった。
「これ省吾、お前は拾うでない! それは十烏のものじゃぞ」
 連れの醜態に羞恥心を覚えた座敷童子は、着物の背中を掴んで引き起こした。
「そんなあ……」
 省吾は目を潤ませて自分の邪魔をする座敷童子を恨めしそうに見詰めた。地面にばら撒ける程に金が有り余っているなら、貧困に喘ぐ自分にも少し位分けてくれたら良いのに、と言いた気だ。
「お前は寧ろ払う側であろう……。それから、十烏」
 座敷童子は、余興を楽しみ終わって立ち上がった十烏へと近寄る。内緒話があることを察した十烏は、相手の身長に合わせて膝を折った。彼の耳が目の前に来た所で座敷童子は声を顰めてこう言った。
「あ奴には内緒で、もう一つ手配してもらいたい物がある」
「身に危険が及ばない限りは何なりと」
 十烏もまた小声で答える。彼の表情は新しい玩具を手に入れた子供のものに似ていた。


   ◇◇◇


 十日後の早朝、麻川の一角にある襤褸長屋の片隅で、貧乏神が正座したまま微睡んでいた。時折に隣近所から物音が聞えるものの、一番騒々しい家主は先日夜半に出掛けた切り戻っていないので、彼にとっては実に快適な環境である。小さな鼾と船を漕ぐ時の衣擦れの音が、長い時間室内に響き続けた。
 だが、鼻にくっ付いていた提灯が弾けた所で、貧乏神は目を覚ました。徐に背伸びをして、暫くは眠そうに目を擦っていたが、唐突に驚いた顔をして背筋をぴんと伸ばす。鼻を擽る香ばしい匂い――彼の好物の香気を嗅ぎ取ったのだ。
 貧乏神はすんすんと鼻を鳴らしながら匂いの元を探った。畳の上を隈なく調べた後、土間へと下りる。すると、僅かではあるが匂いが強くなったのが分かった。彼は誘惑に導かれるまま、家の外へ出ようと戸に手を掛けた。
 しかし、戸を引いて直に貧乏神は動きを止める。踏み出した足に何か硬い物がぶつかったからだ。未だ陽が昇り切っておらず、周囲は暗闇に沈んではっきりとは見えない。けれども、足元にある物体は赤い光を放っており、目を凝らすとその正体を掴むことが出来た。
 七輪である。火の付いた炭の入った七輪が置かれているのである。また、七輪の上部には網が敷かれており、更にその網の上には握り飯が二つ載っていることも分かった。握り飯には彼の好物である味噌がたっぷりと塗られていた。
 貧乏神は思わず目を輝かせた。味噌を見るのは何年振りであろうか、と。ここ数十年の間に幾度も住まいを変えたが、どの家でも見掛けなかった。皆、彼が住み着く前から味噌も買えない程に貧しかったのだ。
 腹が鳴る。胃が締め付けられる。口の端から涎が零れ落ちそうになる。状況の不自然さに気を向ける余裕など、持てる筈もない。貧乏神はしゃがみ込み、焼きむすびを無心で頬張った。
 一個目を咀嚼し呑み込んだ後に、貧乏神は恍惚の息を漏らす。使われている米は甘く柔らかく、味噌は彼が今迄食べた物の中で一番上等な物であった。暴れ狂う食欲に身を任せて一気に平らげたことを後悔しつつも、口の中で舌を忙しなく動かし後味と香りを楽しんだ。
 やがて、満足した貧乏神はのそりと立ち上がった。腹を何度も擦って先程よりも明るんだ景色をぼんやりと眺めていると、ふと五歩程先にある地面に奇妙な物が落ちているのに気付いた。それは正方形に切り取られた白い紙で、上には盛り塩の様な形状の茶色い物体が載っている。焼き味噌であった。彼は嬉々として飛び付き、載っていた味噌を口の中に入れた。紙を舐めながら顔を上げると、更に数歩先の場所にまた紙に載せられた焼き味噌がある。それも食べ切って顔を上げると、また似た様な物が眼前に現れる。
 そこで漸く貧乏神は不審に思い、周囲の様子を良く観察した。すると、味噌は長屋の前を通る小道に添うように転々と配置されているのが分かる。この仕掛けが施された意図に気付いた貧乏神は不愉快そうな顔をしたものの、結局は誘惑に負け、味噌を一つ一つ呑み込みながら前へ進んだ。
 そうして彼の姿が曲がり角の先に消えた所で、隠れて様子を窺っていた者達が姿を現した。
「おお、釣れた釣れた。味噌好きの噂は本当じゃったか」
 座敷童子は安堵の溜息を吐いて、やや緊張の緩んだ表情を浮かべた。建物の陰から共に出て来た省吾も歓喜の声を上げる。
「上手く行きそうですね」
「ふむ。例え奴が罠に掛かったとしても、他の住人が起きて来たら汚物と勘違いされて仕掛けを撤去される可能性があったからのう。予め人が少なくなる時間帯を調べてから実行したとは言え、実際に上手くいくかは掛けじゃった。さて、省吾。奴の後を追うぞ。この先もどの様な障害が生じるか分からぬ故の」
 気を引き締める座敷童子とは対照的に、楽観的な省吾は計画の成功を確信し、破顔して承諾の言葉を返した。


