機械仕掛けの神の国

◆ 第三章 赤き眷族 ◆


  13-02、誤断の結果(2)



 翌日の深夜、火界南西部にある鍛冶の種族の里に設置された客人用の天幕では、シャンセが時間を計る〈祭具〉を見詰めていた。同行者の光精二人は緊張を滲ませた眼差しを彼に送り、指示を待っている。
「そろそろか」
 暫くしてシャンセはそう呟き、手に持っていた〈祭具〉を懐に仕舞う。するとマティアヌスは顔を緩ませ、逆にキロネは一層身体を強張らせた。
「潜伏拠点への逃走を諦めてくれたのは幸いだったな。光軍の勇将マティアヌスの名声もまだ衰えてはいなかった様だ。称えるが良い」
「自分で言うなよ」
 お道化けた口振りのマティアヌスへ適当に返して、シャンセは収納用の〈祭具〉を物色する。その後に彼は中から幾つかの武器を取り出した。彼等の策が成功していればこれらの武器は必要ない筈だが、万が一と言うこともある。備えをしておくに越したことはない。
 マティアヌスは床に転がされた〈祭具〉の内の一つ――剣の形をした物を拾い上げて眼前に掲げた。
「しかし、危うい賭けだったぞ。此方を信用させる必要があったとは言え、火軍の襲撃を教えるのみならず、逃走の助言までするなんてな」
 一方のシャンセは短い杖の形をした〈祭具〉を拾い上げ、キロネの方をちらりと見る。しかし、彼女は頬を膨らませて睨み返すだけだ。自身が戦うつもりは全くないという意思表示なのだろう。シャンセは呆れたが、今回はカンブランタの時程に危機的状況ではない。故に強制はしないことにした。
 広げた〈祭具〉を仕舞いながら、シャンセはマティアヌスに言葉を返す。
「だが、作戦は成功しただろう。我々の意見が纏まっていない様子を見せて、裏がないように思わせることが出来た」
 鍛冶の種族はシャンセを取り込みたいと考えており、彼等は一次的な協力関係を結んだが、本当の意味での味方ではない。現状は双方に信用や信頼が存在しない状態だ。シャンセがどれだけ彼等にとって都合の良い言葉を吐いた所で、相手は半信半疑でしか受け取らず、逆に警戒心を抱かせる恐れすらある。これまでは問題なしとして放置してきたが、相手を謀らんとする今のシャンセ達にとっては即座に対処しなければならない事案である。こちらの一挙一動足に注目されたのでは、仕掛けを施すことすらままならない。
 故に、シャンセは更に策を講じた。鍛冶の種族の前でシャンセとマティアヌスの間に意見の対立がある様に演じてみせたのだ。具体的には「鍛冶の種族が所有する〈祭具〉の強化と戦闘知識の提供による戦力補強を行う」とシャンセが表明したのに対し、マティアヌスが「陣営に加わっていない今の段階では、逃走の助力のみに留めるべき」と物申したのである。最終的にはシャンセに説得されてマティアヌスの方が折れた様に見せたのだが――。
「いやいや、それでも奴等が逃げを選ぶ可能性だってあった訳だからな」
「無論その想定は否定しないが、彼等がこの里を手放し難く感じていたのは確実だ。長きに渡る苦難の末、漸くここまで立て直したのだからな。劣悪な環境であったとしても多少の愛着はあるだろうし、また一からやり直しというのは出来る限り避けたいと思っているに違いない。それに、憎きヴリエ女王の差し向けた兵を前にして、刃を交えず逃げ出すことにも抵抗がある筈だ。逃げずに済む方法を提示してやれば、其方に飛び付くのは必然だよ」
「そういうもんかねえ」
「実際言った通りになっただろう」
 偽りの議論の途中、前もってシャンセに指示されていた通りにマティアヌスは次善の策として「逃走せずに敵を迎え撃つ」道を提示する。火神の不在により火界正規軍である火軍を動かす承認が得られない筈なので、里に送られてくるのは焼物の種族の私兵となるであろうこと、鍛冶の種族の里が如何に地の利に恵まれているか、主要拠点の喪失によって起こる今後の自軍の損耗について、地界や火界在住の他種族に対する鍛冶の種族の印象の変化等々、彼は虚実を織り交ぜながら鍛冶の種族の前でシャンセと意見を戦わせた。
 すると傍で見ていたナルテロ達は、未知で難解な情報の奔流に時折飲まれそうになりながらも、やがてシャンセ達の思惑通りに理解し易く自分達にとって益のある道を選んだのである。