 味噌の道標が導いた先は、河原に立つ小さな家屋であった。中からは今まで以上に強く味噌の香りが漂ってくる。貧乏神は一瞬意識を持って行かれそうになるが、味噌に目がない彼であっても流石にこの状況は訝しく思って立ち止まった。
 眼前にある小屋は、現在彼が暮らしている長屋よりも痛んでおり、今にも崩れ落ちそうな状態である。恐らくは昨晩から不在の家主が、彼を陥れるつもりでここまで誘導してきたのであろう。腹立たしいことであった。
 貧乏神は来た道を引き返そうと足に力を入れる。だが、そこで再び彼は腹部を圧迫される感覚に襲われた。同時にぐうと大きな音が鳴る。丁度その瞬間に、味噌の香りが鼻から入って胃と腹を刺した。
 焼き味噌だ。今、焼いているのだ。彼は焼かない味噌も好きだが、焼いている物が一番好きなのだ。気付いてから耳を澄ますと、川の音に混じって炭の弾ける音が聞えてきた。また握り飯でも焼いているのだろうか、何時仕掛けたのだろうか、このまま放っておけば焦げて駄目になってしまうのではないか、近くに川があるから魚を釣って焼いて表面に塗りたくるのも良いのではないか――。そんな風に貧乏神の頭の中は味噌のことで一杯になった。
 程なく貧乏神は食欲に負け、扉代わりに掛けられていた布をたくし上げて小屋の中へと入って行った。内部には七輪とそこで焼かれている味噌の他に、高級味噌の入った箱が何重にも積まれている。暫くは小屋から出て来ないだろう。
「やった。やりましたよ!」
 近過ぎず遠過ぎずの距離にある木々の陰から様子を窺っていた二人は、漸く完全に緊張を解いた。特に省吾は喜びの余り声量を抑えるのを忘れていた。座敷童子は彼の袖を強く引っ張り、自身の口元に人差し指を当てて窘める。もし貧乏神に声が聞かれて不興を買ってしまったら、今迄の苦労が水の泡となる。省吾も自らの過ちに気付き、慌てて両手で口を塞いだ。
 省吾が落ち着いたのを確認して、座敷童子は再び小屋の方を向き、声を潜めて話し始めた。
「このまま上手いこと、ここに住み着いてくれたら良いがのう」
「いけますって! だって、ここに居ればまた美味い物が食べられるかもしれないじゃないですか。貧乏人は皆そう思うものなんです!」
「酷い偏見じゃのう。お前はまずその腐った性根を改めた方が良いぞ」
「何で!」
 座敷童子は反射的に言葉を返そうとしたが、寸での所で思い止まった。問題の処理は完了し、遂にこの男とも縁が切れるのだ。これ以上引き留めることは自分の為にならない。
「まあ、良い。取り敢えず今日は解散じゃ。儂は疲れた。早う家に帰って寝たい」
「はい、有難うございます。お礼は何れ必ず。俺が大金持ちになった時に!」
「はいはい。じゃあの」
 内心では「二度と会いに来るな」と思いつつも決して言わず、座敷童子は軽く手を振って踵を返した。


 六日後、彼の期待は裏切られた。



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