「前回俺達が火界に来た時に様子を窺っていたなら、相手方が火神様の許可なく火軍を動かしていたこと位は気付いてもおかしくない筈なんだけども、そんな気配もないのがなあ。正常な思考でないのは、頭の悪さか不慮の事態への弱さの表れか。まあ、何れにせよ退役軍人が久方振りに現役張りの労働をさせられたんだ。後で労っておくれよ」
「よく言う。そんな身体になったというのに、殆ど衰えてなかったじゃないか。全くもって羨ましい限りだよ」
 シャンセは苦笑し、武器を握るマティアヌスの腕を見た。作り物の腕だ。シャンセが作った〈人形殻〉という〈祭具〉だ。嘗ての彼の姿に似せてはいるが、完全な偽物である。〈人形殻〉の中にある本物の腕は、今は全く違う歪な形状をしているのだ。しかしながら、鍛冶の種族の戦士達に指導していた時の動きは、昔の彼のものと何ら変わりがない様に見えた。天性の才能の持ち主なのかもしれない。
「そりゃあ、どんな状況であっても鍛錬は欠かさなかったからな。此方の指導に対し及第点を出してくれる生徒が居なかったのは残念だが」
「何、期限まで残り少ないのだから仕方がない。火軍と共倒れになる位まで成長してくれるのが最善ではあるが、強くなったと思い込ませるだけでも取り敢えずは良いさ」
 男二人が戦談議で盛り上がる最中、萱の外に置かれたキロネは居心地が悪そうにもじもじと身動ぎしていた。そろそろ作戦を決行する頃合いではないのか、自分はどう動けば良いのか、と計画の詳細を知らない彼女は焦り始める。やがて耐え切れなくなり、彼女はシャンセ達の会話に割って入った。
「ねえ、好い加減私にも教えて頂戴。作戦の決行時間なんでしょ。どうするつもりなの?」
 会話が止まる。シャンセとマティアヌスは、そこで漸くキロネに計画の内容を伝えていなかったことを思い出した。知る者同士が無言で顔を見合わせた後、彼女の同胞であるマティアヌスの方が率先して口を開いた。
「ここ最近、俺やシャンセが天幕の外で走り回っていたのは知っているだろう? 里の連中を信用させて外出を許可させたんだけど」
「うん」
「隙を見て里中に〈睡燐〉の種をばら撒いていたんだ」
 マティアヌスは懐から巾着を取り出し、口を縛っていた紐を解いて指を差し入れる。そして、中から一粒の種を摘まみ上げてキロネの眼前に差し出した。キロネは一瞬呆気にとられた様な顔をしたが、直後にそれを凝視しながら尋ねた。
「〈睡燐〉って、あの眠くなる奴?」
「そう、黒天人族が使う〈術〉の一種だ。この種状の物質の一定範囲内にいる者を睡眠状態にする効果がある。種へ命令を送ることが出来るのは黒天人だけだが、種に触れることは黒天人以外にも出来るからな。俺も設置を手伝ったんだよ。因みに命令を送る手段は複数あるそうで、今回は時限式。発動時間は現在に設定してある。ああ、今俺が持っている物は大丈夫だぞ」
「成程……」
 要するに〈術〉で鍛冶の種族を眠らせている内に脱出、後からやって来るであろう火軍が彼等を捕縛する、という手順である。鍛冶の種族の逃走を阻んだのも、彼等が里を離れると〈睡燐〉の仕掛けが無駄になる上、火軍が彼等の所在を見失う可能性があったからだ。シャンセの策の全容を理解したキロネは安堵の息を吐いた。
 勝利を確信したのか、はたまた悪戯を仕込んだ子供の心境なのか、光精二人は俄に燥ぎ出す。
「外に出て確認してみるか?」
「え、良いの? やったあ! やっと外に出られるう」
 対してシャンセは冷静で、大人の姿をした子供達を叱り付けた。
「おい、騒ぐなよ。その程度で奴等が目を覚ますことはないが――」
「あれ?」
 真っ先に飛び出したキロネの呟きが、シャンセの言葉を途中で遮った。彼女の声に危機感はなかったが、シャンセは直感的に異常を感じ取って状況報告を求める。
「どうした?」
「ねえ、シャンセ。〈術〉の発動時間は本当に今で合ってる?」
「何が言いたい?」
 シャンセは要領を得ない返答に苛立ちを覚えて声を低める。しかし、キロネは動じなかった。何故なら彼女の視界には、それとは比較にならない程に危うい光景が広がっていたのだから。
「だって――」
 キロネは表情を変えないまま何度も瞬きをする。
「皆、起きてるわよ」
 金色に輝く大きな目に武装した戦士達の姿を宿して。



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